「十人十色という言葉があるでしょう」
私は教卓を離れて子供たちの席に歩み寄る。
「人は、みーんな違う色を持っているのです。そして、みんな違って、みんないいのです。それを忘れてはなりません」
机と机の間をまるでファッションショーのように美しく歩く。今、とても美しいフォームだ。カツカツと鳴る靴の音が心地よい。
ねぇ、先生。
1人の女子生徒が口を挟む。この子、確か文化部所属で運動ひとつもしてないから標準体重だった。もう少し体重を落としたら美しくなるわとこの前アドバイスしたばかりだった。
「じゃあ、どうして先生は美白とか除毛とか体型とかばっかり気にしてるんですか。多様性を説く割に、自分がしてることって画一化じゃないですか。ひとつを美だと決めつけてその尺度で物事を測ってる、おかしくないですか?」
彼女の鋭い目つきから目を逸らすと、みんな、私を睨んでいた。化粧っ気のない子、腕の産毛の処理をしない子、痩せ型でない子、そんなのイマドキ可愛くないじゃない。いくら多様性だからと言って、笑われたり貶されたりする立場になりたくないじゃない。あなたたちのためを思って言ってあげてるのに。何よ、何よ、その態度は。
みんな、私と同じ色になってしまえばいいのに。
私の本心を包む美しい思想がべらりと剥がれた。
ちらほらと舞う雪に手を伸ばす。
「ゆみちゃん。雪、雪だよ!」
親友のななえは珍しいものを見たようなリアクションをしてはしゃいでいる。
何がそんなに楽しいんだか。
「雪、積もればいいのに」
彼女は手のひらで溶ける雪を名残惜しそうに見つめるけど、雪国出身の私はこの無責任な言葉を聞く度にうんざりする。
何が積もればいい、だ。積もったら雪かきも大変だし寒いし、家に篭りきりになる。いいことなんてない。
雪遊びができるなんて笑っていられるのも最初だけだ。
こういう能天気な言葉にはイライラが募る。
校門の前に理科の先生がいた。
おはようございます、彼は眼鏡をクイっと上げ、心のこもっていない挨拶をする。この人はいつも仏頂面で冷たい。私があんまり好きじゃないタイプ。
「おはよーございまーす」
ななえもななえで、気の抜けたような返事。
私たちがすーっと通り過ぎようとした時、彼がボソッと囁いた。
「こういう牡丹雪の場合はすぐ溶けて積もらないよ」
ななえが私の手を掴んで下駄箱まで走る。
「何あいつ、きっも」
息切れしながら彼女は言う。
私はその時心底気分が良かった。彼女の歪んだ顔を見られたから。追い討ちをかけるように言う。
「雪なんて積もらないよ」
ばーか、と最後に小さな声で付け足した。
親友の心を弄ぶのは、やっぱり楽しい。
君と一緒に死にたいんだ。
希死念慮に取り憑かれた彼はことあるごとにそう言う。ベッドの上から枯れ枝のような手を伸ばして、あたしの腕を掴むのだが、伸ばしっぱなしの爪が皮膚に食い込んで痛い。
「やめてよッ」
毎度のように叫んで振り解く。棒切れがシーツに沈む。
もう終わりにしたいんだ。
彼はそう言って涙を流した。
どうして、どうしていつも貴方はそうなのよ……。
心の病が悪化して、会社を解雇され、人生を悲観した彼。
そんな彼をずっと支えてきた。パートも三つかけもちで、何とか二人が暮らしていけるお金を稼いできた。
どれだけ小さな幸せでも、貴方さえいればと思って、必死に頑張っているのに。
どうして貴方はそんなことを言うの。
私はこんなに貴方と生きていたいと言っているのに。
貴方はどうして死のうと言うの。
それも、二人で死のうと。
あたしを巻き込んで。
どうして、あたしを不幸にしようとするの?
その瞬間、あたしの悲しみは抑え難い怒りに変わった。
頬のこけた彼の顔に思いっきり枕を押し付けて、無慈悲な言葉を放つ。
「ひとりで死ねよ」
冬晴れの空を見上げると、気分がいくらか落ち着いた。
正月は姑にこき使われて終わった。三が日が終われば仕事が始まるというのに、休む間も与えられなかった。
おまけにあの人ったら舅の世話まで頼むんですもの。寝たきり老人の相手だけでも大変なのに、舅は話し相手がいないからかずーっと話しかけてくる。曖昧な返事をして去ろうとすると、彼は癇癪を起こし、妻を呼びつける。そうしたら姑に白い目で見られ、ネチネチと文句を言われるのだ。
夫も夫だ。妻がこんなに雑な扱いを受けているというのに素知らぬふりでテレビを見ている。何ら面白みのないお笑いに独りだけ大笑いしている。助けを求めたら求めたで、君は嫁だろう、それくらいしてもらわないと、と困った顔で言うのだ。頭が石器時代の人なのだろうか。
あまりにも腹が立って、ガス栓を捻って家を飛び出した。もう、あんな家、懲り懲りだった。
*
冬晴れの空に、一筋の黒煙が昇っていた。
もうそろそろだろうか。
お笑い番組よりも面白くって、ぷっと吹き出した。いけないいけない、帰ったら、正月早々悲劇に見舞われた可哀想な嫁を演じないと。
冬晴れの空を、やけに美しく感じた。
私にとって幸せっていうのは、君と美味しいごはんを食べることだよ。
彼女は目を猫のように細めて言う。
それはよかった、と僕は心にもないことを言って皿を片付けた。彼女は食べ終えると、当然のように席を立ってスマホゲームを始めた。ゲームのタイトルは知っている。
「ときめきぷりん⭐︎プリンス・ファイナル」
流行りの乙女ゲームらしく、いよいよゲームも終盤らしい。推しのプリンスに貢ぎに貢ぎ、彼女は僕が二十歳からコツコツ貯めてきた貯蓄をも貪り始めた。寝る間も惜しみ、仕事もせず、画面の中の推しを見つめる。その目に、僕はもう映っていない。
彼女の幸せは、画面の中にある。
僕との幸せは、もうどうでもいいみたいだった。
*
エンディング間近、彼女は首を括った。
「彼のいない世界なんて、考えられない」
真っ白な紙に、それだけ書いて。
「彼」は、僕じゃない。
彼女の「幸せ」は、僕と紡ぐ日々じゃなかった。
やっぱり、と頬を緩める。
遺品のスマホを開いて「彼」と対峙した。
持ち得る総ての金を用いて、憎い「彼」を不幸にしてやろう。
その後、僕も首を括ろう。
彼女のもとにいこう。
それが今の僕にとっては一番の幸せなのだ。