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11/27/2023, 12:56:24 PM

俺は親から愛情を受けたことはない。
愛情の代わりに受けたものは、父の握り込めた拳である。母はそんな父を遠目から何も言わずに見ているだけだった。
俺が高校を卒業後、働けるようになってからは家を出た。その後彼らがどうなったかは、知るよしがない。
高校を卒業してからは、鳴りっぱなしの警告音が鳴り止んで、夜もぐっすりとまではいかないが、朝まで寝れるようにはなった。

妻に抱かれた生まれたばかりの自分の子を見ながら、昔のことを思い出した。
父親から愛情を受けたことのない自分が我が子に愛情を注げるのか。彼女が妊娠の報告をしてからそんな考えが何度も頭を巡っている。
良い父親とはなにか、父親らしさとはなにか。
正直、俺にはわからない。俺が父から受けたものは、握った拳以外は何も無い。
「抱いてみる?」
病床の上からの突然の問いかけにはっとする。
「あ、いや。いいや」
彼女が我が子を両手で抱えて、少しこちらに差し出したが、思わず断わった。
彼女は困った様子で再び我が子を胸に抱き寄せる。
「ほらー、お父さんですよー」
彼女が子供の顔をこちらに見えるように抱き上げて、少し戯ける。
俺は少しぎこちない笑顔で応えた。
「抱いてみる?」
「あ、いや」
「抱いてみて」
彼女が俺の腕を掴むと、くいっと自分の方に強引に引っ張る。彼女が俺の胸に子供を押し当てたので、思わず腕で器を作った。
彼女が腕を離した瞬間、腕にずしと体重がのる。俺は彼を優しく包み上げ、元いた椅子に居直る。
俺の悩みを知ってか知らずか、彼は屈託のない笑顔をこちらに向けている。
「なれるよ」
不意に話しかけられて、彼女に視線を移す。
「なれる。絶対になれる。私が保証する」
彼の頬を優しく撫でると、彼は再びくたくたと笑う。


ーー
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NaoNovel

11/27/2023, 5:21:32 AM

ピピピッピピピッ
体温計の数値を見ると、三十七度五分を示していた。
「微熱か」
壁の時計を見ると、午前六時三十分を指している。
私は枕元の携帯電話を手にとって、登録されている番号に電話かける。
数秒のコール音の後に、ガチャっと電話を取る音が耳元で鳴った。
「お待たせしました。澄田会館、担当西村です。」
年配の女性が電話を出る。
「あ、もしもし、葬儀部の村瀬なんですが」
「あ、村瀬さん?どうしたの」
彼女は電話の主が私と分かるや否や、少し砕けた話口調になった。
「今日出勤でしょ?」
私は、先に要件を言わなかったことをこの後に後悔することになる。
「あの、今朝起きたら熱があって、今日お休みを頂きたいのですが」
私は清田会館の葬儀部に正社員として身をおいている。私は普段は体調をほとんど崩さないのだが、季節の変わり目だけはダメで、この時期になると高確率で熱を出す。
新卒一年目のときは、無理して会社に出勤したのだが、次の日には体が高熱を帯び、二三日寝込んでしまった。そのことがあって二年目は、微熱の段階で休みを貰い、完全に治してから出勤した。
「村瀬さん今年何年目?」
「えっと、三年目です」
「あのね、三年目にもなって、体調管理くらい満足にできないの?それにあなた葬儀部でしょ?亡くなった方は待ってくれないのよ」
「…すいません」
その後も彼女の小言は暫く続いた。彼女が電話に出たということは、彼女が今日の宿直の担当なのだろう。葬儀屋の良いところは、電話してもいつでも電話に出てくれるスタッフが居ることだ。今日のように体調を崩しても電話を掛ければ誰かしらが出てくれる。
彼女でなければ、もう少し早く電話を切ってベッドに潜ることが出来たのだが、いつ体調が崩れるかは流石の私も予想出来ない。
「それじゃ、今日お休みって伝えとくけど、明日にはちゃんと治して出勤するように」
「…はい、ありがとうございます。すみませんが、宜しくお願いします」
電話を切って時計を見ると、六時四十五分を指していた。
私は深い溜息をついた後に、ベッドに潜った。
私が澄田会館に就職したのは祖母が亡くなったことがきっかけだ。
私は大学生のときに祖母を亡くした。おばあちゃん子であった私は、祖母の死に深く落ち込んだ。
その時の葬儀を担当してくれた方の言葉が深く印象に残っている。
「美幸様。葬儀というものは、亡くなった方をあの世に送り出す儀式であると共に、残られたご遺族の方々の心の区切りをつける場でもあります。もちろん、葬儀で区切りを付けることができれば何よりですが、そうではない方がほとんどです。私も葬儀をしたからと言って、直ぐに区切りを付けることができるとは思いません。ただ私は、葬儀がそのきっかけになればと、微力ながら力添えをさせていただいております。ですので美幸様も、お祖母様がいなくなったことを今すぐではなくて、これから少しずつ受け入れていけば良いのではないのでしょうか」
その後私は彼女の前で泣いてしまった。なぜそのような話の流れになったのかはいまいち思い出せないのだが、その言葉だけがとても印象に残っている。
そんな彼女を見て、私は葬儀屋も悪くないと思うようになり、大事な新卒カードを葬儀屋に切ってしまった。
決して、就職活動が上手くいかなかったわけではない。
そんなこんなで、澄田会館に入社してから三年目、後もう数ヶ月で四年目になりそうだ。
黒いスーツも板につき、仕事もある程度覚えたが。
覚えたが、やはり私は彼女のような立派な葬儀屋にはなれそうにない。
葬儀屋の仕事は覚悟はしていたが、想像以上に仕事はハードだった。
亡くなる方はいつ亡くなるかわからないので、会館には一人は必ず徹夜で電話番をしなければならない。
もちろんシフト制ではあるが、夜に起きるのが苦手な私は寝ずの電話番が思った以上に体に応える。
そして、一番辛いのがご遺族と対面する時だ。私の祖母のように寿命で亡くなる方が比較的多いのだが、中には若くして、さらには幼い子供が亡くなる場合もある。年齢が若くなるに比例して、遺族の悲しみも比例する。私は、そんな遺族達を見るのがすごく辛い。
「葬儀屋やめようかな」
西村さんにも目をつけられているのか、職場の居心地もそこまで快適とは言えない。
私は溢れそうなものをぐっとこらえるために、自分の腕で額を覆った。

