no.17:魔法
チカは階段を下り続けた。地下道の暗闇はまだ見えない。
「魔法をかけるためには才能が必要。でも、魔法にかかる才能もあると思う」
チカは手摺の上に手を置いても決して触れようとはしない。コーヒーを無理やり流し込む時のぶっきらぼうな態度で、パンプスの爪先を地下道に向けている。
それは天邪鬼というより、ささやかな抵抗に近いと感じた。
「サトルみたいに両方持ってる人は希少価値が高いってこと、いい加減気づいたら。自分の才能認めて腹を括ってみなよ」
チコはそれきり黙って、黙々と階段を降りていった。
僕もチコの3歩後を歩くだけだ。
コーヒーブレイクと同じ原理で、僕には突っかかってくるけれど、チカなりに気を遣ってはいる。照れ臭さをごまかしたくて、今も口を噤むしかないのだ。
チカの心が少し顔を覗かせた。でも、その相手が何故僕なのか……どうしてもはっきりしない。
no.16:『君と見た虹』
七色絹地の帯締めて
朱塗りの雪下駄 黒くして
路面電車の窓際に
立っていらした 娘さん
外国生まれの傘を持ち
さっととりだす手巾には
金糸の刺繍 薔薇の園
電車の外は雪景色
急ブレーキで
よろめく 娘さん
飢えたひとびと眺めては
床の羽目板 数えるように
まつ毛を伏せた 宵の如月
君想へばこそ 我忘るべからず
……祖父の日記はこの頁で終わっていました。後の頁はすべて破り捨てられています。いまやその内容を知る者は誰もいません。
no.15:『夜空を駆ける』
とめどなく 降り注ぐ
きれいすぎる言葉
ふらりと 突き動かされるほど
ヤワじゃないんだ 僕らはね
ひとり立ちした冥王星
追いかけてどこまでも走っていけると信じていた
この間までのふたり
はらはら 落ちる涙を 拭いもせずに
行けるところまでは 全速力で
立ち止まっても 振り返らずに
朝の光を 迎えに行こうか
no.14:ひそかな想い
教室とは真逆の細い道へと駆け出した。
サトルにはこんな顔は見せられない。
迷子になってるあたしの歩き方だって、見られたくない。
頭が真っ白で、どこにいるのかさえもわからなくなる。
自分の知らない場所に行くチャンスだ。
記憶にない道をでたらめに歩けば、必ず何かと出会う。
三毛猫がのそっと顔を出す裏路地に、マゼンタ色のネオンが光るケバケバしい看板。
教室の行き帰りじゃ見過ごしてしまうけど、あたしと埋まらない距離を持つ世界は、探せばいくらでも見つかる。
ちぎれた心が、こういう場所に隠れているかもしれない。
そんな考えを温めながら、パンプスで小石を蹴飛ばす。
ひとりで迷子になるのは楽しい。
でも、それをサトルに知られるのは嫌だ。他の人にはそもそも迷子になりたい願望を喋ろうとも思わないのに、サトルに対しては何故かムキになってしまう。
あたしは冷や汗をかく。
今まで通り、鋭いけど鈍感なフリをしてくれるサトルでいて欲しい。
あたしを見てるけど、干渉はしてこない。サトルが今のままの距離でいてくれないと…あたしは本気で彷徨って、帰ってこられなくなりそうだ。
no.13:あなたは誰
「あたしの時間はまだ30分残ってるから。駅に行って、適当にふらついてくる」
僕に買ったばかりのノートを押し付けて、チカは言った。
教室の閉所が決まってから、チカは何かと教室の最寄駅に行きたがる。
チカと僕にとっては第二の遊び場であり、暇を持て余す楽しさを共有できる唯一の街だった。
「明日から別の人生歩むみたいな顔しないで。先生もそんなこと望んでないよ」
チカのスカートがひらひら揺れる。
くすんだクリーム色のスカートが風で波打つと、ふたりでよく入り浸っていた喫茶店のカーテンを思い出す。
あの店も、いつの間にかひっそり姿を消していた。
「位置関係が一瞬でわからなくなって、近くにある物を急に見失う。自分の認識って案外脆いよね。宛にならない」
チカはバッグを抱えなおして、駅に通じる裏道へと脇目もふらずに進んでいく。
パンプスの踵がぐらつく。それでも踏ん張って、前へ。
よく知った街中でも、チカはまた迷子になろうとしている。
「このままだと、サトルが知らない人みたいに見えて……声をかけられなくなるかも」
寒さのせいか、チカの声は震えているようだった。