/遠くへ行きたい/
「遠くへ行きたいな〜」
学生時代、結ちゃんが帰り道にそう言っていた。
「いいね、都会に行きたーい」
なんて私も相槌を打って。もしも行くならどの県か、どうやって過ごすか笑いながら話した。あの声をまだ覚えている。
「そういや、来月から東京に住むんだよね」
その言葉を聞いた時、問答無用に重い石が頭に降ってきたようだった。
今日もいつもの時間を過ごしていた。月に1、2回の近所のファミレスでランチ。「料理まだかな〜」なんて、本当に、何気ない会話をしていただけだったのに。
お気に入りの窓際の席、外には犬の散歩中の男性、ドリンクバーで騒いでいる少女達、隣の席から香る美味しそうな匂い。目に映る全てがいつもと同じで、向かい合った結ちゃんもいつも通り平和そのものだった。
「本当?」と聞いた私ににこやかに肯定したその顔を憎く思うなんてついさっきまでは思わなかった。
(なんでそんな普通みたいに)
同時に、ただいつもの延長線であることにも気付いた。特別な事じゃないから、こうなんだ。
「次に働くなら都会が良いって思ってたんだよね、だから思い切っちゃった」
「もう住む所も下見に行って決めてきたよー」
「あ、ネイル変えた?めっちゃ可愛い」
結ちゃんの口から次々と出てくる言葉に、適切とされる言葉と表情で返していく。ただ成立しているだけで会話じゃないみたいだ。向こうはどう思っているか知らないけれど。
あぁもう、嫌だ。裏切られたような感情、自分勝手な自分が嫌になる。でもそれだけじゃなくて。今、私はどう思っている。
言葉を投げ続けながら自分の感情を追求することは難しく、両立できずに時間が流れていく。
「あ」
陽気な音楽と共に近づいてきた存在に気づいた。
『お待たせ致しました』
ロボットから料理を受け取り、私の頼んだパスタと、結ちゃんの頼んだハンバーグを席に並べた。
なんでこのタイミングなのか分からないけど、そのほんの僅かな静寂が訪れた瞬間に、自分の感情がクリアになった気がした。
「寂しい」
するりと、私の口から飛び出た言葉が全てだった。
続けて言葉を紡げれずに意味もなくパスタを見つめる。いや、気まずいか。次になんて言おう。
「私も」
聞こえた声、結ちゃんの声にハッと顔を向ける。
その表情を見た私は、一瞬間を空けた後、体の中にある空気を全部出し切るかのように大きく溜め息を吐いた。
「はぁ〜〜……」
結ちゃんが「え、え、なに?」と動揺しているのが見て取れた。その顔をジッと見つめる。
全く、ずるいよなぁ。
(軽いのに、寂しいって言葉も本心っぽいんだもん)
はぁ、またため息を吐く。
そのままいそいそとフォークを手に取り、大きな声で宣言する。
「私の方が絶対寂しい」
ご丁寧にナイフで切り分けられたハンバーグを1つ掻っ攫い口に入れた。
「あー!!」
この間のお返し、と2週間前にされた事を仕返した。やっぱり美味しいな、ここのハンバーグ。
このくだりをもうずっと続けている。最初がどっちだか分からないくらい私たちは長く共にいた。
目の前の景色はいつものものだった。賑やかで明るい背景が似合うなって、ずっと思ってた。今も思ってる。
(さっきさ、悪く思ってごめん)
(……いややっぱりまだムカつくけどさぁ)
心の中で自問自答しながらも1つの答えは出ていた。全部含めて友達として好きなのだ。
結ちゃんと会話をする。何気ないいつもの会話だ。
ふと、声をほんの少しだけ高くしてみた。
気持ちがまだ全て伴わなくても幸せを祈ってるのは本当だから。あなたが思い返したこの時間が、楽しい記憶に収められるように。
記憶の私は明るい声でいてほしくて、そんな自分に近づけるように。
/涙の理由/
放課後。教室に入る前に、ドアのガラス箇所からなんとはなしに中の様子を伺うと、二階堂君が机に突っ伏して寝ているのが目に入った。夕日が差し込んでオレンジの教室にいる彼は、一人でいるより独りに見えた。あまり放課後に残るイメージが無いからだろうか、珍しいなと若干の疑問がありつつガラッとドアを開ける。
瞬間飛び込んできた音に耳を疑う。
鼻をすする音。しゃっくりをあげる音。
(やばい)
二階堂君が泣いている。
ドアの音に反応したのか、夕日に照らされた背中がビクッと動いた。
暫し、私と二階堂君の時が止まったような気がした。その間、私は次の行動を考えていた。
ここで引き返すか。いや、引き返さない方が正解なのか。声掛ける方が自然か、いやでも。あ、まずい、目が合った。
「ごめん。問題集取ったら直ぐに帰るから」
まじでごめん本当にごめん、と思いながら急いで自分の席に移動する。
どこにやったっけな、と机の中をゴソゴソと漁っていると、どうやらその間に体勢を整えたのだろう二階堂君が声を掛けてきた。
「いや、こっちこそビックリさせてごめん。問題集って数学の?」
「あ、そうそう。宿題出てたのに忘れてて」
「取りに戻るの偉。葉山真面目だよね」
「全然全然、本当に全然全然」
「何回全然言うの」
ハハッと二階堂君の笑い声が聞こえて、思わず顔をそちらに向ける。
「確かに。全然言い過ぎた」
一連の行動が本当に気遣いの人だよなぁ、と思ってその優しさに甘えて私もちょっと笑った。