ピンポーン
私はインターホンの音で目を覚ました。
時刻は、午後五時を指している。
「いつのまにか寝ちゃってたんだ」
私は澄田会館に休みの連絡を入れた後に、軽く朝食を食べてからベッドに横になった。ベッドに入ってゴロゴロしているうちにいつの間にか寝ていたようだ。
ピンポーン
再びインターホンの音が鳴る。
「宅急便かな。はーい、ちょっとまってね」
私は玄関に向かい、覗き窓から外を見る。
扉の前には若い女性が立っている。
年齢は、二十五歳、私と同い歳だ。
ドアチェーンを外して、内鍵を捻る。
私は扉を開けて、扉の前の彼女に話しかける。
「優子」
「美幸、大丈夫?お見舞いにきちゃった」
彼女は手に下げた白い袋を掲げて、ニコッと笑う。
「そんな、わざわざ来なくて良いのに。うつしちゃったら悪いし」
「ドタキャンは許さないんだからね。今日は美幸の家で御粥パーティーよ」
私は朝食を食べた後に、彼女と夕食に出かける約束を思い出して、メッセージアプリで行けなくなった旨だけ伝えた。その後、返信もせずに寝てしまったようだ。
寝たのがおそらく午前十一時くらい、起きたのが午後五時なので、約六時間くらいは寝ていた計算になる。よほど疲れが溜まっていたんだろう。
彼女を部屋に案内し、私はコタツの電源を入れて、中で丸くなる。彼女は私の冷蔵庫を開け、買ってきたものを入れてから私の正面に腰を下ろす。
「プリン買ってきたけど食べるでしょ」
彼女はプリンとプラスチックで出来たスプーンを私の前に差し出した。
「そういえば、お昼食べてなかった」
「そうだろうと思った」
彼女と出会ったのは二年前。
私が澄田会館での研修を終え、初めて一人で葬儀を担当することになった最初のご遺族が彼女だ。
二年前、彼女は癌で旦那を亡くした。籍を入れてから二ヶ月後に彼に癌が見つかった。ステージは四。いわゆる、末期の状態だ。
見つかってから半年後に彼は亡くなった。
葬儀で彼女を初めてみた時は、ひどくやせ細り、目の下に真っ黒、本当に真っ黒な隈をつけていた。
葬儀屋は研修で必要以上に遺族に肩入れしないことを学ぶが、私はあまりにも若すぎる喪主をどうしても放っておくことが出来ずに、色々余計なお世話をやいてしまった。
そのからは次第にプライベートでも会うようになった。最初は悲壮が漂う彼女の顔も会う度に少しずつ良くなっていき、彼女の顔の変化と共に私の不安も少しずつなくなっていった。
「美幸、何か悩み事?」
「え?」
不意に話しかけられ、はっとした。
「だって、プリンに全然手を付けてないじゃない。美幸が甘い物の前で手を止める時は決まって悩み事があるとき」
私はプリンを一口食べた後、スプーンを片手に欠けた黄色を見つめていた。
「実は」
私は少し言い淀んだ。彼女の葬儀を終えてからあまり仕事のことは彼女には話さないようにしている。私の仕事のことを話して、彼女に旦那さんのことを思い出させて、悲しい思いはさせたくは無かった。
「美幸、もういいよ」
彼女が何かを察してか、優しく私に語りかける。
「美幸が、私に気を使って仕事のこと、あんまり話さないのはわかってた。でも、もういいの。美幸のおかげで、心の区切りはついたから」
彼女の目が潤んでいるのがわかる。でも、二年前のような悲しみの含んだものとは違い、どちらかというと哀れみを含んだもののように感じる。
「私、葬儀屋さんって少し冷たいイメージがあったんだ。なんというか、流れ作業みたいな。毎日、たくさん人が無くなるものね。仕方ないのはわかってた」
私は黙って彼女に耳を傾ける。
「でも、美幸は違った。葬儀のやり方はもちろん丁寧に教えてくれたし、葬儀が終わっても、私を気にかけてくれて。なんてお節介な葬儀屋さん何だろうって」
私は少しばつの悪さを感じて、愛想笑いをした。
「そのおかげで私は救われた。私の旦那の死を真正面から受け止めてるのは私だけじゃない。そう思うだけで、ほんの少し心が楽になったんだ」
彼女の目から涙が溢れる。
私は腰を上げ、彼女の背中を優しく擦ると、彼女は小さく声を上げた。

