研究所の花壇に秋桜が咲いた。
淡いピンク色の花弁を広げ、秋風にのどかに揺れている。
夏の暑さも時折ぶり返すというのに、植物は何故こうも聡いのだろうか。
人間が感知できない、僅かな季節の差をしっかりと捕らえて開花する。
生存プログラムのようなものを、彼らはその小さな体の中に隠し持っているのかもしれない。
そんな事を思いながら花に水を遣っていると、助手が声をかけてきた。
腕時計を見ると、午後3時。
いつもの時間だ。
「博士、新しい培養機の搬入について総務から電話がありましたよ。後でかけ直すとのことです」
「ありがとう。総務さんか…。業者さんと日程調整をしているから、その事かな?」
僕の言葉に彼女は目を輝かせた。
「新しい培養機って、いつ搬入されるんですか?」
声が弾んでいる。
よっぽど新しい培養機の到着が待ち遠しいようだ。
「来月の末頃を予定していたんだけど、ちょっと早めようかと…」
「早まるんですか?」
「うん。何か僕のさじ加減で良いって本社が言ってくれてね。早まるといっても、少しだけど…」
「予定よりも早くなるのはありがたいです。新しい培養機が来たら色々楽になりますかね?」
「多分、以前より良いんじゃないかな」
僕がそう答えると、彼女は嬉しそうに笑っている。まるで子供みたいだ。
ほのぼのとした気持ちで見ていると、彼女は何かに気付いたのかハッという顔になった。
「早まるとなると、培地関係の日程調整もしなくてはいけませんね」
実に真面目な彼女らしい着眼点に、僕は自然と笑みがこぼれた。
多角的に捉えられるのは彼女の美点だ。
「その件は大丈夫。他の研究所が受け入れを行ってくれるとの事だから、社内便で送れるものの準備だけしておこう」
「リストアップしておきますね」
彼女は生真面目そうな顔で答える。
そこまで気張らなくても大丈夫なんだけどね。
「ところで搬入の時は、各研究所の人が手伝いに来る予定だから、休みたかったら休んでいいよ」
有給使ってないみたいだし、この機会に使ったら?
そう言うと、彼女は一瞬きょとんとした顔になり、顎にそっと手を添えた。
「そうですね…。確か、まだ半月くらい残っていたような…」
「有給は、使わないと無くなっちゃうからね。使わないともったいないよ?」
「それを言うなら博士もですよ。何年使ってないんです?」
「…それは…。えっと…何年だっけ?」
「はーかーせー」
「まぁまぁ、僕のことはおいといて。有給の申請が必要だったら言ってね?」
宥めるように言うと、彼女は頬を膨らませながらもひいてくれた。
「はい。有給は、後で申請します。博士も有給使える時に使ってくださいね?身体が資本なんですからね?」
僕の方を見るその目は真剣だ。
彼女はいつも僕を心配してくれる。
気遣い屋さんな彼女に僕はいつも救われている。
「うん、わかったよ。いつも気にかけてくれてありがとうね」
素直にそう言うと、彼女の頬がピンク色に染まった。
その色は、秋桜の色より鮮やかで──愛らしい色だった。
秋桜が揺れている。
僕たちのそばで、笑うように揺れている。
移りゆく季節の中にあっても、僕たちはきっと明日も変わらない。
他愛もない話をして、研究をする。
当たり前すぎる日常を生きていく。
けれど、僕たちの気づかぬ間に季節は確かに巡り、古いものは新しいものへと変わっていく。
変わらないものと変わっていくものがあるこの不可思議さを、僕はとても愛おしいと思ってしまうのだ。
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きっと明日も
9/30/2024, 1:19:40 PM