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8/15/2024, 2:57:14 PM

夜の海に潮騒が響いている。

年中夜のここに訪ねてくる者は、そう多くないのだが、最近は──。

「また居る」

本体が浜辺の岩に腰を掛けて、本を読んでいる。
本体のそばに置かれたランプが当たりをぼうっと照らしている。
夜の海を照らすその明かりは、小さな灯台のようにも見える。

素足が思考の海に浸かっているところを見ると、涼みにきているようにも見えるが──。

「ここにある言葉が必要なのか…」

本を読む本体は、ニコニコしていたかと思うと、急にしかつめらしい顔をし、恥じらう顔になったかと思うと、ムンクの叫びのような顔をしている。千変万化という美しい言葉を出すのは引けるので引っ込めるが、面白いほどコロコロと表情が変わる。

このまま放置し続けるのも一興だが、声をかけておこう。
波風に帽子が攫われないよう手を添えて、本体のいるゴツゴツとした岩場へと向かう。

「おい」

「…今良いところなんだけど、何?」

「最近は隨分と良質な言葉がこちらに来るが、根源はそれか」

「素敵な本でしょう」
本体は、本を掲げるとニッコリと微笑んだ。

本体が読むものは思考の海に流れてくるので、内容は知っている。

隠喩と暗喩に満ちた文章で紡がれた物語。
その物語の裏には、幾千の分岐が平然と隠れている。
言葉の表面を撫ぜただけでは、表向きの物語だけしか掴ませない。非常に巧みな仕掛けが施されている。

「高純度な言葉や物語は歓迎だ」

そう言ってやると本体は、嬉しそうに「ヘヘッ」と笑った。

「んー、でもね。偶に読み進めていると、こう、手を掴んだ瞬間にクルっと返されて、違うルートに回されるような感覚がするんだよね。でも、時折コッチって強く引っ張られる時があるし…ピカって言葉が光るのも見えるんだけど…」

本を捲りつつ本体がゴチる。

「気づいてないのか」

「何が?」

「手を引っ張ってるのは、アレだよ」

「…ぇ゙、アレ?」

脳裏に浮かんでくるのは、紺色の古臭い型の制服に身を包んだかつての──。

「いやいやいや。アレは力を貸してくれるような魂じゃないよ」

「いや、お前の頭を国語の教科書の角でゴスゴスと叩いている姿を俺は見たぞ」

「マジか、止めてよ」

「無理だ」

目がマジな奴を止めるのは怖い。

「無言でやるとは思えないから…何か言ってた?」

「『固定概念を外して、しっかり読み解け、バカ』だそうだ」

「あぁ、言いそう。ていうか、絶対言う。めっちゃ自分に厳しいんだもの、アレは」

本体は頭を抱えて天を仰いだ。

「でもさ、頭叩きに来るくらいなら、一緒に創作もしてくれれば良いのに」

本の隅をいじりながら今度はいじけ始めた。
…忙しい奴め。

「こうも言ってたぞ。『今はROM専なんで』」

「その言葉も最早死語だわ」

本体には見えていないようだが、本体の隣には野暮ったい紺の制服に身を包んだアレがいる。

「創作しないのか」と無言で問いかけると、肩を竦めた。

「素直じゃない奴め」

時折本体に力を貸しているくせに。
どうしてこうも素直じゃないのか…過去という奴は。

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夜の海での出来事

8/14/2024, 2:30:58 PM

言葉の自転車に乗って、書物を旅する。

旅はいつも、潮騒の様な音を立てる森から始まる。

吹き抜ける風に煽られた葉は、荒波のような音を立てている。それに呼応するかのようにチラチラと光が乱舞する。

荒波の中に隠れた声を聞いただろうか?
乱舞する光は、何を照らしていた?