「え!お仕事やめちゃうの?」
「いや、やめよかなー、なんて」
「なんで!?美幸ほど良い葬儀屋さんはいないのに!」
私は今朝あったこと、今まで抱えてきた仕事の不安を彼女に打ち明けた。
「そっか」
彼女は少し寂しい顔をした。
「いや!私が勝手に落ち込んでるだけで、葬儀を終えて、ご遺族の気持ちが軽くなることを感じるからそれはそれでやり甲斐はあるよ!」
私は前で両手を振って、それが仕事を辞める決め手ではないことを言い張った。
「わかってるよ」
彼女が小さく笑って、私は少し安心した。
「それに」
「それに?」
「私はあの人のようにはなれないかなって」
彼女は笑顔で、私を見ている。彼女には、一度だけなぜ葬儀屋になったことを聞かれたことがあったので、私が葬儀屋を志した彼女ことを話したことがある。
もう一度言うが、決して就職活動に失敗したわけではない。
「私はね。美幸」
私は彼女の瞳を見つめる。
「美幸がどうしても嫌なら今の仕事を辞めても良いと思う。辞めたからって美幸に会えない訳じゃないからね」
優子ぉと、彼女の名前を呼ぶ私を彼女は笑顔で嗜める。
「でもね、私は葬儀屋さんをやってる美幸が好き。美幸は葬儀屋さんっぽくないから」
机から手が滑りそうな私を見て、彼女が笑う。
「美幸は、本当に優しい。優しいからこそ、私達遺族に寄り添えるし、優しいからこそ遺族の気持ちがわかって辛いんだと思う」
彼女がニコッ笑って続けて話す。
「私はそんな美幸に救われた。だからこれからも美幸の優しさに救われる人はたくさんいると思う」
何だか背中がむず痒くなった。正面から賛辞の言葉を言われることがこんなにも恥ずかしいことだとは思わなかった。
「だけど」
彼女が生唾を飲み込み喉が上下に波打った。
「だけど、これは私の我儘。一番大事なのは美幸。美幸が辛いならやめても良いと思うし、辞めるべきだと思う」
「私は」
言葉に詰まった。遺族に心の区切りをつけるために私がいるのに、その私が仕事ごときに区切りをつけられないなんて情けない。
でも、
「私、もう少し続けようと思う。私の憧れた人になれるかはわからないけど。優子にそこまで言われたら、辞めるわけにはいかなくなった」
「そうそう、その意気。出会ったときの美幸に戻ったね」
恥ずかしいところを見せてしまったことを詫びると、彼女は首を振る。私の方がたくさん見せてる、と言うのでお互い笑わずにはいられなかった。
「そういえば、御粥パーティーしなきゃね」
すっかり忘れてた。今日は彼女と夕食を食べる予定だったんだ
私がキッチンに向かおうと立ち上がると、彼女が、「病み上がりなんだから」とキッチンに向かったのでお言葉に甘えて居直した。
残ったプリンにスプーンを指して、口元に持っていく。一口目とは打って変わってあまりの甘さに頬を抑える。
「あ、あとね。美幸」
彼女が振り返り、その黒色の長く綺麗な髪の毛が内からフワッと空気を含んだ。
「なに?優子?」
スプーンを片手に彼女に応える。
「私、今度結婚するんだ」
私の手からスプーンがするりとすべり落ちた。

