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ピピピッピピピッ
体温計の数値を見ると、三十七度五分を示していた。
「微熱か」
壁の時計を見ると、午前六時三十分を指している。
私は枕元の携帯電話を手にとって、登録されている番号に電話かける。
数秒のコール音の後に、ガチャっと電話を取る音が耳元で鳴った。
「お待たせしました。澄田会館、担当西村です。」
年配の女性が電話を出る。
「あ、もしもし、葬儀部の村瀬なんですが」
「あ、村瀬さん?どうしたの」
彼女は電話の主が私と分かるや否や、少し砕けた話口調になった。
「今日出勤でしょ?」
私は、先に要件を言わなかったことをこの後に後悔することになる。
「あの、今朝起きたら熱があって、今日お休みを頂きたいのですが」
私は清田会館の葬儀部に正社員として身をおいている。私は普段は体調をほとんど崩さないのだが、季節の変わり目だけはダメで、この時期になると高確率で熱を出す。
新卒一年目のときは、無理して会社に出勤したのだが、次の日には体が高熱を帯び、二三日寝込んでしまった。そのことがあって二年目は、微熱の段階で休みを貰い、完全に治してから出勤した。
「村瀬さん今年何年目?」
「えっと、三年目です」
「あのね、三年目にもなって、体調管理くらい満足にできないの?それにあなた葬儀部でしょ?亡くなった方は待ってくれないのよ」
「…すいません」
その後も彼女の小言は暫く続いた。彼女が電話に出たということは、彼女が今日の宿直の担当なのだろう。葬儀屋の良いところは、電話してもいつでも電話に出てくれるスタッフが居ることだ。今日のように体調を崩しても電話を掛ければ誰かしらが出てくれる。
彼女でなければ、もう少し早く電話を切ってベッドに潜ることが出来たのだが、いつ体調が崩れるかは流石の私も予想出来ない。
「それじゃ、今日お休みって伝えとくけど、明日にはちゃんと治して出勤するように」
「…はい、ありがとうございます。すみませんが、宜しくお願いします」
電話を切って時計を見ると、六時四十五分を指していた。
私は深い溜息をついた後に、ベッドに潜った。
私が澄田会館に就職したのは祖母が亡くなったことがきっかけだ。
私は大学生のときに祖母を亡くした。おばあちゃん子であった私は、祖母の死に深く落ち込んだ。
その時の葬儀を担当してくれた方の言葉が深く印象に残っている。
「美幸様。葬儀というものは、亡くなった方をあの世に送り出す儀式であると共に、残られたご遺族の方々の心の区切りをつける場でもあります。もちろん、葬儀で区切りを付けることができれば何よりですが、そうではない方がほとんどです。私も葬儀をしたからと言って、直ぐに区切りを付けることができるとは思いません。ただ私は、葬儀がそのきっかけになればと、微力ながら力添えをさせていただいております。ですので美幸様も、お祖母様がいなくなったことを今すぐではなくて、これから少しずつ受け入れていけば良いのではないのでしょうか」
その後私は彼女の前で泣いてしまった。なぜそのような話の流れになったのかはいまいち思い出せないのだが、その言葉だけがとても印象に残っている。
そんな彼女を見て、私は葬儀屋も悪くないと思うようになり、大事な新卒カードを葬儀屋に切ってしまった。
決して、就職活動が上手くいかなかったわけではない。
そんなこんなで、澄田会館に入社してから三年目、後もう数ヶ月で四年目になりそうだ。
黒いスーツも板につき、仕事もある程度覚えたが。
覚えたが、やはり私は彼女のような立派な葬儀屋にはなれそうにない。
葬儀屋の仕事は覚悟はしていたが、想像以上に仕事はハードだった。
亡くなる方はいつ亡くなるかわからないので、会館には一人は必ず徹夜で電話番をしなければならない。
