見咲影弥

Open App
1/18/2024, 1:51:40 PM

 貴女と二人だけで始めた秘密の日記。同じクラスで休み時間も一緒。いつの日かそれだけでは飽きたらなくなって、私たちはもっと、もっと、お互いの心の奥に入り込みたくなっていた。

 そんな時に彼女が提案したのが交換日記だった。自分の秘密を、ここに書こう。絶対に他の誰かに知られてはいけない、禁断の秘密。私たち二人だけのものにしてしまおう。そう誓った。

 十二点のテストを親に見せずにゴミ箱に捨てた、そんな他愛ないことから、両親が最近仲良くない、離婚という単語が会話に出てくる、そんな大事まで。他の人に言えない、でも自分一人で抱え込むには重い秘密をノートに連ねた。

 私も彼女に弱音を吐いた。
 彼女もまた、私に嘆いた。

 私たちはそんな関係で、何とか精神の均衡を保ってきた。

 しかし、ある日を境にその関係は終わりを迎えた。

 「私が今までひた隠しにしてきた、あなたにも言えなかった秘密、それは、あなたを愛しているということです」

間違いなく彼女の筆跡。それは恋文だった。彼女から、私への……。

 なぜ彼女がその秘密を記したのかは分からない。私なら認めてもらえる、そう心を許してくれていたのかもしれない。

 私は直ぐに返事を書くことができなかった。そして偶然、そのノートの中身を他のクラスメートに見られてしまったのだ。私が運悪く落としてしまったノートを彼らは面白おかしく読んだ。勿論、彼女の告白の部分も。

 彼女は男子に歩み寄ってノートを取り返すと同時に弾けるように振り返って教室を出て行った。

 噂は瞬く間に広がった。数多の尾鰭背鰭をつけて。

 彼女は次の日から学校に来なくなった。
 そして、彼女は死んだ。

 形見分けとして返されたノートをはぐると、告白の続きに走り書きが書き加えてあるのを見つけた。

「好きになって、ごめんなさい」

もう返してはくれないことは分かってるけど、最後に私も言葉を綴る。

「私も、好きだったよ」

静かに、日記を閉じた。私たちだけの秘密が、ここに眠っている。この秘密を一生かけて守ってゆこう。この罪を一生かけて償おう。そう心に決めて、私は日記を封印した。

 あれからずっと、日記は閉ざされたままだ。

1/17/2024, 1:54:47 PM

 木枯らしに吹かれて、ギリギリ枝にぶら下がっていた枯葉がはらりと舞い落ちた。落ち葉は排水の溝に吹き溜まる。

 季節は巡る。容赦なく。

 病室から見えるつい先日までは逞しかった木。今では青々とした葉は殆ど落ちてしまって、やけに貧相に見える。まるで木まで病にかかったみたいだった。しかし、これは生命の循環に必要なプロセスなのだ。彼らは無慈悲に総て剥ぎ取られ、そしてまた自分で再生を果たす。逞しく、生きている。

