終わらせないで。
今日は、この言葉に隠れている感情を考えてみよう。
日常の中で「終わらせないで」と思うのはどんな時だろうか。
例えば──
楽しみにしている週刊漫画やアニメ、ドラマ等で、
真相が今明らかに!ってなったところで、続きはまた来週となる時。
「こんないいところで終わらせないで」と思う方が
多いのではないだろうか。
こういう心の動きになるのは、対象に対して「興味」や「期待」があるからだ。
「終わらせないで」という言葉を、接続助動詞にして
考えると、また違った表情を見せる。
例えば「あなたが終わらせないでどうするの」。
なんだか、ファンタジーものや冒険ものでありそうな台詞だが、終わらせるという事に「使命」のようなものを感じないだろうか。
「あなたが終わらせないでどうするの」という言葉は、「あなたなら終わらせることが出来る」という
言葉が隠れているので、やはり「期待」は相変わらず存在している。
ざっくりと例を挙げてみたが、こうして改めて見てみると面白い。
「終わらせないで」という言葉には、
「興味」や「期待」果ては「使命」まで隠れている。
使命というのは意外だが、よくよく考えればあってもおかしくはないのかもしれない。
何事も始まったならば、終わらなくてはいけない。
人が物事を始める時に
始まりの使命を帯びるならば
終わりもまた然り──というわけだ。
そして、
始まりは終わりへ
終わりは始まりへ
万物は絶えず流転し続けていく
その中で変わらない、本物を見つけることもまた人の使命としてあるのかもしれない。
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終わらせないで
今日は、これまでココで書いた文章を一から読み直すということをしていた。
読み直していると、ついつい修正をしたくなるが、
今日はあえてしなかった。
ただただ、作った当時の自分を思い出したかったからだ。
読んでいると、懐かしい思い出と共に、苦労なんかも蘇ってくる。
今日は、ちょいとココに対する思いを書いてみようと思う。
ダラダラ綴るので、予めご容赦いただきたい。
私は、テーマに沿って思いついたままに文章を作るのが好きだ。
その為、毎夜新しいテーマがやってくるというこのアプリの仕組みは、個人的にとても楽しかった。
テーマと自身の気持ちが合わない時も正直あったが、思考の良い勉強になっていたのだと今となっては思う。
与えられたテーマの言葉から、あれこれ発想し、文章を打ちながらオチを考えていくというやり方をしていた為、テーマがループし始めた時は、本当に大変だった。
一度書いた内容と、如何に被らないようにして文章を創るかが肝心になるからだ。
同じテーマで違う内容の文章を書くのは、正直なかなかにしんどい。
ココは、ただですら似たようなテーマが多い(秋・
紅葉・晩秋など、大分類すると正直同じだと思う)。
どうしても思考が被り、似たりよったりな内容に傾きそうになってしまう。
けれど、
文章の練習の為。
また、稚拙な文章を読んで下さる方の為。
同じ内容だけは、なるべく避けようと思い、あれこれ工夫をしていった。
二次創作やオリジナル、与太話や雑談。
手を変え品を変え、
持てる限りの力でテーマと向き合った。
故に、ココで書いた文章はどんなモノであっても個人的に愛着があり、それなりの愛情と手間をかけている。
言葉や文章と向き合った分、大切な思い出もココにはある。
ココがこんなにも大切と思える場所になるなんて、
このアプリを入れた頃の私は思いもしないだろう。
飽き性な私が長く続けられたことも含めて、
本当に奇跡的な事だと改めて思っている。
こうしてダラダラと綴っても、
ココに対する自身の中の感情は一つだ。
自分にとってココは、
大切な場所。
今後何年経とうと
この思いは決して変わらないだろう。
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愛情
どうも、どうも。
新米の鳥です。
こんばんは。
どうやら君は、正しいジョーカーの使い方をしてくださったようですね。
嬉しいです。
僕の言葉を受け止めてくれて、
本当にありがとうございます。
今、僕の心は微熱…ではなく、
とても温かい気持ちでいっぱいです。
お礼になるかは分かりませんが、
僕のもとに集まってた言葉を一つ
君にプレゼントしますね。
その言葉は
「MOTHER」
君のお役に立てれば幸いです。
では、またお会いしましょう。
新米の鳥より。
どうも、どうも。
新米の鳥です。
お久しぶりです。
ご迷惑をおかけするのを承知で参りました。
僕から見ても、ここ最近の状況はマズイと思い馳せ参じた次第でございます。
お小言は後ほどお聞きしますので、
どうか今は、僕の話に耳を傾けてください。
ここ最近、負ではない感情から成り立っているのに、すべて負に変わるという不思議な事が起きていませんか?
そうですね。
例えとして合っているかは分かりませんが、
相手のために真心を込めてセーターを編んでいるのに、何故か、網目ガタガタのセーターが出来上っていく…こんな感覚がありませんか?
僕もね、ほとほとに困ってあれこれ考えましたよ。
で、気づいてしまったのです。
これは──
運命の糸が、複雑化してしまっているのだと。
何故、複雑化してしまったのか。
原因はいくつかあります。
賢い君なら多分もうご存知でしょう。
だから、それらの事は今回置いておいて
僕の視点から気付いた事を君にお伝えしますね。
…どうやら、運命の神様は君をご指名であり、
また、ご存知のようです。
君が、沢山のジョーカーを持っていること。
君は既にジョーカーを沢山持っていますね。
運命によって得られたジョーカー。
言い換えれば、
運命の神様からプレゼントされた
素敵な万能カードです。
それなのに、何故か君は、
そのカードを正しく使わない。
何故、正しく使わないのでしょう?
正しく使えば、
物事は複雑化せず、スムーズに流れますよ。
足りない僕なりに色々考えました。
きっと、君がジョーカーを正しく使わないことには、何らかの意図があるのだと。
そう理解して、君の気持ちを大切にしてきました。
けれど、それが物事を複雑化させ、運命の糸まで複雑にしているようです。
このままだと、ますます状況は捻れていってしまう可能性があります。
だから──
どうか、思い出してください。
君が当初願っていたことを。
君が成したいと思っていた純粋な気持ちを。
君の手にジョーカーはあります。
君の本当の願いは何ですか?
君が心から望むことに
ジョーカーを使ってください。
それが正しいジョーカーの使い方です。
大切なことなので何度も言いますが
複雑化した運命も正されていきますよ。
大丈夫。君はとても優しい人。
運命は必ず君に微笑みますから。
11月22日。
いい夫婦の日だから、
理想の夫婦像でも書いてみましょうかね。
互いに思い遣り、よく話しをし、笑顔を交わし合う。
美味しいものを食べては「美味しいね」と言えて
綺麗なものを見ては「綺麗だね」と言える。
互いがあるだけで喜びとなり
ささやかな事にも幸せを見出せる。
辛い時には、痛みを分かち合い、励まし、支え合う。
意見が違えてしまったり、失敗してしまった時は、
何度も相談し合って、相互理解に努める。
尊重と優しさのコミュニケーションが出来て、
楽しい思い出を作れる関係。
夫婦間だけでなく、
出会うすべての人に対して心がけたい事だ。