11/25/2023, 12:38:24 PM

僕は受付で、自分の名前と入院している患者名を記入して、受付横のエレベーターで地下へ下る。
エレベーターを降りてから左手へ進み、突き当りを右へ曲がる。
二つ目の左手に見える扉の名前を確認する。
プレートには、村井日向と書かれている。
僕は扉をゆっくり左に動かした。
扉の先には、横になっている女性が僕に気づいて微笑む。
「プリン買ってきたけど食べる?」
彼女は小さく頷いた。
彼女が少し体を起こすと、腫れ上がった痛々しい肌が露わになる。
彼女の病気は日光によって引き起こされる遺伝性の病気で、難病にも指定されている。
病気に罹った者の平均寿命は三十歳と言われている。
彼女の病気がわかったのは生後十ヶ月の時で、病気がわかってから約二十年間は日光を遮る特殊なマスク無しでは太陽の元で歩くことができなくなった。
そんな真っ赤に腫れた彼女の顔を見ると、日傘があれば外でも大丈夫と思った僕の浅はかさに腹が立った。
いつもは日光を遮断するマスクを着けなければ外に出ることは出来ないのだが、先日、彼女はどうしてもマスク無しで出たいというのだ。
日傘すれば大丈夫といった彼女を信じ、僕達二人は外へ出た。
最初は元気そうだった彼女だったが、途中から具合を悪くし、彼女の顔は次第に腫れ上がった。
それを見た僕は急いで救急車を呼び、今日に至る
彼女の病室は、日光を遮断するため地下であることが多く、今回運ばれた病室も窓もなく少し薄暗い。
「その、ごめん。まだまだ病気について理解してなかった」
彼女は、首を小さく横に振る。
「私の方こそごめんね。陽太に肩身の狭い思いをさせちゃって。私が外に出れないからデートする時はいつも家の中で」
彼女は苦笑いで、申し訳なさそうに応える。
彼女と会う時は必ず家の中で会うもちろんカーテンなども締め切って。
彼女はそんな僕に申し訳無いと思ったのか、今日は突然外に行きたいと言い、マスクも頑なにつけなかった。
日傘をさせば彼女は大丈夫といったが、よくよく考えればそんなはずはない。いつも家出会う時はカーテンも全て締め切り、一切の日光の入る隙間もないほど徹底している。
「陽太は悪くないよ」
僕は謝る他しか無かった。
「ごめんね。私の我儘に付き合わせて」
彼女が優しく微笑い、落ち込む僕に見かけて話し始める。
「私、陽太と出会ってから本当に幸せだったんだ。あんまり外に出れないから友達もあんまりいなくて、恋人なんてもう諦めてたの。でも、陽太と出会って、友達になって、恋人になって。本当に幸せだった」
彼女と出会ったのは三年前のときだ。三年前、僕は一度死にかけた。横断歩道を渡っていると急に乗用車が突っ込んできたのだ。
僕は幸い一命を取り留めて、目覚めた時は病室にいた。
検査入院していた彼女は同じ病室であったため、目覚めた僕に気づいてナースコールを押してくれたのだ。
看護師が駆けつけて、状態を確認している時に僕はある違和感に気が付いた。僕はおそるおそる足の方へ左手をやると、そこにはあるはずのものがなかった。
左足だ。あるはずの左足がなかった。
僕はあまりの衝撃に布団で顔を覆い、声が涸れるまで泣き明かした。
そこから僕の地獄のリハビリが始まった。
片足の上に、事故の後遺症でその右足も思うように動かせない。
何度も何度も挫けそうになる。
そんな僕を励ましてくれたのが彼女だった。
彼女は早期に退院していったのだが、退院後も何度も僕のお見舞いに来てくれた。
彼女と恋人になったのは、僕が退院するときに告白してからだ。