ここにおいては、全て必然。
物語の主の作意は、もうすでにある。

取りこぼさず進む為には、一旦言葉の自転車を降りて歩くこと。その際、言葉の自転車を押すのも忘れずに。

言葉の自転車を押しながらのんびり歩いていると、見落としがちなものを見つけられる。
例えば、ほら。
あそこの樹の下にある花なんて、実に意味深だ。
描写が殊更な時は、そこに伝えたい意味が隠れていたりする。
愛でるついでに言葉を頂戴しよう。

街の入口が見えたなら、言葉の自転車はここに置いて、主人公を訪ねよう。

主人公は、物語のガイドだ。

例外はいくつかあるが、大抵出ずっぱりなので、すぐ見つかる。

無事見つけられたら、ガイドに続く旅行者になっても良いし、主人公と一体化するのもまた良い。

主人公との旅を通して、物語の概要や沢山の経験、感情を得られたら、次はサブキャラクター達に目を向ける。

彼らは彼らで、主人公にはない魅力を持っている。含蓄ある言葉も彼らから得やすい。
彼らの言葉を拾い上げ、いくつかを自分のお土産にしよう。

それが終わったら、街の入口へ戻る。
言葉の自転車の前籠に、手に入れた言葉達を入れる。

何故入れるかって?
言葉は言葉を呼ぶものだからさ。

さあ、準備が整ったならば、言葉の自転車に乗って旅といこう。行き先は、物語の裏側。

主人公達が通った道の脇。さり気なく通り過ぎた景色。賑わう街の裏路地。何気ない言葉。

主人公との経験やサブキャラクター達の言葉を携えた自転車でいくと、物語の中にあるいくつかの言葉達が光を帯び始める。

その言葉を拾い集め、繋げていくと──ほら。

「見ーつけた」

物語の裏側に隠れていた──素敵な秘密。


今日も私は、言葉の自転車に乗って書物の中を旅している。
物語の言葉の裏に隠れた、素敵な物を見つける為に。

8/13/2024, 2:54:12 PM

社会に出て働くようになってからというもの、
一緒に働く身近な人たちは、どの人も優しく、能力に長けた人たちという奇跡に恵まれている。

故に、人から優しさを貰い、不器用なりに優しさを返す。人から学び、自分の糧とする。

そういった好循環が起きやすいのだが、
何故か、いつも、環境が自分と合わない。

一緒に働く人以外とは不思議なほど反りが合わないし、会社のルールも自分の性格と合っていないことが後から発覚する。その上、仕事内容も飽きてしまう。

…何故だ。

まぁ、人とズレたところがあると自覚はしているので、会社のルールやら人間関係やらは、合うほうが珍しいと思っているけれど。仕事飽きちゃうのは、飽き性が原因だと思うけれど…。

…。
夏休みが今日で終わることもあって愚痴ってしまった。
失礼。

日々の仕事というのは、自分にとってなかなかストレスだ。

そんな環境の中で心の健康を保つには、本と音楽。
最近は、SNSも欠かせない。

本や音楽というのは、通勤中や休み時間に摂取出来るのが良い。
取り入れたら、現実から逃避できる上に速攻性もある。本と音楽がこの世にあって良かった。
感謝の念に堪えません。

SNSは、仕事から帰ってきてから楽しむものと決めている。
情報収集や推しの投稿を見るために使用しているが、推し達の投稿を見るだけで元気を貰える。
お仕事情報やチケット情報等が出たときは、それまで頑張ろうと思える。

好きなものがあるからこそ、心の健康は保たれている。
好きという感情は、強力なお守りだ。

8/12/2024, 2:30:16 PM

孤高の道を一人行く人よ。

君の歌は郷愁を抱かせるだけでなく
宇宙を抱くかのように荘厳で深遠だ。

濁りのない水晶のような透き通る歌声は
聞く者の心を震わせ、
君の奏でる旋律に共鳴しあう。

君の奏でる音楽は、
音が作り出す宇宙に私を連れて行ってくれる。

何もかもがそこにはあり
各々が持つ宇宙と響き合う。

君の奏でる人間讃歌、自然賛美に
今日も私は、耳をすませ
歌の宇宙を漂う。

上記は1年前に書いた文章だ。

1年経った今も、この思いは変わっていない。

素直な言葉よ、この宇宙に響け
君の音楽に出会えたことの喜びを持って
君という存在の奇跡に感謝を───

8/11/2024, 12:41:47 PM

さて、今朝書いた文章(終点)は、常総線の中での出来事を書いただけで終わってしまった。
その文章も改めてこちらに載せた方が、親切なのだろうか。けれど、あちらも長いからなぁ…。
うーん…。

