君と見た虹
30年連れ添ったあなたと手を繋ぐ。
若い時はあんなに節が大きく分厚い手だったのに、今は痩せて皮膚も薄くなってしまっていた。
呼吸が上手く出来ない為、酸素マスクをしているあなたの顔をじっと見つめる。
若い時に、恥ずかしげもなく愛していると言ってくれたその唇は、酸素を吸う為だけに開かれている。
半眼の目は、私を見ているようで、どこか遠くの空の上の人を見ているかのように、宙を彷徨う。
祈るように床に膝をつき、あなたの横で、あなたの右手を両手で握りしめる。
あなたは一瞬、瞳を黒くし、私を見た。
私は頷き、ゆっくり眠るよう伝えた。
あなたは弱々しく、私の手を握り返した。
ベッド横のテレメーターの波形が下がり始め、時が来たのだと鳴り始める。
私もあなたと虹を渡りたい。
額を右手に擦り付けながらそう願った。
heart to heart
今朝も全方位に「人という物体」を感じながら、電車に乗る。
いつしかスマホを触らなくなった。
Bluetoothイヤホンで、音楽も聴かなくなった。
見つめるのは、とてもお気に入りだった革靴。
移動する狭い鉄の箱の中は、モノクロとセピアの間の色をしたグレージュがかった色。
君は今、どこにいるの。
冬晴れ
16時。車をぼーっと運転していたら、晴れているのに、ポツ、ポツポツと急に雨が落ちてきた。
青空と雲と雨。
なぜだろう。
「もう、死んだっていいじゃないか」
予見しない雨の様に、ふと急にそう実感した。
清々しい程の諦観。悟り、があるとするならば、近い感覚なのかもしれない。
仕事のお弁当用のおかずと、今日の晩御飯をスーパーで探す。
「…別に死ぬんだったら、見た目なんてどうでもいいか。今日、美味しければ」
一人暮らしのマンションに帰る。
押入れの奥の何年も読んでいないコミックを引っ張りだす。
「要らないよな。もう一度読んだら、捨てよう」
無意識にインターネットで、新しい名刺入れを探す。
ふと我に帰る。
「…いつまで、やるのよ今の仕事。どうせ死ぬんだよ?」
スマホを置き、ハイボールとパック寿司をほうばる。
うまっ。
窓越しの夜を見た。これで良い気がした。
「現在見ている太陽の光は、8分前の光。「おおいぬ座」のシリウスから届く光は、7年前。知ってた?」
彼は病室で、持参したクッキーを食べる私に自慢げに言った。
知らなかったが、どこかで聞いたことあるような話だったので「ネットで得た知識をそんな鼻高々に話さないの」と一蹴した。
いわゆる職場恋愛をし、同棲を開始した直後に、彼の膵臓に癌が見つかった。
彼はとても前向きで明るい性格の為、病人という感じが全くなく、私自身も彼の病気は治るものだと信じきっていた。
彼の両親も私に気を遣い、病気が治らない事は知らされていなかった。
3ヶ月後、私にとっては、唐突に。
彼は亡くなった。
暫くしてから、ひとりでは広すぎるマンションの片付けをゆっくりと始めた。
始めは呆然としながら、動いて止まってを繰り返し、ゼンマイ仕掛けの人形のように彼との思い出をしまい込んでいった。
ある程度高価そうな物は、ご両親に返すように荷物をまとめていく。
それまで触らなかったラップトップのPCを念の為開ける。
私宛の手紙が挟まっていた。
中には「食器棚の上の棚の一番右」と書かれていた。
食器棚の上の棚の一番右を見ると、また手紙が挟まっている。
次は床下収納。その次は洗面台の下、また更にその次はクローゼットの中など、次々と指示に従い手紙を探していく。
彼に導かれるように私は「彼」を探した。
最後は、私が大切にしていたアクセサリーケースの下に封筒があった。
開くと、笑顔の私達の写真が入っており、その裏には、
「また会えたね」
と、彼の優しいまる字で、書かれていた。
題;また会いましょう
きーん
ぴーーーん
ピキっ
イラッ
ずーーん
汗
そわそわ
どよん
頭の中の擬音を、言葉に出して生きてみたらどうだろう。
コントみたいで面白い世界かもしれない。
題;脳裏