「僕の方も幸せだよ。それにまだまだこれからも」
彼女は首を横にふる。
「うんうん。もういいの。私、十分幸せだったから。だから」
初めは、彼女の言ってる意味がわからなかった。
「だから、もう別れよ。もう私に縛られる必要ないよ。陽太は普通の人と一緒の方が絶対幸せだよ」
僕はやっと理解した。なぜ、突然彼女が外に行きたいと言ったのか。なぜ、いつも着けてるマスクをあんなに頑なに断ったのか。なぜ、日傘で大丈夫と言ったのか。
これが最後だからだ。最後に二人で外に出かけたかったのだ。普通の恋人として、普通のデートをしたかったのだ。
「別れないよ」
彼女の顔を直視する。
「もう…もういいの。もうほっといてよ。あなたと一緒にいると辛いの。もしも私が病気じゃなかったら、もしも太陽の下に出られたらって考えると、おかしくなりそうなの。だから…だから、お願いだから別れて」
彼女は、両手で顔を覆う。
僕は暫く両手で覆った彼女の顔を見つめた後に、鞄から小さい箱を取り出した。開けると中から小さな指輪が顔を出す。
「日向」
彼女が顔から両手を離し、僕の掲げた箱に目をやった後に、目を丸くして僕の顔を直視する。
「結婚しよう」
彼女の目が更に大きく開くと同時に両目から大きな粒がこぼれ落ちる。
「私、あとちょっとしか生きられないんだよ。外にも出れないんだよ」
「知ってる」
「子供だって産めないかもしれないんだよ」
「構わない」
「海だっていけないし、山登りだって」
「別にいい」
彼女の左手を優しく手に取り、薬指に指輪をそっと押し込む。
「綺麗だ。よく似合う」
彼女は少し困った顔で指輪見つめ、輝く指輪をゆっくり掲げる。
「本当に私で良いの?」
彼女は不安な顔で僕に訊ねる。
「日向が良いんだ」
彼女の目から更に涙が溢れ出る。
「もう一度言うよ?僕と結婚しよう」
彼女は両手で顔を覆う。
「ふつつか者ですが、宜しくお願いします」

11/24/2023, 4:59:18 PM

「よし。出来た」
私は毛糸で編んだ長物を両手で顔前に垂れ下げた。
「私にしてはよく出来たんじゃない」
初めてできた彼氏へのプレゼントのために、マフラーを編んだ。
手編みのプレゼントなんて今どき時代ではないのかもしれないが、彼氏に手編みのセーターをプレゼントするのがちょっとした憧れだったのだ。
初心者の私にはセーターはハードルが高くて、結局マフラーになったのだが、出来栄えはそこまて悪くはないと思う。
一度コツを掴むとマフラーぐらいであれば、そこまで手間が掛からないこともわかったので、せっかくなので私の分も作ることに。
ただ、やはり手製の編み物は少し恥ずかしいのでデザインは少し大人しめに、端っこに小さいハートマークを拵えた。

