いろ

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9/17/2023, 11:28:03 PM

【花畑】

 色とりどりの花々が、まばゆい太陽の光を受けて無数に咲き乱れる。その真ん中でそっと、祈るように膝を折った人の後ろ姿へと僕は声をかけた。
「陛下、そろそろお時間です」
 ようやく他国からの侵略を退けたばかりの今のこの国にとって、復興会議は何よりの優先事項だ。遅刻など決してさせるわけにはいかない。
「……ああ、わかっている」
 そよそよと吹く風が可憐な花々を揺らす。静かに振り返ったその方は、いつものようにうっすらと微笑んでいた。その瞳の奥底へと、孤独と悲哀を封じ込めて。
 咲き誇る花々の一つ一つには、この方の手で名前がつけられている。王のためにと戦場に赴き、そうして死んでいった者たちの名が。
 この花畑は、棺そのもの。国を導き民を守る立場にありながら救うことのできなかった命の数を、ほんの少し時間ができるたびに僕たちはこの場所で再確認する。
 清らかな花の形をした罪の証を、これ以上増やすことのないように。彼らの犠牲に見合うだけの未来を、せめて実現するために。陛下はまだ玉座に腰掛け続け、僕はその傍らに第一の側近として立ち続けている。
 真っ直ぐに背筋を伸ばして会議場へと向かう陛下の半歩後ろに付き従い、僕は美しき花畑に背を向けた。

9/16/2023, 11:02:10 PM

【空が泣く】

 降りしきる雨を見て、まるで空が泣いているみたいだねと言った人がいた。乾ききった私の頬に白い指先で触れながら、慈しむように微笑んだ人。
「きっと君の代わりに、空が涙をこぼしてくれているんだよ」
 柔らかな声が耳元でよみがえった。あまりにも空想的で幼稚な発想だ。私の中からは悲しいという感情が、最初から欠落している。泣きたいと思うことすらないのだから、空どころかたとえこの世の誰であっても、私の代わりに泣く機会などありはしないのに。

 ぽつり、ぽつりと、晴れた空から雨が落ちてくる。ああ、君はまた空が私の代わりに泣いているなんて馬鹿げたことを言うのだろうか。血溜まりに沈んだ君の肢体を見下ろしながら、そんなことを考えた。君の胸を刺し貫いた自分の腕にこびりついた生温かさが、妙に気持ちが悪い。
 依頼があれば誰の命だって奪い去る。それが私の仕事だ。たとえ標的が君であっても躊躇なんて抱かない。そんな心は生まれた時から、私にはない。ああ、なのにどうして。
 雨粒が私の頬を打つ。湿ったその感触が、ぽっかりと空いた私の心の空洞をやけにキリキリと締めつけた。

9/16/2023, 12:24:33 AM

【君からのLINE】

 ぴこんと軽い音を立ててスマホの真っ黒い画面に通知が浮かび上がる、飛びつくようにそれを見て、どうでも良い企業の名前とセールのお知らせという文言にため息をついた。
 駅前の時計台の下、待ち合わせの時刻はもう三十分を過ぎている。十分前にはいつも来ている君が連絡もなしにここまで遅れるなんて初めてのことだ。何かあったのではないかと思うと気が気じゃなかった。
 ダメだ、もう我慢の限界。とにかく様子を伺いに君の家へ向かおうと改札へ足を踏み出したところで、スマホがもう一度短い音を立てた。
 目に飛び込んできた君の名前に、反射で通知をタッチする。ごめんと一言だけ送られてきたメッセージのあとに、ポツポツと短いメッセージが連続で続いた。普段はしっかりとまとまった文章を送ってくる君には珍しい。
 本当にごめんなさい。寝坊しました。待たせてるよね。ごめんなさい。延々と謝り続けそうな君のメッセージに、安堵の息をこぼした。なんかもう、事故とか事件に巻き込まれたんじゃなくて本当に良かった。君からのLINEにここまでホッとしたのは人生で初めてだ。
 大丈夫だよ、駅ビルの喫茶店で待ってるね。それだけを返してスマホの画面を消す。たぶんバタバタと身支度をしているだろう君に、余計な時間を取らせるのも申し訳ない。
 私としては君が無事なら他のことはどうだって良いのだけれど、きっと君は真っ青な顔で走ってくるのだろうから。少しでも罪悪感を消してあげるために、豪華なパンケーキでも頼んでおいて、君に奢ってもらおうか。そんなことを考えながら、私は軽やかな足取りで踵を返した。