 だが、人間はいくら努力したって再生はできない。一度壊れたら後は悪くなる一方なのだ。私の身体も、もう随分悪くなった。次の春を迎えられるかも怪しいという。

 仕方ないことなのだ。私が人として生きる以上。それに、私の死だって、もしかすると大いなる循環の一部であるかもしれないのだから。抗わずに、受け入れよう。

 あの木の最後の一葉が散ったら……そんなロマンチックな、どこぞのナルシストが呟いた戯言を私も心の中で反芻して感傷に浸ってみる。

 しかし、名残惜しむ気持ちとは裏腹に、喜びもあった。自分が自然の環にかえる日はもう直ぐだ。あと少しで、私は元いた場所にかえることができるのだ。

 早く散らないかしら。

 窓の外の景色をうっとりと眺める。

1/16/2024, 1:55:25 PM

 「君は美しいね」

虫けらみたいに踏み潰した彼女の残骸を摘み上げて、辛うじて原型を留めた彼女の顔面を此方に向けてから告げた。

彼女の虚ろな瞳には、もう何も映ってはいなかった。輝きを失ったそれは、どんな闇よりも黒かった。

「美しいよ、君は」

彼女の仲間は、もうとっくに撤退してしまった。此処には、私と彼女しかいない。受け取る先のない言葉が宙を泳いでいる。

私を倒そうとこの洞窟まで潜入して接近戦を始めたものの、あっという間に彼らはいなくなった。主戦力であった彼女の死によって、引かざるを得なくなった。

あぁ……。彼女の勇姿は、美しかった。

彼女の数十、いや、数百倍大きな私に怯むことなく真正面から挑んできたのだ。たった一本の剣だけで。何とも無謀な。しかし、その潔さに、私は感銘を受けた。

戦いの結果、彼女は無惨に散ったのだが。その骸さえ美しかった。

志高き勇敢な戦士の死。

さながら、空高く飛ぼうとやっと羽ばたいたその直後に羽をもがれて墜死した鳥のような。

残酷。

なんて、美しい。

私はそっと彼女を持ち上げ、洞窟の奥のコレクション棚まで運んだ。

丁寧に処理を施して、彼女の骸を透明な小箱に入れた。

それを同じ小箱を置く棚に並べる。

「君たちは美しいね」

数多の骸に向かって、優しい声をかける。


君は、こんな風に死んだね。

君の最期の言葉は、こうだった。

君は死の間際、泣いていたね。


彼女らに思い出を語りかける。言葉を返してはくれないけれど、私はこの行為に満足している。君たちの美しい死骸を、今日も私は愛でる。

美しいものは、私が大事に、大事にしてあげるからね。

1/15/2024, 1:22:56 PM

 「一体この世界にはどれだけの価値があるだろうね」

 彼は鉄柵の向こう側に立って、此方側に踏みとどまったままの僕に問いかけた。
 
 「此処は、生きているだけで地獄だ。誰にだって容赦なく襲い来る苦痛や絶望。平等なんてあったものじゃない。不平等が彼方此方に蔓延っていて、皆それに気づきはするものの見て見ぬふりを決め込む。必要なものは貰えないのに、欲しくないものは無限に与えられ、その重みで窒息寸前。なけなしの希望を抱いて浅い呼吸をする。水面から顔面だけ出して辛うじて息継ぎするような毎日」

そう言って自虐的な笑いをこぼす。彼の顔は半分以上が暗闇に溶け込んでしまっていて、もうはっきりとは見えなかった。

彼は僕に冷たい声で問うた。

「ねぇ、君は此処に価値があると思うかい?このどうしようもない境遇に抗ってまで、生きる価値があると思うかい?」

僕は答えられなかった。彼を救うための最適解を、見つけられなかった。僕は、無力だった。押し黙ったままの僕に彼は背を向ける。

「この世界に価値を感じたのは、君と出会えたことくらいだったよ」

ありがとう、そう呟いた後、彼は奈落へと身体を沈めた。

暗闇の底で、命が弾ける音がした。

1/14/2024, 1:59:06 PM

 どうして……。

 頭が真っ白になった。

 どうして、この世はこんなに無情なのだろう。

 この日の為にと新調したエイチビーの鉛筆が指から擦り抜け、からりと落ちた。手汗が酷くてそれを拾うこともできない。心臓の鼓動が周りに聞こえているんじゃないかというくらい大きくなっている気がした。だが、変に落ちついている自分もいた。動揺している僕を客観的に見ている、そんな感じ。第三者目線として宙から僕を観察している僕は、つい先程気づいた僕の過ちを冷静に思い返す。

 共通テスト、初日。

 ぜってぇ同じ大学に行こうな、と仲間に鼓舞して僕は会場入りを果たした。奇しくも試験会場が志望大学で、僕の中で一層この大学に行くのだという士気が高まった。緊張もあったが、自信はあった。これまで彼らとしてきた数多のことを思い出す。帰り道に問題を出し合ったり、画面通話で勉強時間耐久をしたり、理系の過去問の得点を競ったり……。この日の為に多くのことをしてきた。彼らは僕にとって、ライバルでもあり同志、それ以上に大きな存在、親友になった。そんな彼らと過ごした日々を無駄にはしない。そう心に決めて時を待った。

 1時間目、地理。

 歴史のページをはぐって早速見つける。大問は五つだから一つ十分で後は見直し、とこの前立てた戦略のもと、問題に挑む。

 傾向が変わったか。一番最初に日本の地形が出るとは。しかし簡単だ。すらすら、さくさく解ける。自分でも恐ろしいほど。これまでの練習の成果が如実に現れたのだ、内心歓喜した。そのままペースを崩さず、問題に気づく。

 おかしさに気づいたのは五問目に差し掛かった時だ。まだ続きがあるぞ……とページをパラパラめくって、そして気づいた。

 自分が地理Aを解いていたということに。

 まさか……慌てて自分の解いたページを見返す。

 地理A。

 頭が真っ白になった。

 理系の入試で使うのは大抵が地理Bなのだ。

 やってしまった。

 僕は天を仰ぐ。

 どうして……。

 いや、確かに過失は自分にある。地理Aは大概模試では省略されるがしかし受験上の注意にAの記載はある。問題のせいではない。僕がよく確認せず解き始めてしまったばかりに起きたミスだ。

 だけど……だけどさ……
 
 それはないだろ。それは……。

 この100点が合否を決めるってのに。

 こんなミスで人生狂っちまうなんて……。

 そんな馬鹿な話、と笑ってしまいそうになった。

 冷や汗が止まらない。

 僕は……僕はどうすれば……。

 ふと思い出したのは、仲間のこと。

 一緒に同じ大学に行くと誓った。

 行きたい、絶対に。

 急いで鉛筆を持ち直す。残り二十分。まだ、まだ間に合う。マークを思いっきり消す。

 Bを始めよう。
 
 どうして、なんて後からいくらでも言える。とりあえず今はこっちに集中だ。焦るな、自分。まだ試験自体、始まったばかりなのだから。挽回は効く。だから、焦るな。落ち着いて。落ち着け、自分。

 手の震えを抑え、正しいページを開く。一度大きく深呼吸をして、問題に目を通す——。

 *
 このお話は殆どノンフィクションです。全神経を研ぎ澄ませて挑んだ二十分間でした。

Next