もちろんシフト制ではあるが、夜に起きるのが苦手な私は寝ずの電話番が思った以上に体に応える。
そして、一番辛いのがご遺族と対面する時だ。私の祖母のように寿命で亡くなる方が比較的多いのだが、中には若くして、さらには幼い子供が亡くなる場合もある。年齢が若くなるに比例して、遺族の悲しみも比例する。私は、そんな遺族達を見るのがすごく辛い。
「葬儀屋やめようかな」
西村さんにも目をつけられているのか、職場の居心地もそこまで快適とは言えない。
私は溢れそうなものをぐっとこらえるために、自分の腕で額を覆った。

ピンポーン
私はインターホンの音で目を覚ました。
時刻は、午後五時を指している。
「いつのまにか寝ちゃってたんだ」
私は澄田会館に休みの連絡を入れた後に、軽く朝食を食べてからベッドに横になった。ベッドに入ってゴロゴロしているうちにいつの間にか寝ていたようだ。
ピンポーン
再びインターホンの音が鳴る。
「宅急便かな。はーい、ちょっとまってね」
私は玄関に向かい、覗き窓から外を見る。
扉の前には若い女性が立っている。
年齢は、二十五歳、私と同い歳だ。
ドアチェーンを外して、内鍵を捻る。
私は扉を開けて、扉の前の彼女に話しかける。
「優子」
「美幸、大丈夫?お見舞いにきちゃった」
彼女は手に下げた白い袋を掲げて、ニコッと笑う。
「そんな、わざわざ来なくて良いのに。うつしちゃったら悪いし」
「ドタキャンは許さないんだからね。今日は美幸の家で御粥パーティーよ」
私は朝食を食べた後に、彼女と夕食に出かける約束を思い出して、メッセージアプリで行けなくなった旨だけ伝えた。その後、返信もせずに寝てしまったようだ。
寝たのがおそらく午前十一時くらい、起きたのが午後五時なので、約六時間くらいは寝ていた計算になる。よほど疲れが溜まっていたんだろう。
彼女を部屋に案内し、私はコタツの電源を入れて、中で丸くなる。彼女は私の冷蔵庫を開け、買ってきたものを入れてから私の正面に腰を下ろす。
「プリン買ってきたけど食べるでしょ」
彼女はプリンとプラスチックで出来たスプーンを私の前に差し出した。
「そういえば、お昼食べてなかった」
「そうだろうと思った」
彼女と出会ったのは二年前。
私が澄田会館での研修を終え、初めて一人で葬儀を担当することになった最初のご遺族が彼女だ。
二年前、彼女は癌で旦那を亡くした。籍を入れてから二ヶ月後に彼に癌が見つかった。ステージは四。いわゆる、末期の状態だ。
見つかってから半年後に彼は亡くなった。
葬儀で彼女を初めてみた時は、ひどくやせ細り、目の下に真っ黒、本当に真っ黒な隈をつけていた。
葬儀屋は研修で必要以上に遺族に肩入れしないことを学ぶが、私はあまりにも若すぎる喪主をどうしても放っておくことが出来ずに、色々余計なお世話をやいてしまった。
そのからは次第にプライベートでも会うようになった。最初は悲壮が漂う彼女の顔も会う度に少しずつ良くなっていき、彼女の顔の変化と共に私の不安も少しずつなくなっていった。
「美幸、何か悩み事?」
「え?」
不意に話しかけられ、はっとした。
「だって、プリンに全然手を付けてないじゃない。美幸が甘い物の前で手を止める時は決まって悩み事があるとき」
私はプリンを一口食べた後、スプーンを片手に欠けた黄色を見つめていた。
「実は」
私は少し言い淀んだ。彼女の葬儀を終えてからあまり仕事のことは彼女には話さないようにしている。私の仕事のことを話して、彼女に旦那さんのことを思い出させて、悲しい思いはさせたくは無かった。
「美幸、もういいよ」
彼女が何かを察してか、優しく私に語りかける。
「美幸が、私に気を使って仕事のこと、あんまり話さないのはわかってた。でも、もういいの。美幸のおかげで、心の区切りはついたから」
彼女の目が潤んでいるのがわかる。でも、二年前のような悲しみの含んだものとは違い、どちらかというと哀れみを含んだもののように感じる。
