風景
森と呼ぶに相応しい、杉林の赤土を踏む。
木々の合間、ひだまりの中で苔生す香りが漂う。
鳥や雪解け水が、季節の移り変わりを教えてくれる。
木々の背丈が低くなり、標高の高いなだらかな尾根を歩く。
まだ早い朝の空は、薄く青く遠い。
山頂までの道が、近いようで遠くに続いていた。
私はいつも、あなたの背中を見ている。
遠い約束
ふっと降りてくる「死にたさ」
目の前を掠める「いつかの記憶」
足元にある「無力感」につまづきそうになる。
大きなおにぎりを頬張る。
涙は、止まった。
いつかまた、君と。
小さな幸せ
君は隣にいない。
君の連絡先も、知らない。
君は今も、あの仕事を続けているかも知る由もない。
君と一緒にいる筈だった未来はもう無い。
君の未来に、私はいない。
晴れた朝。
駅に向かう時に、ふと青空を見上げた。
なぜか。君もそうしている気がした。
心のざわめき
私が、保管庫からフロアに戻った瞬間。
本当にその刹那、誰も話さない無の時間が訪れた。
わざとらしく誰かが咳払いをする。
2週間後には退職が決まっているのだから、雑用をさせられても仕方が無いのだろう、といった言葉たちが宙を彷徨っていた。
彷徨っている言葉たちを蹴散らし、引き継ぎ書類を山積みにしたデスクに座る。
私と書類の世界。
私は今日、あなたを片付ける。そうすることで前に進む。
私は出来るだけ、優しくタイピングする。
タイピングの音だけが、静かに鳴る。
私だけの世界。宙に舞う言葉たちは消えた。
私は想像する。
2週間後、桜の花びらが舞う中、ゆるやかに歩く姿を。
君と見た虹
30年連れ添ったあなたと手を繋ぐ。
若い時はあんなに節が大きく分厚い手だったのに、今は痩せて皮膚も薄くなってしまっていた。
呼吸が上手く出来ない為、酸素マスクをしているあなたの顔をじっと見つめる。
若い時に、恥ずかしげもなく愛していると言ってくれたその唇は、酸素を吸う為だけに開かれている。
半眼の目は、私を見ているようで、どこか遠くの空の上の人を見ているかのように、宙を彷徨う。
祈るように床に膝をつき、あなたの横で、あなたの右手を両手で握りしめる。
あなたは一瞬、瞳を黒くし、私を見た。
私は頷き、ゆっくり眠るよう伝えた。
あなたは弱々しく、私の手を握り返した。
ベッド横のテレメーターの波形が下がり始め、時が来たのだと鳴り始める。
私もあなたと虹を渡りたい。
額を右手に擦り付けながらそう願った。