子どもの頃、自宅裏の裏山に1本の斜めに生えた登りやすい木があった。
他の木の枝と重なり合う部分に折った枝を何本も重ね屋根を作る。
父親の工具置き場から程よいロープを取ってきて、一番太い枝に括りつけ、瞬時に降りられるようにした。
ソファ件ベッドは、中腹の二股の部分にばぁちゃん家から、毛布をくすねて来て敷いた。
酒を飲んで暴れる父親から逃げる為の俺の安全地帯。ここにいる時は自由を感じられた。
我が子の学校から、一斉メールで連絡が入る。
子ども達だけで海や山に行ってはいけません。
公園でボールを蹴ってはいけません。
下校後、学校に入ってはいけません。
勉強の時以外は、スマートフォンを触っている。
我が子の秘密基地は、スマートフォンの中にあるようだ。
昔も今も、大人が作り出す環境に左右される。
題:子どもの頃は
高台から眺めると、大嫌いなこの町も少しましに見えた。
下から掬い上げるように吹く風。
空を見上げて息を吸い、雲の流れに身を委ねる。
目を瞑り自分自身が空に染まっていく想像をする。
穏やかに冷たい風が顔を撫でる。
とても気持ちが良い。
肩が持ち上げられ、踵が浮く。
両手を広げ、空に吸い込まれていく。
安堵と解放、そして墜落してゆく心地よさを感じた…
その刹那、とてつもない力で後ろに引っ張られた。
薄水色の空と雲をバックに、眉を斜めにした君が見ていた。
頬を伝う涙が、ひどく冷たかった。
題:落下
私は自分の死に際が分かっていた。
定年まで後2年ほどになった時から、右胸に違和感があることには気付いていた。
乳癌自体がステージIV。リンパと脳にも転移していた。
主治医には余命を伸ばす為の手術を勧められたが、断った。
身体が動くうちに、出来る限りひとり暮らしの部屋の物は全て捨て、サブスクやクレジットカードも解約し、口座、保険証券や年金の類はデータにして息子には分かる暗証番号をかけメールで送っておいた。
1人で息子を育て、父、妹、母の順に家族を看取り、そしてとうとう自分の番だった。
幸いにも最期は妹と同じ脳腫瘍によって亡くなる事が出来る。意識が無くなる前に、息子に伝えなければならない事は全て伝えられた。私は心から安堵した。
私の最期も、妹と同じ病院の緩和ケアを希望した。
痛みが増強したり、肺に水が溜まり呼吸が出来なくなってくる辺りで、オピオイド(麻薬性鎮痛剤)が使用される。
私は死期を悟る。
生涯のうち、たったひとりだけ心から愛した人がいた。
その人の今を知る由も無いが。
輪廻転生が本当にあるなら、次はもっと普通に会いたい、そう願いながら眼を瞑った。
題:未来
金曜日の夜、同僚に誘われてお酒を楽しんだ。
飲む前まではあんなに意気込んでいたのに。
いざとなると結局、2時間ほどで飽きた。
楽しい夜だった。それに偽りはなくて。
けど、何か足りない。
2件目に行く事はなく、自宅近くの駅にひとり降り立つ23時。
星の見えない空を少し見上げる。
背の低いビルとネオン、どこぞのシンガーソングライターと数人の観客。どこからか漂う煙草の匂いと香水。まだ終わらない夜。
いつもならタクシーを使うけど、今日は歩きたかった。
ちょうど一年前、夏の匂いが漂い始めたこの日。
君はサマーニットのワンピースを着ていた。
あんなに楽しかった夜はもう来ない。
逆に云えば、もう傷つくことも無い。
安堵しながらも、泣き出しそうな群青色の空。
三白眼に似た三日月だけが、全てを見透かしていた。
題:あいまいな空
・嫌の語源
兼は手で二つの稲を持っている様子を表しており、意味は「二つ併せ持つ」「1つでは足りない」状態を表す。
それに女がくっつき「気持ちが二つにまたがっている状態」⇒「不安定な状態」⇒「嫌う」となるとの事。
・好の語源
女が子をかわいがることから、いつくしむ、ひいて「このむ」「よい」の意を表す。
どちらも「男」ではない、ということだけは確かだ。
題:好き嫌い