私と二階堂君はそこまで仲良くない。いちクラスメイト、そんな付き合いだ。彼の目元が赤くなった理由は、部活で何かあったか、家族で何かあったか、噂で隣のクラスの子が好きって聞いたからその事か。全部予測でしかなくて、本当のところは分からない。
話しながらも引き続き手を動かしていると、お目当てのものを見つけれた。
問題集あったから帰るね、と二階堂君に言うと遠慮がちに名前を呼ばれる。「さっきのさ、」と聞かれたところで言い出す事が分かったから、
「うん、おっけー」
と返事をすると、二階堂君は一瞬呆けた後また笑った。
「まじ葉山で良かったわ」
帰り道。一人歩きながら、やっぱり教室に入ったこと申し訳なかったなと思い呻き声が漏れる。あの場所での最適解はなんだったのだろうか。彼はまだ泣いているのだろうか。涙の理由を私は知らない。
角を曲がると丁度夕日が眩しくて思わず目を瞑る。
瞑った目の奥で、オレンジ色のあの背を思った。
/星座/
「―――その為、本日は秋の星座が非常に見えやすい条件となっております。ぜひ、屋外に出て星を楽しんで見てください。以上、天気予報でした」
天気予報の通り、星々が沢山見える。夜の散歩をするようになってから随分経つけど、ここまで星が見えることはあまり無いから新鮮だ。冷たい透き通ったような空気を吸い込むと、余計に夜を実感した。
私の家族である犬の風太も、私と同じく遠く前にある空を静かに見据えていて、星を眺めているように見える。
風太はあんたに似ている、と母は言っていた。物静かな性格が似ているのだそうだ。独り言のような冷めた声が印象的でたまに思い出す。確かに、私は口数が多くないし、風太も鳴き声を滅多にあげない。
「風太、星が綺麗だね」
名前を呼ばれたからか、先を歩いていた風太がこちらに戻ってきたのでわしゃわしゃと撫でる。そのまま抱え込んで、私の顔より上の高さまで持ち上げると、意図を汲んだのか風太は上を見上げた。
「もっと近くに見えるでしょ!」
わふ、と鳴き声を聞いて私は笑った。
大人しいと評される私たちの散歩は、いつも結構賑やかだ。
「あの4つの星が、秋の四辺形。それと、他の星を結ぶとペガサス座になるんだよ」
「一番明るい星はフォーマルハウト。みなみのうお座の一等星」
ずっとの抱っこは腕に限界があり、途中からは公園のベンチでふたり座って話していた。
でも、そろそろ帰る時間だ。
「風太」
名前を呼ぶと、いつも顔を向けてくれる。それに今までどれだけ助けられてきたんだろう。
「帰ろっか」
あの家に帰りたくない。けど帰らなければ。
私はまだ、子どもだから。
ぼんやりと私を見上げた風太は賢く、素直にベンチからトスッと降りた。私も立ち上がる。
同時に風太が、わふ、と声を上げた。何故だか、その声が「大丈夫?」と言っているように聞こえて、多分そう言っていたから、私は「大丈夫」と声に出した。
帰り道、行きよりも歩くスピードが遅いのはいつもの事だ。リードから伝わる振動をどこか暖かく思う。「今年も秋は短いのかな〜」「冬になったらおおいぬ座やこいぬ座も見ようね」なんて何でもない話をしながら、相槌を打たれながら、あともう少しだけ星の夜の散歩は続く。
世界の終わりに君と昼寝をする約束をした。
「寝ようと思って寝られるもの?」
「いやー難しいでしょ。だから睡眠薬用意してるよ」
拍手を貰い良い気になったところで、親友に薬を渡し、せーの、で同時に飲んだ。
やわらかい布団に横になる。
外の桜は満開で、快晴の春。だと信じたい。ふすまを閉めて、畳の部屋に閉じこもっているから外がどうだか分からない。最期の部屋に用意したのは、布団と時計とイルカのぬいぐるみ。
「このぬいぐるみでかいね」
「うん。いつも抱き枕にしてる」
ふーん、とイルカのヒレをふかふかと触る親友は、随分興味がありそうに見えた。
「可愛いでしょ。握って寝て良いよ」
と、伝えると親友はそれから暫しイルカを揉んだ後、「やっぱり良いや、ありがとう」と言って、代わりに私の手を掴んだ。
別に嫌ではないし、なんなら耐えきれない寂しさがあったから、私も素直に手を繋いだ。
「まぁ最期だからね」
「うん、最期だもんね」
親友の手は、とても温かかった。
これから冷たくなるって、そんなの知らない。この温かさは多分私の中で永遠になるのだろう。
ぎゅっと力を入れたら、握り返してくれた。
うん、今この瞬間が永遠だ。
/世界の終わりに君と
/たそがれ/
河川敷の原っぱに横になってみた。漫画とかではよく見る光景だけど、実際のところこの場所でくつろいでいる人はそんなに見かけない。単純に、汚れてしまうからだ。
だけど今日の俺は、髪に、服に、土が付着することを気にもしなかったから関係の無いことだった。むしろ、こうしていたかったような気がする。
オレンジ色を帯びた雲達を眺めながら考える。
ハッキリとはしないけど、何故か俺は俺の事が嫌いだった。自分を傷つけたいのに、実行が出来ない。
そうして逃げ込んでここに来て、髪や服を汚した。なんというか、全体的に小さい人間なのかもしれない。
たそがれ時はもう終わる。夕暮れは暖かい。眩しくて嫌になるのに、どこか安心している自分がいるのも分かって、どうすれば良いか分からなかった。ただ、今ここに来たのは紛れもない自分の選択だった。