秋の日は釣瓶落としというが、最近は本当に日が暮れるのが早い。
夏の頃は、職場を出るとまだ明るい空を拝めていた。最近は、夕暮れの名残もない空が広がるばかりだ。
紫から紺のグラデーションも美しいと思うが、やはりこの時期は、金色の夕日が無いと物足りなさを感じてしまう。
金色の夕日は、秋から冬にかけて見られる現象だ。
条件は、空気中の水蒸気とチリやホコリなどの不純物が少ないこと。
故に空気が乾燥しやすい秋から冬にかけて見ることが出来る。
金色の夕日は、思い出もあるから一等好きだ。
きっと、思い出フィルターというのがあるのだろう。
記憶の中の夕日は、いつも美しい。
そんな金色の夕日の次に、好きな現象がある。
ブルーモーメント。
空が濃い青で包まれる美しい現象だ。
季節問わず、日の出30分前と日の入り30分後に見られる現象なのだが、綺麗なブルーモーメントを見るためにはいくつかの条件がある。
1.晴れて快晴であること。
2.空気が澄んでいること。(秋から冬が綺麗)
金色の夕日もブルーモーメントも、秋から冬が気象条件的に見やすくかつ美しい。
故にこの時期は、金色の夕日が沈む姿と世界が青のフィルターに包まれるブルーモーメントを堪能しなくてはもったいない。
これからますます日の暮れる時間は、早まっていくだろう。
金色の夕日と青いフィルターの空を早く眺めたい──。
黄昏時をとうに終え、夜の帳が下り始めた空を見る度にそう思ってしまう。
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たそがれ
研究所の花壇に秋桜が咲いた。
淡いピンク色の花弁を広げ、秋風にのどかに揺れている。
夏の暑さも時折ぶり返すというのに、植物は何故こうも聡いのだろうか。
人間が感知できない、僅かな季節の差をしっかりと捕らえて開花する。
生存プログラムのようなものを、彼らはその小さな体の中に隠し持っているのかもしれない。
そんな事を思いながら花に水を遣っていると、助手が声をかけてきた。
腕時計を見ると、午後3時。
いつもの時間だ。
「博士、新しい培養機の搬入について総務から電話がありましたよ。後でかけ直すとのことです」
「ありがとう。総務さんか…。業者さんと日程調整をしているから、その事かな?」
僕の言葉に彼女は目を輝かせた。
「新しい培養機って、いつ搬入されるんですか?」
声が弾んでいる。
よっぽど新しい培養機の到着が待ち遠しいようだ。
「来月の末頃を予定していたんだけど、ちょっと早めようかと…」
「早まるんですか?」
「うん。何か僕のさじ加減で良いって本社が言ってくれてね。早まるといっても、少しだけど…」
「予定よりも早くなるのはありがたいです。新しい培養機が来たら色々楽になりますかね?」
「多分、以前より良いんじゃないかな」
僕がそう答えると、彼女は嬉しそうに笑っている。まるで子供みたいだ。
ほのぼのとした気持ちで見ていると、彼女は何かに気付いたのかハッという顔になった。
「早まるとなると、培地関係の日程調整もしなくてはいけませんね」
実に真面目な彼女らしい着眼点に、僕は自然と笑みがこぼれた。
多角的に捉えられるのは彼女の美点だ。
「その件は大丈夫。他の研究所が受け入れを行ってくれるとの事だから、社内便で送れるものの準備だけしておこう」
「リストアップしておきますね」
彼女は生真面目そうな顔で答える。
そこまで気張らなくても大丈夫なんだけどね。
「ところで搬入の時は、各研究所の人が手伝いに来る予定だから、休みたかったら休んでいいよ」
有給使ってないみたいだし、この機会に使ったら?
