一尾(いっぽ)

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8/8/2024, 4:23:35 PM

→名作探訪 第56回 
  〜寝具メーカー『蜃気楼閣(株)』の夢眠布団『蝶よ花よ』

空気のように軽いその布団にひとたび包まれれば、あっという間に夢の入り口に到着する。
蕩けるほど甘く、繊細な肌触りは体を優しく撫でる。まさしく『蝶よ花よ』の過保護感だ。
安夢を約束してくれる布団だが、メンテナンスを含めたクリーニングの一切を同社が取り仕切っているため、サブスクリプションでのみの取り扱いとなっている。
決して解体できないこの布団の中身の都市伝説は、多くの読者が知るところだろう。虹の根元雲であるとか、蛤の吐く糸煙であるとか、入眠枕『眠眠階段』で有名な羊工房の羊毛を使っているとか……。
思い切って真相を、蛤田(こうた)社長に尋ねてみたが、答えてはいただけなかった。氏の温和な微笑みは、難しいことは考えず健やかな夢に揺蕩うよう、筆者を諭しているようだった。

ホームページ無し。ドリームページ有り。
夢の中にて申し込み可能。

テーマ ; 蝶よ花よ

8/7/2024, 3:35:07 PM

→短編・侵略   (2024.8.8 改稿)

 王子は誰もいなくなった宮殿で、愕然と膝から崩れ落ちた。
「最初から決まってたなんて……」

 砂漠に覆われた彼の国が、不思議な緑色の目をしたビジネスマンから買い付けた小さな植物の苗を植えたのは半年ほど前だ。
 力強い繁殖力で植物は株を増やし続け、国は緑に覆われた。
 緑化の成功に国中が沸き立ったのも束の間、植物は手当たり次第に増殖し、遂には国民に取り付き始めた。植物たちは人間を操って移動した。またたく間に彼らの生活圏は拡大していった。
 植物たちは、ジャングルよりも濃ゆく深く緑を成し、王子の国を飲み込んだ。
 大多数の国民は逃げ出したが、王族だけは国の長として最後まで王宮に残った。王も王妃も親族もみんな植物に食われていった。残ったのは王子ただ一人だった。
 その彼の生命も長くはないだろう。
 彼の周囲を生暖かい緑の香りが漂い始めた。王子の首元にスルスルとツタが這い寄る。逃げることも抗うこともなく、彼は無念を眉根に結びキツく目を閉じた。

 王子の呟きの意味を知る「人は」誰もいない。

テーマ; 最初から決まってた

8/6/2024, 3:45:41 PM

→短編・6月のある日の分岐点

 高天原3丁目の豆腐屋の角を曲がったところで、太陽と出くわした。
 豆腐の入った桶を抱えた太陽は浮かない顔だ。
「どうしたの?」と尋ねる私に、「あのね……」とポツポツと太陽は語りだした。
 話をまとめると、太陽は現在ある男性アイドルグループの推し活をしているらしいのだが、担当がグループを卒業してしまったことから、これからの推し活に迷いが生じてしまった、ということだ。
「グループのことはもちろん応援したいんだけど、彼がいないんじゃ盛り上がりに欠けるんだよね」
「グルーブ内で新しい担当作るとか?」
「それはなんかヤだよぉ」
 グズグズウジウジ。身をよじる太陽に合わせて桶の豆腐もふらふら揺れた。
 よし、喝を入れてやろう!
「太陽なんだからさ、広い心で全体を応援したら? 天空から見守る太陽! どう? 太陽の女神感アップでグループの運気もアップ」
 太陽の表情が明るくなり、下向きの顔が徐々に上を向いた。
「それ、最高! あ、来週のライブ、迷ってたけど行こうっと。推し活グッズも一新しなきゃな。百均行ってくる!」
 今や太陽は輝きを取り戻し、熱を放出し始めていた。桶を持ったまま走り出しそうな勢いだ。
「豆腐持ってくの!?」
「あげる」と太陽は私に桶を渡し、走り去っていった。貰った豆腐はほとんど湯豆腐になっていた。

 あれから1ヶ月ちょっとが経った。太陽の熱は収まることを知らず、増大し続けている。ライブだフェスだと毎日大騒ぎらしい。
 連日、記録的な暑さを更新中だ。
 もしあの日に、私が太陽を焚き付けなければ、もう少し涼しかったかもしれない。
 私は本日3本目のアイスにかぶりついた。

テーマ; 太陽

8/5/2024, 7:53:41 PM

→名作探訪 第114回 茶房『湖の中(このなか)』の『鐘の音』

湖の真ん中に位置する完全予約茶房『湖の中』。
『鐘の音』は、日ごとに味と色が変わることで有名な水羊羹。
明け方の湖に鐘の音を響かせ、湧き立つ水紋をすくい取り丁寧に裏ごしした後、煮詰めて水底で眠らせる。こだわりの詰まった逸品。味と色が変わるのは、湖の色を映すためだと言われている。
年に1度ではあるが、ごく少量、各種EGサイト、ふるちと納税での取扱あり。


テーマ; 鐘の音

8/4/2024, 2:04:15 PM

→短編・日記

『8月4日。
つまらぬことでも、
稀に発酵し、大事を起こすことあり。
初手が肝心要。』

 亡くなった祖母の遺品整理をしていたら、表紙に何もかいていないノートが出てきた。何だろうと開いてみたら、日記だった。
 私が手に持つこれは、彼女の何冊目の日記なのだろう? 偶然にも今日の日付から始まっている。
 妙に乱れた文字で書かれた短文に目が釘付けになる。何度も赤線で囲まれた『発酵』という単語の違和感。
 つまらぬことが料理なのか、人間関係なのか、それとももっと何か別のことなのか……。
 祖母の日記は、それ以上のことを語ってはくれなかった。

テーマ; つまらないことでも

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