いろ

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12/12/2023, 3:25:27 AM

【何でもないフリ】

 君のいる喫茶店が、嫌いだ。蓄音機から奏でられるクラシック音楽は静かすぎて眠たくなるし、暗い室内は鬱陶しくて早く外の青空が見たくなる。挙げ句の果てに産地がどうのと君がこだわるコーヒーは、どれを飲んだって苦いばかりで美味しくなんてない。だけどそんなことを口にしたら「じゃあわざわざ来なければ良いのに」と呆れられるから、僕はいつも無言でコーヒーカップを傾けて、舌の上に広がる苦味を呑み下す。
 毎週土曜日になるたびに、クラシックの荘厳さも、落ち着いた店内も、コーヒーの苦味と酸味も、全部理解してる素敵な大人ですよって顔をして、僕は君の築いた君の大好きなものに囲まれた城へと入り浸るのだ。
「いらっしゃいませ」
 そう微笑んでくれる君の笑顔が見たいから。今日も僕は、何でもないフリで嘘をつく。

12/11/2023, 4:08:23 AM

【仲間】

 無機質な銀色のドックタグの表面を指先でなぞる。俺たちの関係はただの士官学校の同期で腐れ縁。仲間意識なんてお優しいものは互いに持っていなかった。だけどそれでも。
 大丈夫だよと明るく笑ったお前の顔が、脳裏にこびりついて離れない。帰ってこいと言ったのに。約束したのに。なのに何で。
「っ、この大馬鹿野郎……!」
 手のひらの中に握りしめたドックタグの冷たさが、やけに皮膚に残る。じわりと滲んだ視界には気が付かなかったフリをした。

12/9/2023, 11:58:50 PM

【手を繋いで】

 洞窟の影で身を潜めていれば、聞き慣れた声が僕を呼ぶ。安堵とともに顔を出せば、パタパタと足音が駆けてきた。
「良かった! 無事だったんだね」
 出会った頃よりも随分と大人になった君は、それでも出会った頃と同じ無邪気さで僕の手を取った。
「猟師が森に入ったって聞いて、心配したんだよ」
「大丈夫だよ。隠れるのは得意なんだ」
 宥めるように微笑みかければ、君はギュッと僕の手を握り込む。その指先が冷たく震えていた。
「知ってる。知ってるけど、心配くらいさせてよ。君は私の、大事な友達なんだから」
 ニンゲンなんて、大嫌いだった。森に迷い込んできた幼い君の前に姿を現したのだって、怯えさせて追い払ってやろうと思ったからだ。だけどそれでも、半獣半人たる僕を見て綺麗だと笑った君は。友達になろうと手を差し伸べてくれた君のことだけは。特別で、大切で、愛おしいんだ。
 村長の一人娘と、村で恐れられる獣の子。正反対の僕たちは、それでも手を繋いで生きていく。いつか一緒に、日の当たる下を歩こうね。そう約束してくれた君の白く美しい手を、僕も無言で握り返した。

12/9/2023, 1:38:59 AM

【ありがとう、ごめんね】

 ごめんね。そう謝れば君の瞳に少しばかりの苛立ちがよぎった。早朝の駅のホームに、波の音が大きく響く。目の前に広がる海の水面を、昇ったばかりの朝日がキラキラと輝かせていた。
 遠く電車の音が聞こえる。このホームに電車が訪れ、それに二人で乗り込んだら。もう僕たちは戻れない。味方なんてどこにもいない二人きりの逃避行を始めるしか、ない。
 僕と出会わなければきっと、君はこの村で幸せに生きていくことができたのに。村の皆から腫れ物のように扱われ、無視という名の暴力に晒され続けた僕を助けようなんてしたから、君まで逃げ出すしかなくなった。
「謝らないで。私だって、あなたのことを傷つけ続けたこんな村で生きるのなんて、ごめんなんだから」
 きっぱりと君は断言した。吹き抜ける潮風に君の髪が美しくなびく。凛と光る誇り高い眼差しで、君は僕へと微笑んだ。
「謝るくらいなら笑ってよ。私はあなたの笑顔が見たい」
 ああ、君がそう言ってくれるから。僕へと手を差し伸べてくれるから。僕はまだこの世界で生きていたいって、そう願えるんだ。
「……ありがとう」
 ごめんね。続けかけた言葉を飲み込んで、どうにか笑顔を浮かべてみせた。君の人生を狂わせてしまったことを、きっと僕は後悔し続ける。それでも君と、手を重ね続けたい。君と二人で、生きていきたい。
 ゆっくりとホームに停まる一両編成の短い電車。ボタンを押してその扉を開き、僕たちは生まれ育った村から逃げ出した。

12/8/2023, 5:59:44 AM

【部屋の片隅で】

 ひくりひくりと声を殺して、君が泣いている。泣かないで、私がいるよ、そう君の頭を撫でてあげたくても、透明な私の手は君の身体をすり抜けてしまうのだ。
 ごめんね、ずっと守るよって言ったのに。一緒にいるよって約束したのに。君の左の薬指にはめられた銀の指輪が心臓に痛い。私が死んでもう三年になるのに、君は今でも私が贈った指輪を纏い続けている。
 朗らかで、賢くて、決して折れない心の持ち主……そんな君はただの取り繕われた幻想に過ぎなくて、本当の君が寂しがり屋の愛されたがりだってこと、私だけは知っていたのに。
(お願いだから、もう。私のことなんて忘れてよ)
 一人きりになった瞬間、堰が切れたように涙をこぼし始める君のことを、だだっ広い部屋の片隅で見守り続けることしか、今の私にはもうできないのだ。

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