長くて読み辛いかもしれないけれど、ちょっと一応こちらにも置いておきますね。

その為今回は「終点」と「麦わら帽子」のテーマで、一つの文章となっています。

いつもとは違う作りですが、夏休みの番外編と思ってもらえれば幸いです。

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母親と行く親子二人旅。

車のない我が家は、電車旅が多い。
母親も私も、乗り鉄や撮り鉄ではないが、電車に乗ることは好きな方だ。

人生の中で一度は乗ってみたいと言い続けていたSLに今回とうとう乗ることになった。

SLの発車駅「下館駅」に向かうには、つくばエクスプレスの「守谷駅」から関東鉄道常総線へ乗り換え、「水街道駅」にて再度乗り換えが必要となる。

常総線「守谷駅」のプラットフォームにいると、母親が面白いことに気がついた。
通常、駅のアナウンスは「電車」という言葉を使うが「列車」という言葉を使っているという。
耳をすましアナウンスに注意を向けると、確かに「列車」と言っている。

プラットフォームに入ってきた車体を見て、納得した。
2両編成の車両の上部には、パンタグラフが付いていない。

調べてみると「ディーゼル」を使用した「気動車」と出てきた。

普段乗らない列車に乗るだけで、旅の気分は格段にあがっていく。

「下館」行きと書かれた列車に乗車したのだが、三駅先の「水街道駅」で乗り換えが必要だという。
通常、行き先の電車に乗れば、乗り換えは必要ないはすなのだが。路線ルールなのだろうか。とても不思議な感じがした。

「水街道駅」にて乗り換えをし、今度は一両編成で終点の「下館駅」へと向かう。
田畑が目立つ長閑な景色を列車は行く。
途中途中に止まる小ぢんまりとした駅も、味があって良い。

旅の気分を味わっていると、田園と筑波山の雄大な姿が織りなす、見事な景色が車窓に広がった。

薄黄緑。緑。時折、黄金色。

稲穂が風に吹かれている。

その光景を見て、思わず「あっ」と声を上げた。
一人散歩の時の景色が頭の中に広がっていく。
思い出の中の景色は、目の前の広大な景色よりも小ぢんまりとしたものだったが、記憶の彼方に置き去りにされていた、中学生の時の言葉が蘇ってきた。

「山が見えたら、もっと素敵なのに」

生きていると不思議な事はある。
つい最近懐かしいと思い出していた光景の、理想の光景が目の前に広がっている。

このタイミングで忘れていた言葉を思い出すだなんて。
まるでこうなることが、初めから決まっていたかのような。まるで、運命のような。

車窓の奥では、筑波山に見守られる稲穂が、そよそよ風に揺れている。

その光景を観ていると、滾々と感情が湧いてきて、体の隅々にまで行き渡っていくのを感じた。
透明で清らかなものに満たされていく心が、ふるふると揺れ琴線に触れはじめる。

過去。現在。全てに共鳴しあった心が、ハーモニーを生み出していく。
穏やかでどこまでも優しいその音に、鼻の奥がツンとする。

鼻を啜りはじめた私に、母親が「アレルギー?」と心配そうに聞いてくる。

違う。違うよ。

心が溢れて零れそうなんだ。

そう伝えたかったけど、言葉にならなかった。

終点の下館駅に着くまで、私の心は共鳴の音を奏で続けていた。

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真岡鉄道は、茨城県の下館駅と栃木県の茂木駅を結ぶ、全長41.9キロの路線だ。

SLは、9月と10月を除く土日に運行している。※一部例外がある為、乗る際は要事前チェック

SL発車時刻の1時間前に着くようにしたのだが、SLのプラットフォームにはすでに人が居る。
家族連れ。カップル。撮り鉄の方だろうか、立派なカメラを持った人もちらほら。
皆、何故かプラットフォームの前あたりで待機している。