私は中央に噴水のある広場で、彼を待った。
ここは有名な待ち合わせ場所で、私以外にも彼氏、彼女と待ち合わせしているであろう人々が所々に立っている。
広場の周りには洋服屋や玩具屋、レストランなどが立ち並び、店の入口はクリスマス仕様に色とりどり飾られている。
この周辺に有名なレストランがあるようで、彼がこの場所を指定した。
「おまたせ。ごめん、待った?」
一人の男性が手を振りながら小走りでこちらに歩み寄る。
「私も今来たところ」
私は首を横に振る。
手を合わせて謝罪する彼に、私は手元の紙袋を手渡した。開けてよいか、と訊かれて、もちろんと返答する。
「うわ!マフラーじゃん。これもしかして手編み?俺手製のマフラー貰ったの初めて!」
くしゃと笑う彼の笑顔が、足の先まで冷えた体をほんの少し温める。
彼はマフラーを両手で広げた後に折りたたんで袋に戻した。
私はマフラーを巻いた姿を見たかったのだが、おそらく、レストランでマフラー姿を見せてくれるのだろう。
巻いた彼を想像すると、顔が少し綻びそうになる。
彼が私の首に指を差して、もしかしてペアルック?と訊ねたので、私は小さく頷いた。
私の顔は茹で蛸のように真っ赤に染め上がっているに違いない。
「それじゃ、行こっか」
そう言うと、彼は右手を差し出した。
私は彼の右手を握り、軽やかに足を踏み出す。
「たくみ」
踏み出すと、背後から男の名前を呼ぶ声が。
踵を返すと、一人の女性が立っている。
私は彼に誰かと尋ねると、彼は言葉を言い淀む。
たくみは彼の名前である。
「どちら様ですか?」
私の心がざわめき出し、とっさに彼女に問いかける。
いつの間にか彼の右手は離れていた。
「あんた、たくみの彼女?」
私は黙って頷いた。
不安げに彼に目線を移すと、彼とぱちりと目があった。
「いや、違うんだ。彼女はただの」
彼は言葉を詰まらせる。
「ただの何?」
私の問いかけに、彼は何も応えない。
「訳が分からないのなら教えてあげる。私、彼と付き合ってるの。昨日も一緒に出かけたよね?もちろん二人で。うちに泊まって、そのまま他の女と会うなんてあなたほんと最低ね」
私の心に黒い何が渦巻いた。
「たくみ、それ本当?」
彼は私の問いには答えずに、彼女の方へ駆け出した。

「はぁはぁはぁ」
気づけば私は走り出していた。
店の灯りが漏れる街路を限界がくるまで走り続けた。
膝に手をつき息を整え、振り返る。
彼は私を追ってこない。
クリスマス仕様に飾られたショウウィンドウに背中を押し当てる。
服の上からもわかるくらいに硝子はとても冷たく感じる。
「本当に私って馬鹿だなぁ。浮かれてマフラーなんか編んじゃって」
顔を上げると、街路を行き交う男女が目に入る。
私は行き交う人を暫く眺め、震える両手に息を吐いた。
「ほんと、セーターにしなくてよかった」
私の編んだマフラーに雪解け水がじわっと広がる。

11/23/2023, 1:43:05 PM

私が部屋に入ると、彼がむくっと顔を上げる。
私は彼の前まで歩を進め、彼の前で腰を屈める。
彼は不安な眼差しで、私の顔をじっと見つめる。
私が彼の顔の前に手をかざすと、彼は私の手に鼻を押し当て、安心した様子で顔を下ろす。
彼と出会ったのは、私が七歳の時だ。
私の通っていた小学校へは、家を出て左に進み、一つ目の公園のある角を右に曲がる。そこからしばらく真っ直ぐ進むと左手に見える。
当時両親にはよく注意をされたのだが、私はいつもその角の公園を横切って、近道をする。
短縮できるのはせいぜい二三秒なのだか、幼い私にとっては遠回りする意義が見いだせなかった。
そんなある日の夕方、学校からの帰り道、私がいつものように公園を横切ると、小さな声を耳にした。
私が足を止め、声の方に目をやると、目線の先には茂みが生い茂っていた。
私は声を頼りに茂みに入り、声の主を探した。
茂みをかき分け前に進むと、目の前には私の身幅の倍はある成木が。
下げた目線の先には小さな彼が声を上げていた。
そのやせ細った小さい体から何度も何度も振り絞り、必死に生を渇望している。
私は、背負い袋を地面におろし、彼を優しく抱きかかえる。私はそのまま家に走った。
家に着いて彼を下ろすと、私の服は泥でぐちゃぐちゃに。
親には、ランドセルを公園に置いてきたことを叱られて、泣きながら取りに戻った。
私は彼の頭をそっと撫でながら、彼との記憶に思いを馳せる。
彼が眠るのを確認し、私は腰を上げてその場を後にする。
私が部屋の扉に手をかけると、私の背から力のない声がかすかながらに聞こえた。
振り返ると、彼が足を震わせ、殆ど見えないであろう瞳で私を捉える。そしてまた、小さく声を上げる。
彼の声には初めてあった時の生を渇望するような必死さはなく、他の何かを求めるように弱々しい。
私は踵を返し、再び彼の前で腰を屈める。
「大丈夫。最後までここにいるよ」
私の言葉を聞いて安心したのか、彼は再び横になる。
彼の頭をそっと撫でると、彼の瞼が瞳を覆う。
「おやすみなさい」
彼は深い、深い眠りに落ちていく。

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