いろ

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7/29/2023, 10:31:42 PM

【嵐が来ようとも】

 永遠の楽園というものを、果たして人々は信じるだろうか。季節が巡ろうとも変わらずに春の花々の美しく咲き誇る一面の花園を目前に、僕は小さく息を吐いた。
 こうして楽園は実在するというのに、それを世間で口にすれば僕は頭のおかしい異端者として爪弾きにされるのだろう。あまりの馬鹿馬鹿しさに乾いた笑いが込み上げてくる。
「いきなり来たと思ったら突然笑い出すとか、さすがに怖いんですけど。不審者として通報しますよ?」
「通報先がどこにもないでしょ。君の声を聞いて君と言葉を交わせる人間なんて、ほとんどいないんだから」
 いつのまにか目の前に立っていた小柄な人影の辛辣なセリフに、こちらも嘲るような口調でわざと告げる。軽快な口論はいつものこと、出会い頭の軽いジャブだ。
 この世ならざる美しさをもつ、男とも女ともわからぬ神秘的で不可思議な子供。この楽園の管理者にして支配者。君と話すことができるのは、楽園の存在を心から信じているものだけだ。――信じないものは認識できず、存在しないことになる。それが人間の脳の限界なのだから。
「で、今日はどうしたんです? こんな時間にくるなんて珍しい。お仕事はサボりですか?」
 少しだけ君の声が真剣さを帯びる。案じてくれているのがわかるから、下にあるその頭を軽く撫でた。
「んー。なんか今日、外は大嵐なんだよね。仕事どころか生命の危機レベルの」
 いったい何人が川の氾濫や家屋の倒壊に巻き込まれて命を落とすのか。それを考えるとひどく憂鬱だった。
「ええ、まさかここを避難所がわりにしたんです? 長い経験の中で初めてですよ、そんな不遜な人間」
「お褒めに預かり光栄だよ」
 じとっとした君の視線を、軽やかに微笑んで受け流した。たとえ嵐が来ようとも、この楽園の光景は何一つ変わらない。外界の全てから隔絶されたこの場所にいる限り、僕の身の安全は保証される。
(教えてあげても、誰も信じないんだろうけど)
 だから薄情な僕は、この場所の存在を誰にも明かさない。一人だけ安全な場所で嵐をやり過ごす。君との軽妙な会話を楽しみながら。
 荒れ狂う嵐など感じさせない、花々に満たされた永遠の楽園で、僕は穏やかな時間に身を委ねた。

7/29/2023, 5:40:45 AM

【お祭り】

 ざわざわと騒々しい人々の声と、祭囃子の音色が重なり合う。吊り下げられた橙色の提灯が、並んだ屋台を鮮やかに照らしていた。夏祭りの夜は熱気に溢れ、いつも以上に蒸し暑い。屋台で買い込んだ食事を詰め込んだビニール袋を揺らしながら、僕は慣れない下駄で人並みを掻き分けた。
 森の奥へと続く脇道へと抜ければ、一気に人の気配がなくなる。木々が運ぶ風は清涼で、いつしか喧騒もすっかり遠ざかり僅かな祭囃子の音色と僕自身の足音だけが、ゆったりと鼓膜を揺らしていた。
「来たよ、久しぶり」
 朽ちかけた祠の前で声を張り上げる。そうすると祠の影から人影が覗いた。昔は随分と大人に見えていた姿は、今ではあどけない子供のそれにしか見えない。その事実が少しだけ寂しかった。僕に流れる時間と君に流れる時間は異なるのだと、改めて眼前へと突きつけれているようで。
「やあ、久しぶり。今年も飽きずに来たんだね」
 柔らかく微笑んだ君へと、ビニール袋を差し出した。焼きそば、たこ焼き、フランクフルト。一人で食べるには多いけれど、二人で食べるにはちょうど良い。
 君がどういう生き物なのか、厳密には僕は知らない。お祭りの夜にしか姿を見せない、僕の人ならざる友人。幼い頃にこの祠の前へと迷い込んでから毎年、こうして君のもとを訪れては、横並びで地面に座り込み言葉を交わす。それだけで僕には十分だ。
 遠く響く和太鼓と笛の音に耳を澄ませながら、僕は一年に一度だけの君と過ごすひとときに身を委ねた。

7/27/2023, 11:27:53 PM

【神様が舞い降りてきて、こう言った】

 うだるように暑い夏の日だった。いつものように路地裏で座り込みぼんやりとしていた僕の前に、その人が唐突に現れたのは。
 雪のような純白の髪を持つその人は、僕が今まで見てきたどんな人よりも美しく清らかで、夏の暑さなど感じさせない涼やかな空気を纏っていた。まるで神様が天上から舞い降りてきたかのように、世界の一切から隔絶された人だった。
 そうして神様は僕の前へと膝を突き、僕の頬に両手を添えた。氷のように冷たい手が、火照った肌に心地良い。神様は僕の瞳を正面から捉えながら、ゆっくりとその唇を持ち上げて――。