9/14/2023, 10:05:22 PM

【命が燃え尽きるまで】

 物心ついた時から、命の灯とも呼ぶべきものが見えていた。街の自警団のお兄さんの灯は、キラキラと輝く鮮やかな赤色。近所の魔導士のおばあちゃんの灯は、暖炉のような穏やかで優しい橙色。そうして貧民街の片隅で、ひどく咳き込みながら苦しげな息を継いでいる人の灯は、今にも枯れてしまいそうに弱々しく揺らいでいた。
 どうして私の目に命の在り方が見えるのかはわからない。こんな能力要らなかったのにと嘆いたこともあったけれど、魔導士のおばあちゃんはそんな私の頭を優しく撫でた。
「良いかい、生まれ持った才能というのは神様からの贈り物だ。きっといつか君の人生に、その能力が必要な日が訪れる。だから君はその目を大切に生きなさい」
 そう微笑んだおばあちゃんの灯は翌日、蝋燭の火がぷつりと途切れるようにかき消えた。
 ねえ、おばあちゃん。私はずっと、貴女の言うような日は来ないって心のどこかで思っていたよ。でも、違ったね。正しかったのはやっぱり貴女だった。

 パチパチと音を立てて、命の灯が燃えている。自身の魂をすり潰す禁断の魔術を行使する君の命が、美しく燃え盛る。
 村を壊滅させた大厄災に復讐したいのだと、仄暗い瞳で告げた魔剣士。君の姿を一目見た瞬間に理解した。私のこの能力は、大厄災を退けた英雄として向こう百年謳われるであろうこの人の生きた証を、彼の本当の苦悩と誇り高き生き様とを、語り継ぐためにあるのだと。
 君の剣が目の前の魔物を両断する。もう魔術は解いてはずなのに、そんなのお構いなしに荒々しく燃え続ける君の灯を宥めるように、手元のリュートを奏でた。ほんの少しでも君の苦痛を減らすことができるように。君の命が僅かでも長く保つように。
 ……君の命が燃え尽きるまで、私は君の隣に立ち続けよう。その美しく儚い命の灯の在り方を、心より慈しみながら。

9/13/2023, 10:36:26 PM

【夜明け前】

 しんと静まり返った夜の気配。空にはわずかばかりの白銀の星が瞬いている。大きく息を吸い込めば、凛とした冷ややかな空気が私の肺を満たした。
 ちらりと背後を窺えば、君はまだ洞穴の中で身を小さく丸めて眠っている。その表情が穏やかなことに安堵した。どうやら悪夢に魘されてはいないらしい。
 この夜が明ければまた、追っ手を撒きながら逃げなければならない。王族の生き残りである君が、革命軍の連中に見つかればどうなるか。民衆の大歓声の中で首を落とされた陛下の姿を思い出せば、想像にかたくなかった。
(大丈夫。君は絶対、私が守るから)
 腰の刀に手を添える。異国の生まれである私を、決して差別することなく実力だけで正当に評価してくれた人。君が私に手を差し伸べてくれたから、私は異邦の地で生きてこられた。その恩は絶対に、裏切らない。
 静寂に包まれた夜の森は、記憶の根底に焼き付いた郷里の景色にもどこか似ている。――君を必ず、私の故郷まで亡命させる。強固な覚悟を胸に、私は夜明け前の静穏なひとときに身を預けた。

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