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夜の海に潮騒が響いている。

年中夜のここに訪ねてくる者は、そう多くないのだが、最近は──。

「また居る」

本体が浜辺の岩に腰を掛けて、本を読んでいる。
本体のそばに置かれたランプが当たりをぼうっと照らしている。
夜の海を照らすその明かりは、小さな灯台のようにも見える。

素足が思考の海に浸かっているところを見ると、涼みにきているようにも見えるが──。

「ここにある言葉が必要なのか…」

本を読む本体は、ニコニコしていたかと思うと、急にしかつめらしい顔をし、恥じらう顔になったかと思うと、ムンクの叫びのような顔をしている。千変万化という美しい言葉を出すのは引けるので引っ込めるが、面白いほどコロコロと表情が変わる。

このまま放置し続けるのも一興だが、声をかけておこう。
波風に帽子が攫われないよう手を添えて、本体のいるゴツゴツとした岩場へと向かう。

「おい」

「…今良いところなんだけど、何?」

「最近は隨分と良質な言葉がこちらに来るが、根源はそれか」

「素敵な本でしょう」
本体は、本を掲げるとニッコリと微笑んだ。

本体が読むものは思考の海に流れてくるので、内容は知っている。

隠喩と暗喩に満ちた文章で紡がれた物語。
その物語の裏には、幾千の分岐が平然と隠れている。
言葉の表面を撫ぜただけでは、表向きの物語だけしか掴ませない。非常に巧みな仕掛けが施されている。

「高純度な言葉や物語は歓迎だ」

そう言ってやると本体は、嬉しそうに「ヘヘッ」と笑った。

「んー、でもね。偶に読み進めていると、こう、手を掴んだ瞬間にクルっと返されて、違うルートに回されるような感覚がするんだよね。でも、時折コッチって強く引っ張られる時があるし…ピカって言葉が光るのも見えるんだけど…」

本を捲りつつ本体がゴチる。

「気づいてないのか」

「何が?」

「手を引っ張ってるのは、アレだよ」

「…ぇ゙、アレ?」

脳裏に浮かんでくるのは、紺色の古臭い型の制服に身を包んだかつての──。

「いやいやいや。アレは力を貸してくれるような魂じゃないよ」

「いや、お前の頭を国語の教科書の角でゴスゴスと叩いている姿を俺は見たぞ」

「マジか、止めてよ」

「無理だ」

目がマジな奴を止めるのは怖い。

「無言でやるとは思えないから…何か言ってた?」

「『固定概念を外して、しっかり読み解け、バカ』だそうだ」

「あぁ、言いそう。ていうか、絶対言う。めっちゃ自分に厳しいんだもの、アレは」

本体は頭を抱えて天を仰いだ。

「でもさ、頭叩きに来るくらいなら、一緒に創作もしてくれれば良いのに」

本の隅をいじりながら今度はいじけ始めた。
…忙しい奴め。

「こうも言ってたぞ。『今はROM専なんで』」

「その言葉も最早死語だわ」

本体には見えていないようだが、本体の隣には野暮ったい紺の制服に身を包んだアレがいる。

「創作しないのか」と無言で問いかけると、肩を竦めた。

「素直じゃない奴め」

時折本体に力を貸しているくせに。
どうしてこうも素直じゃないのか…過去という奴は。

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夜の海での出来事

8/15/2024, 2:57:14 PM