「ねえ、お腹すいたんだけど!」
「あと10分待ってくださいってさっき言いましたよね!? 待てもできないんですか、犬以下なんですか貴方は!!」
 ソファに寝転がったその人の催促に、思わず怒鳴り返していた。こっちが必死に夜食を作ってやっているというのに、なんて横暴な人なんだ。あの日差し出された手を取ってしまったことを、後悔しそうになる。
 だけどそれでも、この人は僕に全てを与えてくれた。路地裏で身を潜めることしかできない最底辺の人間とも呼べぬレベルの存在だった僕を、拾い上げ、教育し、側においてくれた。
 神様なんて呼ぶのも烏滸がましい、破天荒で自分勝手な人ではあるけれど。それでもそれだけは事実だから、どんな無茶な要求にも答えたいとつい思ってしまうんだ。
 フライパンをさっと振って、僕は叩きつけるようにコンロの火を消した。


「やばい、顔が最高に好みなんだけど」
 僕の目の前に舞い降りてきた神様は、世俗と私欲に塗れた声で、あの日そう高らかに口にした。それが僕の、新たな人生の始まりだった。

7/26/2023, 10:25:28 PM

【誰かのためになるならば】

 放課後の生徒会室。君と二人向かい合わせで、書類の束をぱちぱちとホッチキスで挟んでいく。午後5時を告げる音楽が、開け放たれた窓の向こうから流れていた。
「ごめんね、こんな時間まで付き合わせて」
 申し訳なさそうに眉を下げた君へと、私は軽く肩をすくめてみせる。その間も書類を捌く手は止めない。
「良いよ、別に。誰かの役に立てるのは嫌いじゃないし」
 明るく口にすれば、君は少しだけ眉を寄せた。困ったような、それでいて何かを咎めるような視線。そうして君は小さくため息を吐き出した。
「君のそれは美徳だとは思うけど。誰かに騙されて良いように使われてないか心配だよ」
「いやいや、そこまでお人好しじゃないし」
 というかそっくりそのまま同じ言葉を、本当は君に返したいんだけど。明日の全校集会で配る書類の準備を先生方に丸投げされて、文句も言わずに一人で黙々と片付けようとしていた生徒会長様のほうが、私なんかよりよっぽどお人好しだろう。
 誰かのためになるなら、それって良いことでしょ。なんて言って、私は君が一人で引き受けた仕事の大半に手を出しているけれど。だけど本当に私が助けたいのは『誰か』なんて漠然とした存在じゃなくて『君』だけだ。君のためじゃなければ、こんな面倒な仕事を手伝ってなんてやるものか。
 だけどそんな素直な本音を口にすれば、きっと君は萎縮して私の手伝いを断ろうとするだろうから。だから私は君の前でだけ、誰かの助けになりたい博愛主義のお人好しを演じている。
「さっ、とっとと片付けよ」
 にっこりと笑って、止まってしまっていた君の作業を促した。橙色の夕陽が、窓の向こうの空を鮮やかに染めていく。ぱちんと私の手元で、ホッチキスが軽やかな音を立てた。

7/25/2023, 10:33:19 PM

【鳥かご】

 僕の家には大きな鳥かごがあった。屋敷の一番端に建つ塔の最上階、天井から吊り下げられた精緻な細工の金色の鳥かごの中には、海のように深い青の瞳を持つ、背中に大きな純白の翼を生やした人間が端座していた。
 後継ぎの役目だからと、僕は幼い頃からその『鳥』の世話を任じられていた。食事を用意し、かごの中を掃除する、その程度の仕事だった。
 昔は疑問にも思わなかった。だけど学校に通い、外の人たちと関わり、僕はこの習慣を疑問に思った。だっていくら異形とはいえ、あの『鳥』は人間だ。言葉を交わしたことも何度もあるし、僕が自分のデザートに用意されたジェラートをこっそりと持ち込んだときには本当に嬉しそうに笑ってくれた。人間をかごの中に閉じ込めておくなんて、どう考えても間違っている。
 厳格な両親に直接訴えるほどの度胸はなかった僕はある日、鳥かごの鍵をわざと閉めずに学校へと向かった。ご丁寧に窓まで開けて。これできっとあの『鳥』は、大空へと飛び立っていくだろう。両親にはこっぴどく叱られるだろうが、うっかりしていたと平謝りすれば良い。
 達成感半分、ずっと一緒だったあの『鳥』にもう会えない寂しさ半分で、学校から戻って真っ先に鳥かごへと駆けた。夕日の差し込むかごの中、白い翼の君は変わらずそこに佇んでいた。
「……逃げなかったんだ」
 思わず小さく呟けば、『鳥』は静かに空へと視線を向けた。
「この異形の体では、外に出ても見せ物にされるだけだ」
 諦めたような声だった。そうしてその『鳥』は不意に僕へと視線を移す。美しい紺碧の瞳には、僕の姿が無機質に反射していた。
「それに、私が逃げればそなたが罰を受けよう」
 柔らかく、花が綻ぶように君は微笑む。開け放たれた鳥かごの中、端座したままの君へと僕はそっと手を伸ばした。
「なら、いつか。僕が君を外へ連れて行くよ。堂々と大手を振って君が外に出られるような場所に、この世界を変えてみせる。だからそれまで、ここで待っていて」
 差し出した小指に、君は指を絡ませなかった。ただ慈しむような眼差しで僕を見つめた。
「期待せずに待つとしよう」
 寂しげな声色の影に潜む、祈るような優しい響き。力強く頷いて、僕は鳥かごの扉を閉めてかちゃりと錠をかけた。

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