いろ

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4/5/2023, 12:34:57 PM

【星空の下で】

 白銀の星々が美しく瞬く夜空の下、荒れ果てた廃墟には似つかわしくない優しい歌を、少女が奏でる。観客は一人、僕だけだ。
 纏ったドレスは裾がほつれ、重ね合わせた手は固く強張り。口を開くたびにギシギシとどこかで軋んだ音が鳴る。遠い昔に作られた歌うたいの機械人形は、それでも日が沈み夜になるたびに、澄んだ音色を紡ぎ始めるのだ。
 完璧に調律されていたはずの音階すらも、時折歪みを帯びる。きっと彼女の寿命はもうすぐ尽きるだろう。旅の途中で見つけた彼女の歌声に惹きつけられて、気がつけば三ヶ月以上もこの地に滞在してしまった。
 心を持たない機械人形が、もの寂しい夜の慰めにと永遠の愛を歌う。その矛盾が、やけに僕の心を締めつけた。
 彼女を作り出したマスターは、恐らくとうに死んでいる。その歌を聴く者なんて誰もいなかっただろう廃墟で、たった一人。天上の星から降り注ぐ光をスポットライトに、歌い続ける可憐な人形。
 哀れで愚かで愛おしい彼女がもうじき迎える最期を、せめて僕が語り継ごう。星々の輝く夜にはハープの音色に合わせて、歌うたいの機械人形の物語を、人々へと紡ぎ続けてあげよう。それが僕から彼女へと送る、唯一の手向けだ。
 相棒のハープを爪弾きながら、僕は絡繰じかけの歌声に今日も耳を傾けた。
 

4/4/2023, 12:56:57 PM

【それでいい】

 一年ぶりに会う義姉は、相変わらずとても綺麗な人だった。
 栗色に染められた髪は、気品を失わない程度に緩く内巻きにされ。ネイルもメイクも、派手すぎないけれど可愛らしい絶妙な塩梅だ。
 いったい何だってこんなに美しい女性が、うちの愚兄なんかと結婚したのか全くわからない。騙されたんじゃないですかと尋ねたくなるけれど、彼女の左手の薬指に燦然と輝くプラチナのリングが、私の心配がただの杞憂であることを教えてくれていた。
「久しぶりね。食べたいものとかあるかしら?」
「お義姉さんのおすすめのお店で良いですよ」
 私の行きつけの店なんて、チェーンの居酒屋とカフェばかりだ。この人を連れていくのに相応しい場所なんて、知っているはずもない。
 と、彼女は少しだけ寂しそうに瞳を細めて淡く微笑んだ。
「その言い方、あの人に似ているわ。やっぱり兄妹なのね」
「え、何か似てました?」
 はっきり言って、兄とは正反対だと言われ続けてきた。首を捻った私を見て笑みを深くした義姉の表情は、慈しむように柔らかい。
「食べたいものを聞いても、何だって良いって言うの。じゃあこれはどうかしからって提案しても、それで良いとしか答えてくれなくて。最初の頃は、本当は嫌なんじゃないかっていつも不安だったわ」
「私は! お義姉さんのおすすめのお店が良いです!」
 慌てて訂正すれば、彼女はありがとうと優しく頷いてくれた。本当に素敵で優しい女性だ。こんな人とお付き合いして、結婚して、そのくせ「それで良い」なんて舐めた返事ばかりして、そして。
(こんな人を置いて勝手に死ぬなんて、やっぱりあんたは大馬鹿だよ。クソ兄貴)
 ――彼女は今でも心から、あんたのことを愛してくれているのに。
 ちょうど三年前の今日。見ず知らずの子供を庇ってトラックに轢かれるなんて、まるでマンガみたいな死に方をしやがった愚兄へと向けて、心の中だけで罵声を吐き捨てた。
 

