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8/10/2024, 2:43:01 PM

終点。
SL旅をしてきた日にこのテーマとは。
何だか運命的だ。

今日一日で、たくさんの列車に乗った。

地元の路線を二つ。
つくばエクスプレス。
関東鉄道常総線(初乗車)。
お目当ての真岡鉄道(初乗車)。

電車、電車、電車、ディーゼル、蒸気機関車。
種類も豊富な上、初乗車のものもあって楽しかった。

関東鉄道常総線の終点「下館」を目指す車中での出来事と、人生初のSLについて…書きたいのだけど、今は眠いので、また明日。

おやすみなさい。
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おはようございます。

さて、何から書こう。
色々な体験をした日は、言葉が散らかり過ぎて困りものです。一つを拾うと、あれもこれも。時系列順に出てきてくれれば良いのに、ランダムで出てくるものだから、整理が大変。
一回眠りを挟んだので、少しでも整理されていれば良いのですが。さて。
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母親と行く親子二人旅。

車のない我が家は、電車旅が多い。
母親も私も、乗り鉄や撮り鉄ではないが、電車に乗ることは好きな方だ。

人生の中で一度は乗ってみたいと言い続けていたSLに今回とうとう乗ることになった。

SLの発車駅「下館駅」に向かうには、つくばエクスプレスの「守谷駅」から関東鉄道常総線へ乗り換え、「水街道駅」にて再度乗り換えが必要となる。

常総線「守谷駅」のプラットフォームにいると、母親が面白いことに気がついた。
通常、駅のアナウンスは「電車」という言葉を使うが「列車」という言葉を使っているという。
耳をすましアナウンスに注意を向けると、確かに「列車」と言っている。

プラットフォームに入ってきた車体を見て、納得した。
2両編成の車両の上部には、パンタグラフが付いていない。

調べてみると「ディーゼル」を使用した「気動車」と出てきた。

普段乗らない列車に乗るだけで、旅の気分は格段にあがっていく。

「下館」行きと書かれた列車に乗車したのだが、三駅先の「水街道駅」で乗り換えが必要だという。
通常、行き先の電車に乗れば、乗り換えは必要ないはすなのだが。路線ルールなのだろうか。とても不思議な感じがした。

「水街道駅」にて乗り換えをし、今度は一両編成で終点の「下館駅」へと向かう。
田畑が目立つ長閑な景色を列車は行く。
途中途中に止まる小ぢんまりとした駅も、味があって良い。

旅の気分を味わっていると、田園と筑波山の雄大な姿が織りなす、見事な景色が車窓に広がった。

薄黄緑。緑。時折、黄金色。

稲穂が風に吹かれている。

その光景を見て、思わず「あっ」と声を上げた。
一人散歩の時の景色が頭の中に広がっていく。
思い出の中の景色は、目の前の広大な景色よりも小ぢんまりとしたものだったが、記憶の彼方に置き去りにされていた、中学生の時の言葉が蘇ってきた。

「山が見えたら、もっと素敵なのに」

生きていると不思議な事はある。
つい最近懐かしいと思い出していた光景の、理想の光景が目の前に広がっている。

このタイミングで忘れていた言葉を思い出すだなんて。
まるでこうなることが、初めから決まっていたかのような。まるで、運命のような。

車窓の奥では、筑波山に見守られる稲穂が、そよそよ風に揺れている。

その光景を観ていると、滾々と感情が湧いてきて、体の隅々にまで行き渡っていくのを感じた。
透明で清らかなものに満たされていく心が、ふるふると揺れ琴線に触れはじめる。

過去。現在。全てに共鳴しあった心が、ハーモニーを生み出していく。
穏やかでどこまでも優しいその音に、鼻の奥がツンとする。

鼻を啜りはじめた私に、母親が「アレルギー?」と心配そうに聞いてくる。

違う。違うよ。

心が溢れて零れそうなんだ。

そう伝えたかったけど、言葉にならなかった。

終点の下館駅に着くまで、私の心は共鳴の音を奏で続けていた。

8/9/2024, 2:49:40 PM

上手くいかなくったっていい。

やってみようと行動したことが、凄いことなのだから。
最初の一歩を踏めたことをまず喜ばなくては。

失敗しても大丈夫。

歩みを止めない限り、必ずどこかしらに行き着き、出会うべき人に出会えるから。
ゆっくりゆっくり自分のペースで歩めば良い。

周囲には、徒競走している人や走っている人がいたりするかもしれない。
思わず「自分も走らなくては」と焦ってしまうかもしれないけれど、自分の心が否であったなら、走らなくても良い。
人は人。自分は自分。
それぞれの違いがあって良いのだから。