プラットフォーム後方のベンチに座りながら「皆さん早くから居るんだなぁ」と感心していると、踏切が鳴りだした。

ガタゴトと車輪の音を響かせプラットフォームに入ってきたのは、SL真岡の回送・補助をするDE10 1535。赤いガッチリとした車体は、ラガーマンのように頼もしい。
力強い走行に見惚れていると、その後ろに茶色い客車が3両と黒光りする車体の後ろ姿が見えた。SL真岡。主役のご登場だ。

車輪の回転音に混じって、蒸気を吐き出すシューッと言う鋭い音がする。
ブレーキと共に重たい金属音が、ガチャンと響いた。

ラガーマンの様な赤い車体を写真に収め、人だかりのある前方へと向かう。

これまでSLは博物館などで見たことがあるのだが、現役のSLを見るのはこれが初めてだ。

人の邪魔にならないよう後ろの方から、SL真岡をそっと伺った。

漆黒の重厚な車体は、まるでスチームパンクの世界から抜け出してきた乗り物のように見える。その一方で、歴戦の戦士といった貫禄も滲み出ている。
非常に格好良い。
つい何枚も写真を撮ってしまった。

車体待機の間、汽笛の音と黒煙を吐き出す姿を堪能出来るので、早い時間に行くのはおすすめだ。

SL真岡の車内は、緑色のボックス席とロングシートの2種類がある。天井には細い蛍光灯と古い型の扇風機があり、荷物を載せる網棚は金属製というレトロ感満載な作りをしている。
ボックス席に座ることが出来たので、ここでも写真をいっぱい撮ってしまった。

午前10時35分。

汽笛が鳴り、車体がゆっくりと動き始めた。
シュッシュッと言う音に、ガタンゴトンと重いジョイント音も響く。
窓の外では、黒煙がスーッと流れていく。
電車では決して見られない光景だ。

SL真岡には扇風機以外の冷房がない為、乗客の多くは窓を開けている。
その窓から、黒煙が入り込むからだろうか、車内は不思議な香りがする。
木が燃えた時とも、炭の香りとも違う。
これまで、体験したことがない香りだった。

車内で読もうと、銀河鉄道の夜を用意していたのだが、読もうとして驚いた。
表紙がザラザラとしている。
どうやら窓から入り込んだ煤がついてしまったらしい。
これまた電車ではあり得ない経験だ。
本を読むのではなく、SLを堪能しなさいという事だろう。
内心感動しながら鞄の中に本をしまい、SLに身を任せることにした。

SLが走るリズムは、電車のリズムとは異なる。
通常の電車は、ガタンゴトン…ガタンゴトン…とリズミカルだが、SLはガタンゴトトン、ガタン。人のことをとやかく言えないが、意外とリズム音痴だ。
けれどそれがまた、味があると感じるのだからSLというのは不思議である。
…もしかしたら、贔屓が過ぎるのかもしれないが。

SLに乗っていると、手を振る人たちとよく出会う。
麦わら帽子を被った小さな子だけでなく、バスの運転手さんやカフェの店員さん。道を行く人や自家用車に乗る人たち。
皆がニコニコしながら手を振っている。

そういう人たちを見かけるたびに、私も母もそっと手を振り返した。

とても平和な光景だと思う。
その一方で、よく考えると不思議な光景だとも思う。

SLに向かって、或いは、SLの乗客に向かって、何故人は手を振るのだろう。
何故、手を振り合うと、こんなにも心がほっこりとするのだろう。

心理学の中には、ミラーリングという行為がある。
人の行動を真似することによって「共感」が生まれ好意などを抱くという効果があるが、それとも違う気がする。
もっと、人の奥底にある温かさの根源に繋がっているような──。

笑顔で手を振り返す人が、こんなにもいるのだと思うと、自分の人生も捨てたものではないなぁとしみじみと感じた。

沢山の初体験をしたSL旅の一部を文章で綴ってみたが、綴りながらも良い体験をしてきたなと心から思う。

また、こういう旅が出来ることを願いつつ。

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最後まで読んでくださりありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

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