【友情】
カップルで溢れ返る夜の街を、君と横並びで歩いていく。花火大会があるとかで浴衣を着た人々が異常に多い。道端に並んだ屋台からの呼びかけに、私は思わずくすりと笑ってしまった。
「どうしたの?」
「いや、面白いなって。彼氏さんとか彼女さんとか、まるで私たちが恋人同士みたいな呼び込みされるの」
右手にぶら下げたエコバッグには、色気も何もあったもんじゃないおつまみの詰め合わせ。君のリュックサックにはビール缶が詰め込まれている。これから花火大会の音だけを聴きながら、楽しい楽しい宅飲みタイムだ。
「もし私たちの性別が同じだったら、同じように歩いていても友達同士だなって判断されるわけでしょ? 世の中の先入観って面白くない?」
「まあ、そんなもんでしょ。僕たちのことは僕たちがわかってればそれで良いんだよ」
私たちの間に恋情なんてものはカケラもない。男女間の友情は成立しうるかなんて世間では議題に上がるらしいけれど、少なくとも私たちの間ではそれは間違いなく成立する。君の恋を私は本心から応援しているし、私がいつか恋をしたならきっと君も全力で背中を押してくれるだろう。
「ま、それはそうだね。世間一般にどう思われようが、私たちには関係ないし」
世の中の言う『普通』の枠組みに自分が入れないことなんて昔からよく知っている。明るく笑い飛ばして、私は誰よりも信用している親友の背中を戯れ程度に軽く小突いた。
【花咲いて】
恋に落ちることを、まるで花が咲くようだと昔の人たちは歌ったけれど。いくら古典の教科書をめくってみても、私にはいまいちその良さがわからなかった。
だって花なんて一年中何かしらが咲いている。それを恋に喩えるなんて、まるで恋なんてありふれたものだと言われているみたいだ。
「そうかな? 僕はけっこう好きだよ、昔の日本人のこういう感覚」
だけど君は、そう柔らかく微笑んだ。教科書に印刷された三十一文字を指先でそっとなぞりながら。
「花を見るとさ、世界の全てが美しいもののように思えて気分が明るくなるじゃない? たぶん恋って、そういうものなんだよ」
放課後の教室。差し込む橙色の夕陽が、君の横顔を照らし出す。伏せられた長い睫毛が、その目元に僅かばかりの影を落とし、君の姿を憂いげに彩っていた。
どくんと心臓が跳ねる。見慣れた君の顔が、教室が、まるで世界で一番美しいものみたいだ。ああ、これはまるで。
(キンセンカの花、みたいだ)
鮮やかで美しいのに、ギリシャ神話の悲しい恋物語を逸話に持つ花。幼馴染だからこそ知っている。私のこの恋は、実らない。
「ふうん。やっぱり私にはよくわからないや」
ひっそりと咲いてしまった花を、君に知られることのないように。幼馴染として君の隣にい続けることができるように。気のない返事を必死に取り繕った。
【もしもタイムマシンがあったなら】
大真面目にノートパソコンと向き合い、レポートを作成している君の横。ソファにごろりと仰向けになって、スマホでアニメ映画を観ていた私は、映像がエンドロールに差し掛かったのを見てとって片耳のイヤホンをぽいと外した。
タイムマシンに乗って過去へ行き、恋人が刺し殺されるのを防ぐために奔走する男の子の物語。去年大流行したけれど結局観には行かなかったそれを、せっかくサブスクで観られるならと再生してみたけれど。
「観終わった?」
君の問いかけに「うん」と頷く。それなりに面白かったけど、去年友人に誘われて観に行った君が「もう一度は観なくて良いかな」と言っていた理由はわかったような気がした。
「もしタイムマシンがあったら、私やってみたいことあるんだよね」
なんとはなしの雑談で口にすれば、君の視線がしっかりと私を向いた。
「君と会った日に戻ってさ」
