網戸越しに雨の匂いが漂う。
永遠に止みそうにない雨音がASMRの代わり。
いつになったら忘れられるの?
午前4時、この時間が淋しい。
わたしは指を咥えて、来る筈の無い通知を待ってしまう。
題:1件のLINE
当直中のほんの束の間、職員入り口外の囲われた喫煙スペースに向かう。
今日はまだ、救急の患者は少なく余裕がある方で、深夜の薄ら冷たい夜の空気と一緒に煙草を吸う事ができた。
深く濃い夜とたった一つの街灯。夏らしい青い匂いが花壇より漂う。喫煙スペースのベンチに座り、夜を仰ぐ。
病院の周りを囲う街路樹の向こう側では、夜の街の灯りが点滅するように光り、此処に囚われているような、好き好んで此処にいるような不思議な感覚に襲われる。
短くなった煙草を挟む自分の手を見る。
人の命が絶えずやってきて、この手で救ったり、もちろん救えなかったり。
医師という仕事には誇りを持っている。
けれど、此処は命を少し支える通過点でしかなく、自分の力など微力に過ぎない。
煙草の煙と共に思いに耽っていると、青のスクラブの胸ポケットのPHSが震えた。
急いで踵を返し院内に戻った。
題:街の明かり
29年前の1月17日午前5時46分夜明け前、気付いた時には自宅は倒壊していた。
木造二階建ての2階で寝ていた筈の俺は、気付いた時には瓦礫の山の上、梁と柱の隙間にできた空間にいて奇跡的に助かった。
1階の和室で寝ていた両親の姿も声も聞こえない。
周りを見渡す。暗闇の中、大変な事が起こった事は瞬時に分かった。
周りから、怒号やざわめき、火事、噴煙が立ち込み始めた。…両親は助からない。
20代後半になっても定職につかず、ただただ好きな事をして生き、ギャンブルで借金も作っているのに見栄だけは張って、服装にもお金をかけていた。
闇金にも手を出していた俺に、迷いは無い。
頭から血を流している事にも気付かないまま、朝日が昇る前に火事で燃える街の中を走り出した。
サイレンや怒号、火事に巻かれる家や倒壊する家屋を背中に、ひたすらに、暗闇を目指した。
この災害による被害は、負傷者43,792名、死者6,434名。
行方不明者3名。
(消防庁調べ、平成17年12月22日現在)
題:神様だけが知っている
新幹線のホームで待つ。
西陽で椅子に座る私の影が伸びる。
聴き慣れた電子音。
定番のD席。
新横浜では降りない。
あなたが待っていない駅を通り過ぎる。
後ろ髪をひかれるように、何も見えない窓を見る。
ただただ、ぼやけた私が映っていた。
題:日差し
わたしは筋萎縮性側索硬化症(ALS)だ。
やたらと転倒するようになり、パーキンソン病かと思い受診したが、診断はALSだった。
手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気で、最期は意識が保たれたまま本当の意味で寝たきりとなってしまう。
恐怖でどうにかなりそうだった。
診断を受けてから一年後。
わたしは生きている。
訪問の医療チーム、ヘルパーさん、そして妻のおかげで生きていた。
気管切開による人工呼吸(TPPV)、声門閉鎖手術を施行し飲み込むことが出来るようになったため、ペースト状だが口から摂取している。
指先も動かなくなったが、かろうじて歯を動かす事が出来る為、口に咥えるスイッチを連動させた意思伝達装置を使用し他者との意思疎通を図る事が出来ており、拙い文章だが執筆活動も行っている。
わたしの周りには毎日たくさんの人が関わってくれている。
時に悲しげな視線を送ってくる支援者もいるが、あなたとわたしの「違い」は何ですか?と心の中で問う。
出来ないことが増える苦しみは勿論多大にある。
妻の気持ちは察するに余りあるし、逆の立場だったら…と毎日考える。
だけれど、わたしは。
この世界の誰よりも、妻の手の温もりを感じられている。
題:一年後