そう言うと、彼女は一瞬きょとんとした顔になり、顎にそっと手を添えた。
「そうですね…。確か、まだ半月くらい残っていたような…」
「有給は、使わないと無くなっちゃうからね。使わないともったいないよ?」
「それを言うなら博士もですよ。何年使ってないんです?」
「…それは…。えっと…何年だっけ?」
「はーかーせー」
「まぁまぁ、僕のことはおいといて。有給の申請が必要だったら言ってね?」
宥めるように言うと、彼女は頬を膨らませながらもひいてくれた。
「はい。有給は、後で申請します。博士も有給使える時に使ってくださいね?身体が資本なんですからね?」
僕の方を見るその目は真剣だ。
彼女はいつも僕を心配してくれる。
気遣い屋さんな彼女に僕はいつも救われている。
「うん、わかったよ。いつも気にかけてくれてありがとうね」
素直にそう言うと、彼女の頬がピンク色に染まった。
その色は、秋桜の色より鮮やかで──愛らしい色だった。
秋桜が揺れている。
僕たちのそばで、笑うように揺れている。
移りゆく季節の中にあっても、僕たちはきっと明日も変わらない。
他愛もない話をして、研究をする。
当たり前すぎる日常を生きていく。
けれど、僕たちの気づかぬ間に季節は確かに巡り、古いものは新しいものへと変わっていく。
変わらないものと変わっていくものがあるこの不可思議さを、僕はとても愛おしいと思ってしまうのだ。
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きっと明日も
静かな空間は、自分にとって必要なものだ。
出来れば、無音が好ましい。
心の声は静寂に釣られてやってくる。
やってきてくれたそれらを拾い上げ、ひたすら紙に向かって書き出す。
これは最近知った心の声の拾い方なのだが、これがなかなかに興味深い。
頭の中の騒々しさを表すかのように──あっという間にノートが言葉で埋まっていく。
心とは意外と素直なのだろう、似たりよったりな言葉が紙の中に現れる。実に面白い現象だ。
複数回出てくる言葉を大切なモノとして捉えていると、懐かしい音楽が頭の中で響きはじめた。
「Land Of The Free」
ドイツのヘヴィメタルバンド、GAMMA RAYのアルバムだ。
中学生の時に何度も繰り返し聴いた思い出のアルバムでもある。
こう書くと、歌詞までバッチリ覚えているものと思われるかもしれないが、そこは残念な私の脳ミソ。
何度も聴いていたくせに、日本語訳は全く覚えていない。曲の感じだけは覚えているというヤツだ。
どんな内容の歌だったのか気になったので、CDを聴くことにした。
棚からCDを取り出してみると、痛みのある歌詞カード(英語表記)が目に飛び込んできた。
音痴な上に、苦手な英語にも挑戦していた当時の自分がつけた傷だろう。
大人になれば音痴もなおって、英語も多少読める人になるかと思っていたけれど、それは難しいことだったようだ。
苦笑しながらCDを再生すると、懐かしいギター音と歌声が響き始めた。
懐かしいリズム。
懐かしい音。
当時のことを思い出しながら、日本語訳のブックレットをパラパラ見ていると、思わず笑いが溢れた。
先程ノートであたりをつけた言葉に対する答えがそこにはあった。
言葉がリンクするこの現象を何というのだろうか。
その答えを私は知らない。
静寂を壊す懐かしいヘヴィメタルに、私は一人口角を上げるのだった。
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静寂につつまれた部屋
別れ際に手を振るのは何故だろうか。
何で得た知識かは忘れてしまったが、外国人観光客の人達から見て、日本人が別れ際に手を振る姿というのは印象に残るものらしい。
手を振るというのは自然とやっている仕草であり、これまでその意味を考えたことはなかった。
気になったのでネットで検索してみると、答えはすぐに出てきた。──今の世の中は本当に便利だ。
諸説あるようだが、手を振ることは神道の「魂振り」が元らしい。
魂振り=袖振り。
外から霊魂を揺さぶることによって
活動力を強くする。
神輿を激しく揺さぶることや、
神社の拝殿で柏手を打つことなども
魂振りの一種。
端的に言うと、空気を揺らすことで、神様を呼び寄せご加護を得るというもの。
別れ際に手を振ることは「相手の無事を神に祈る」に繋がるらしい。
なるほどと納得していると、面白い文字を見つけてしまった。
愛しい人に対して手を振る(袖を振る)ことは、「相手の魂を引き寄せる」という意味も持っているらしい。
恋愛の「振った」「振られた」の語源もここからきているのだとか。
相手を思い遣ったり、思慕を募らせたり──なかなかに人は忙しい。
心理学上で「手を振る」は、相手に対して心を開いているサインと言われている。
手を振るに隠された意味を探ると、そこに人の心が隠れているのは事実のようだ。
ところで、魂振りは袖振りと同義とされている。
袖振り合うも多生の縁というが、魂振りが起こす奇跡がそこにはあるのかもしれない。
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別れ際に
通りすがりの通り雨
通り言葉の通り道を行き
通り名無き遠回りの
遠吠えに遠ざからず
遠眼鏡を覗く遠目
通り雨の通りを尊ぶ
トートロジー
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通り雨
思考の海に言葉の雨が降り注ぐ。
それを半目で見つめる山高帽の男と、キョトンとした顔で文字を追う白い詰め襟の女が居た。
「…何だ?この言葉の羅列は…」
「言葉遊びというより音遊び、かしら?」
「本体にはそろそろ『思考の海には上等な言葉のみを届けます』とでも書いた誓約書を書かせるべきか…」
額に手を添えながら、難しい顔をして山高帽の男が呟く。
男の隣に立つ白い詰め襟の女は、静かに首を横に振った。
「…イメージでは駄目よ」
現実は何事も書面でもって効力をなすのだから。
山高帽の男は、「…リアリストのシビアめ」と苦虫を噛み潰したような顔をしたかと思うと、深いため息をつき肩を落とした。