ぴくりと君の肩が震えた。少しだけ不安そうに下がった眉。出会わなければ良かったとでも言われると思っているのだろうか。くすりと笑って、手の中のスマホを示してみせた。
「君が思いっきり自己紹介で噛んだところ、動画で撮っておきたい」
完璧な優等生の君があんな失態をするところ、あれ以降拝んだことがない。知ってたら絶対、事前に録画ボタンを押しておいたのに。
「ははっ、なにそれ」
安堵したように君が噴き出す。ケラケラと声を上げるその自然な笑い方が、私は世界で一番好きなんだよ。心の中だけでそう囁いた。
【今一番欲しいもの】
高級なジュエリーに、有名ブランドのストール、開店から30分で売り切れると噂のシュークリーム。スマホで情報を集め始めてからもう二週間になるのに、君が喜びそうなものが何一つとしてわからない。タイムリミットまであと三日。諦めて腹を括り、僕はオンライン対戦ゲームに勤しむ君の手が止まる隙を待って、緊張で震える声を絞り出した。
「あのさ、欲しいものとかって何かある?」
ぱちり。君の大きな瞳が驚いたように瞬く。壁掛けのカレンダーへとちらりと視線をやり、そうして君は納得したように意地悪く笑った。
「ああ、なるほど。まさかの本人に聞いちゃう系?」
「……どうせなら本人が欲しいもののほうが良いでしょ」
三日後は、君がこの世に生まれた日。誰かの誕生日を祝いたいなんて思うのは人生で初めてで、何を選んでも君が喜んでくれないんじゃないかって不安になって、結局こんな直前まで何も買えずじまいになってしまった。手持ち無沙汰に両手を膝の上に重ねて、ぎゅっぎゅと握る。と、君の手が僕の手へと重ねられた。
「私が今一番欲しいものは、君が死ぬほど悩んで迷って、これを私に贈りたいなって選んでくれたものだよ」
小悪魔のように悪戯っぽく、小首を傾げて君は笑う。可愛らしいその笑顔に、頬がカッと熱くなった。
「っ、せいぜい期待してなよ。絶対喜ぶもの贈ってやるから」
「ふふっ、楽しみにしてるね」
微笑ましいものでも見るような君の柔らかな声に背中を押されるように、手元のスマホに視線を落とす。……君が好きそうかとか、世間的に誕生日の贈り物って何が定番なんだろうとか、そういうことばかりずっと考えていた僕は、もしかしたら大切なことを見落としていたのかもしれない。
僕が君に贈りたいと思うもの。君に受け取ってほしいと思うもの。温かな気持ちでもう一度、ブラウザのブックマークを開き直した。
【私の名前】
ゆったりと暗闇に漂っていた意識は、君の呼び声ひとつで覚醒する。現実へと姿を浮上させれば、目の前には血の涙を流す女が立っていた。
私を呼んだということは、祓って良いということだろう。君を背後に庇い、腰の刀を一閃。それだけで女の霊はあっけなく掻き消えた。
「これで良かったか?」
「うん、助かったよ」
人畜無害な顔でニコニコと笑う君のえげつなさを、私はよく知っている。堕ちた霊に対しては一切の同情がなく、どれほど身の上話を聞かされようとも躊躇なく私に祓わせるのだ。……そうでないときっと、視えてしまう君はこの世界で生きてはこられなかったのだろう。そう思うと、少しだけ哀れで仕方がなかった。
そんな容赦のない君が、どうして悪霊と化しかけていた私をわざわざ手元に置くと決めたのか。その答えを私は知らない。だけど君の心地の良い声が、君の与えてくれた私の名前を呼ぶから。私にとってはそれだけで十分だった。
遠い昔にはもっと別の名があったように思うけれど、君に名前を与えられた時から、私の名前はひとつだけ。あの日から私は君の持ち物で、君だけの刀だ。
「何かあればまた呼んでくれ」
それだけを告げて、意識を闇へと揺蕩わせる。ありがとうと告げる軽やかな君の声が、私を優しく包み込んだ。