「私、葬儀屋さんって少し冷たいイメージがあったんだ。なんというか、流れ作業みたいな。毎日、たくさん人が無くなるものね。仕方ないのはわかってた」
私は黙って彼女に耳を傾ける。
「でも、美幸は違った。葬儀のやり方はもちろん丁寧に教えてくれたし、葬儀が終わっても、私を気にかけてくれて。なんてお節介な葬儀屋さん何だろうって」
私は少しばつの悪さを感じて、愛想笑いをした。
「そのおかげで私は救われた。私の旦那の死を真正面から受け止めてるのは私だけじゃない。そう思うだけで、ほんの少し心が楽になったんだ」
彼女の目から涙が溢れる。
私は腰を上げ、彼女の背中を優しく擦ると、彼女は小さく声を上げた。

「え!お仕事やめちゃうの?」
「いや、やめよかなー、なんて」
「なんで!?美幸ほど良い葬儀屋さんはいないのに!」
私は今朝あったこと、今まで抱えてきた仕事の不安を彼女に打ち明けた。
「そっか」
彼女は少し寂しい顔をした。
「いや!私が勝手に落ち込んでるだけで、葬儀を終えて、ご遺族の気持ちが軽くなることを感じるからそれはそれでやり甲斐はあるよ!」
私は前で両手を振って、それが仕事を辞める決め手ではないことを言い張った。
「わかってるよ」
彼女が小さく笑って、私は少し安心した。
「それに」
「それに?」
「私はあの人のようにはなれないかなって」
彼女は笑顔で、私を見ている。彼女には、一度だけなぜ葬儀屋になったことを聞かれたことがあったので、私が葬儀屋を志した彼女ことを話したことがある。
もう一度言うが、決して就職活動に失敗したわけではない。
「私はね。美幸」
私は彼女の瞳を見つめる。
「美幸がどうしても嫌なら今の仕事を辞めても良いと思う。辞めたからって美幸に会えない訳じゃないからね」
優子ぉと、彼女の名前を呼ぶ私を彼女は笑顔で嗜める。
「でもね、私は葬儀屋さんをやってる美幸が好き。美幸は葬儀屋さんっぽくないから」
机から手が滑りそうな私を見て、彼女が笑う。
「美幸は、本当に優しい。優しいからこそ、私達遺族に寄り添えるし、優しいからこそ遺族の気持ちがわかって辛いんだと思う」
彼女がニコッ笑って続けて話す。
「私はそんな美幸に救われた。だからこれからも美幸の優しさに救われる人はたくさんいると思う」
何だか背中がむず痒くなった。正面から賛辞の言葉を言われることがこんなにも恥ずかしいことだとは思わなかった。
「だけど」
彼女が生唾を飲み込み喉が上下に波打った。
「だけど、これは私の我儘。一番大事なのは美幸。美幸が辛いならやめても良いと思うし、辞めるべきだと思う」
「私は」
言葉に詰まった。遺族に心の区切りをつけるために私がいるのに、その私が仕事ごときに区切りをつけられないなんて情けない。
でも、
「私、もう少し続けようと思う。私の憧れた人になれるかはわからないけど。優子にそこまで言われたら、辞めるわけにはいかなくなった」
「そうそう、その意気。出会ったときの美幸に戻ったね」
恥ずかしいところを見せてしまったことを詫びると、彼女は首を振る。私の方がたくさん見せてる、と言うのでお互い笑わずにはいられなかった。
「そういえば、御粥パーティーしなきゃね」
すっかり忘れてた。今日は彼女と夕食を食べる予定だったんだ
私がキッチンに向かおうと立ち上がると、彼女が、「病み上がりなんだから」とキッチンに向かったのでお言葉に甘えて居直した。
残ったプリンにスプーンを指して、口元に持っていく。一口目とは打って変わってあまりの甘さに頬を抑える。
「あ、あとね。美幸」
彼女が振り返り、その黒色の長く綺麗な髪の毛が内からフワッと空気を含んだ。
「なに?優子?」
スプーンを片手に彼女に応える。
「私、今度結婚するんだ」
私の手からスプーンがするりとすべり落ちた。

11/27/2023, 5:21:32 AM