【私の名前】
ゆったりと暗闇に漂っていた意識は、君の呼び声ひとつで覚醒する。現実へと姿を浮上させれば、目の前には血の涙を流す女が立っていた。
私を呼んだということは、祓って良いということだろう。君を背後に庇い、腰の刀を一閃。それだけで女の霊はあっけなく掻き消えた。
「これで良かったか?」
「うん、助かったよ」
人畜無害な顔でニコニコと笑う君のえげつなさを、私はよく知っている。堕ちた霊に対しては一切の同情がなく、どれほど身の上話を聞かされようとも躊躇なく私に祓わせるのだ。……そうでないときっと、視えてしまう君はこの世界で生きてはこられなかったのだろう。そう思うと、少しだけ哀れで仕方がなかった。
そんな容赦のない君が、どうして悪霊と化しかけていた私をわざわざ手元に置くと決めたのか。その答えを私は知らない。だけど君の心地の良い声が、君の与えてくれた私の名前を呼ぶから。私にとってはそれだけで十分だった。
遠い昔にはもっと別の名があったように思うけれど、君に名前を与えられた時から、私の名前はひとつだけ。あの日から私は君の持ち物で、君だけの刀だ。
「何かあればまた呼んでくれ」
それだけを告げて、意識を闇へと揺蕩わせる。ありがとうと告げる軽やかな君の声が、私を優しく包み込んだ。
7/20/2023, 1:17:28 PM