Sasha

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7/19/2023, 11:33:28 PM

「今日は何時までに帰ればいいの?」

物憂げにつぶやく視線の先には、ダッシュボードの上の時計がある。

「今日は子どもが早帰りだから、遅くても3時かな。」

「それだけあれば余裕だね。」

彼はそう言いながら、背後から激しく抱きしめた。待ちきれないようにブラウスの隙間から手を入れる。

かすかな罪悪感が頭をよぎった。

【視線の先】

7/17/2023, 12:55:57 PM

「これが、猪。これは、ウサギ。ほんでこれは、鹿の足跡やな。」

手を繋いで土手の上を歩きながら、父は一つひとつの足跡の主を教えてくれる。これは、私の遠い日の記憶だ。

薄く白い霧の中。土手は集落の端で途切れている。ふだんなら、絶対に足を運ばない寂しい場所だ。

こんなところにわざわざ来る必要があったのだろうか。どうして父は、わざわざこの場所に私を連れてきたのか。

もしかしたら、あれは幻だったのかもしれない。意識のない父の横で、私はそんなことを考える。身体には、いくつかのチューブがつながれている。

私を支えてくれた日灼けした肌が、少ししぼんで見えるのが悲しい。父は、いつの間にこんなに歳を取ったのだろう。

無音の病室に、かすかに蝉の声が響いてくる。それを聞くと、故郷での遠い日の出来事が、まるで夢のように思い出される。

いや、もしかしたら本当に夢だったのかもしれない。あまり良好とは言えなかった父との関係を埋め合わせるために、仲の良い風景を脳が捏造したのではないか。

そんなことも考えた。しかしその記憶は、私の心にしっかりと根を下ろしている。

【遠い日の記憶】

7/15/2023, 10:32:48 AM

「もう、終わりにしよう…。」

「は?」

私は手にしたフォークを落としそうになった。せっかく雰囲気のいいレストランに来ているのに。

今日はせっかく、ちゃんとお化粧もして、お気に入りのワンピースも着てきたのに。

「もう、こういう曖昧な関係は、よくないと思うんだよね。」

曖昧な関係…そう、私たちは籍も入れずに、同棲生活を続けている。一緒に暮らし始めて、もう3年になる。実家の母親からは、どうなっているのかと年中電話でせっつかれている。

「それはもう、この関係をやめるっていう意味?」

ついに来た。私は身体が、鉛のように重くなるのを感じた。やはり、腕利きのパティシエとして、雑誌の取材も来るようになった彼と、一介のOLである私とは、住む世界が違うのだ。

「そっか…。」

別れの話を切り出すために、わざわざこんな綺麗なお店を予約するなんて。女性には誰にでも優しい彼らしいけど、それがかえって人の心を傷付けるのだ、と少し腹が立った。

お皿に残ったルッコラを、どうやって食べようかとフォークとナイフで突っつき始めたとき、彼が紺色の小箱をテーブルの上に置いた。

「もう、曖昧な関係は終わりにしたいんだ。」

「…はあ。」

私はよく意味が分からず、素っ頓狂な声をあげた。

「俺と、結婚しよう。」

「は?」

よく見ると、それは宝石を入れる小箱だ。彼はそっと小箱を開いて、それからていねいに、キラキラと輝く指輪を私の薬指にはめた。

「!?」

驚きで、咄嗟に言葉が出ない。ようやく顔をあげて彼の瞳を見つめた。瞳がやさしそうに微笑んでいる。

「俺と、結婚してください。」

再度、低い声で告げた。私はつられて微笑んだ。テーブルの上に置いた薬指と、それにはめられた指輪を見つめる。

「…は、はい。」

私はほとんど声にならない返事をして、ぎこちなく微笑んだ。


【終わりにしよう】

7/15/2023, 2:22:19 AM

「わしらは浜松の国衆と、手を取り合って進むんじゃ!」

殿は、興奮して叫びながら、部屋の中をグルグルと歩き回っている。きっとアドレナリンが出まくっているんだろう。

しかしこの後起きることを知っている俺は、迂闊には賛同できない。徳川はこの戦で、コテンパンにやられる。それが史実だ。

この戦の戦死者は、たしか3000人くらいいたはずだ。三方原で武田軍に待ち伏せされた徳川軍は、文字通り惨敗に終わる。その中に俺が加わるのはゴメンだ…

「と、殿!岡崎へはいかが知らせましょうか?」

おずおずと俺は声をかけた。出来れば、何とか出陣を思い止まらせたい。しかしそれでは、歴史への干渉になってしまう。出来ることは、そう逃げることだ。

俺は伝令として、城を出ることにした。

【手を取り合って】

7/14/2023, 6:53:42 AM

「あーあ来週かあ…。」

私は大きく伸びをした。ここは、会社の休憩所だ。

「何が?」

同僚のイシイちゃんが尋ねる。アクティブな彼女と大人しい私では、まったくタイプが違うが、不思議とウマが合うのだ。

「いや、来週結婚式なんだよね。友達の。出費はかさむし、旦那はイケメンだし、イマイチお祝いするモードになれないんだよねえ…。」

「人の幸せを素直に喜べない人は、劣等感が強いらしいよ。」

「え、何それ!?」

私は思わぬ鋭い言葉に、胸をズシリと射抜かれたように感じた。

「劣等感?そりゃまあ、確かにあるけど…。でも友達も悪いんだよ、なんせイケメンの旦那ができて、優越感のかたまりみたいになってるんだから…。」

「まあまあ。そんなんほっときなよ!飲みに行こ!」

彼女は何かというと飲みに誘う。

「わかった。じゃあ仕事終わったらね!」

私は思わず約束をして、制服に着替えた。制服があるのは嫌だったが、今以上は太れないという縛りが出来て、助かる部分はある。

結婚式前にあまり太りたくはないが、この制服が入るサイズなら、パーティードレスも入るはずだ。

【劣等感、優越感】

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