4/3/2023, 12:06:29 PM

【1つだけ】

 右の薬指にはめた指環に輝くアクアマリンが、水族館の青白い光をキラキラと反射する。マグロの群れが回遊する巨大な水槽の前。この指環をもらった場所も、ここだった。
「これからもずっと隣で、生きてくれませんか?」
 緊張からか少しだけ強張った顔で、私へと指環を差し出した君の表情は、今でもありありと思い出せるのに。そう告げた君の声は、いつしか思い出せなくなってしまった。それが悔しくて、左手でそっと指環を握りしめた。
 いつか私は、君の面差しも、君から与えられた言葉も、全て忘れてしまうのだろうか。君の全てを、過去のものにしてしまうのだろうか。だとしたら、人の脳とはなんて残酷なものなんだろう。私は君を、永遠に忘れたくないのに。
 私の手元に遺った君との思い出は、この指環だけ。たった一つの、君とのよすが。たとえ君の存在の何もかもを思い出せなくなったとしても、この指環一つだけが、君の想いを私へと伝え続けてくれる。
 ねえ、私だって君の隣で生きたかったんだよ。勝手に約束、破らないでよ。
 冷たい指環の温度が、まるで最期に触れた君の白い指先のようで。思わず一筋だけ、涙がこぼれ落ちた。

4/2/2023, 12:08:16 PM

【大切なもの】

 世界の全てが敵になっても、僕だけは君の味方だよ。なんて、テレビの中の俳優が腕の中に抱きしめた恋人へと囁きかける。ソファの上で体育座りをしながらそれをぼんやりと眺めていれば、目の前のテーブルにコーヒーカップが置かれた。
「こういうのって、やっぱり言われてみたいもの?」
「ううん、どうだろ。私は興味ないけど」
 首を捻る君の問いかけに、軽く肩をすくめた。ロマンティックとはほど遠い性格に生まれついてしまった身としては、べたべたの恋愛ドラマそのものに微妙に冷めた目を向けてしまう。
「だって世界が敵になるってことは、どう考えても法律的にか道徳的にか悪いことをしたわけでしょ? それを咎めないって断言する相手はちょっと嫌かなぁ」
「あははっ、君らしいね」
 心底おかしそうに笑い声を漏らした君は、私の横に腰を下ろす。そうして悪戯っぽく口角を持ち上げて、私の顔を覗き込んだ。
「じゃあさ。君がもしも罪を犯したとしても、僕は君がそれを償って帰ってくる日を待ち続けるよ、ならどう?」
「それなら90点だね」
「あれ、まだ足りないか。あと10点分は何だろ」
 きょとんと首を傾げた君の仕草は、普段の落ち着いた様子に比べると幾分かあどけない。にこりと微笑んで、そんな君の額を人差し指で軽くつついた。
「君と過ごす日常が、一番大切だから。だから僕は君を待ち続けるよ、なら完璧だったかな」
 日曜の午後、たいして興味もない恋愛ドラマを流し見ながら、君の淹れてくれたコーヒーを飲む。世界を敵に回す二人きりの逃避行なんかより、私はこの何でもない日常を愛してる。
 少しだけ君の頬が赤く染まる。それを横目に、コーヒーカップを傾けた。

4/1/2023, 12:56:28 PM

【エイプリルフール】

 君のことなんて大嫌いだ。吐き捨てるように呟いた僕に、君は小さく目を瞬かせた。
「……ええ、知っているわ」
 そんな悲しそうに視線を伏せるくらいなら、口元に浮かべた笑みなんて消してしまえば良いのに。そういうところが、昔からずっと気に食わないんだ。
「でも私は、貴方のことが好きよ」
 その台詞が出てくるということは、どうやら全く気がついていないらしい。まあそもそも、深窓のご令嬢さまはどうせこんな世俗的な風習を知りはしないだろうと踏んで、口にしたのは僕なのだけれど。
 物心ついた時からずっと、守るべき相手と教え込まれてきた主君。蝶よ花よと愛でられ育てられた、世間知らずの麗しきお嬢さま。
 僕の全ては彼女のためにあるのだと、そう大人たちは口々に言った。僕の人生に自由はない。ただ彼女に従い、彼女を守る人形であることだけを求められた。
 だけど彼女本人だけは、いつだって僕の意思を尊重しようとしてくれた。貴方はどうしたいのと、そう穏やかな声で問いかけてくれた。だから。
 正午を知らせる時計塔の鐘が、高らかに響き渡る。肺の奥まで、深く息を吸い込んだ。
 今まで一度だって、言葉にしてこなかった気持ち。それを今日、伝えよう。ご当主様に逆らってまで、僕をこの家から解放してやってほしいと進言してくれた、世界でただ一人の愛すべき優しい主へと。

 ――嘘だよ。君のことが、大好きだ。
 

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