ゆっくり歩いていると、走っていたら見逃してしまう綺麗で美しいものたちに出会うことが出来る。

名前も知らない花や虫に、世界の多様性と懐の広さを教えられる。

失敗を怖がる必要もない。

斯くある世界に、受け入れられないものなどほとんどないのだから。

8/8/2024, 2:49:31 PM

蝶よ花よ…(゜゜)…愛されるイメージ
今日は昨日と違って睡眠もバッチリだし、寝落ちせず書ききるぞ!
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辞書によるところ
蝶よ花よ=子供をこの上なく大切に育てる様。
     多く女児に使う。

蝶よ花よ=箱入り娘の等式で結んでも差し支えはなさそうだ。

さて、自分はどうだったろうかと考える。

親や親族にそれなりに大切にされてきたという実感はある。
自分の事を「箱入り娘」と言うのは、何だか照れてしまうが。…まあ、良いか?

「箱入り娘」は、親や親族、出会う人にそれなりに大切にされてきたが、それ以外からも大切にされてきたことを誇りに思っている。

それは、言葉だ。

「箱入り娘」が困っている時、悩んでいる時、いつも言葉が「箱入り娘」を助けてくれた。

その種類は豊富だった。
励ましの言葉から、戒めの言葉、慰めの言葉、未来を示唆する言葉まで。
本やテレビ、ラジオ、人との会話。
言葉という言葉を介して「箱入り娘」の元に届いた。

言葉が届くたびに「箱入り娘」は、「生きなさい」と背中を押されているのを感じた。
力強く、時に優しいその気配に
「箱入り娘」は、言葉に生かされているのだと信じるようになっていった。

「箱入り娘」は年頃になると、自身に降り積もった言葉を使ってこの世界について考えるようになった。
何故?何故?何故?と言葉を投げかける度に、それまで受け取っていた言葉達が光り出す。

「これが答えかもしれない。いや、こっちも答えかもしれない」
パズルのピースを当てはめるように、言葉を当てはめ、言葉と戯れていた。そうするうちに、見えているものの奥に、隠れているものが見えるようになっていた。
それに気付くと、世界により色が満ちていくのを感じた。

蝶よ花よと大切にされた「箱入り娘」だったが、
テンプレートという、便利で、誰とも摩擦の起こらない画期的な道具を使ううちに、語彙を失うことになる。
それと同時に、かつて見えていた景色までも、表面しか見えなくなっていた。

それに気付いた「箱入り娘」は、ここで言葉と向き合うようになるのだった。



少しずつではあるが、取り戻した言葉で紡ごう。

雨に凍える人に、優しい言葉の傘をさそう。
己の道を行く人に、そっとエールを風にのせよう。
孤独に震える人に、静かに寄り添い一人ではないと伝えよう。

言葉は人を救う。

「箱入り娘」はそれを信じて、今日も言葉と向き合っている。

8/7/2024, 2:58:16 PM

最初から決まってた。

週の半ばに隨分とまぁ、頭を使うテーマですこと。

物語にするにしても、徹頭徹尾を心がけなくてはいけないし、矛盾がないように見張らなくてはいけない。

「まあ、取り敢えず、何か書くか」と重い腰をあげた瞬間。

ここのところの熱帯夜で疲れた脳から、「無理」というにべもない言葉が届いた。…マジか。

脳内を見渡してみれば、
物語担当の領域だけでなく、真面目担当の領域も疲労で無事死んでいる。

まさしく「頼れる仲間は皆目が死んでる」の光景じゃん。
ギャグマ◯ガ日和のOPじゃん。

さすが廃スペックな私の脳みそ。
軽口だけは生きている。

軽口たたいているうちに真面目領域が起きてくることを願いつつ、テーマに向き合おう。

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「最初から決まってた」ということは、「必然」や「運命」という言葉に言い換える事が出来るだろう。

運命の人という言葉があるが、それは「必然」がなせることなのだろうか。

もしそうだとしたならば
何故、人は人と出会うのだろうか。

スピリチュアルの世界では、ソウルメイト(魂の使命を教えてくれる相手)やツインレイ(魂の片割れ)という定義がある。

「袖振り合うも多生の縁」ということわざにもある通り、人と人とが出会うことには何某かの意味があるとされている。

出会うことに意味があり、意味があるから出会う。

ウロボロスのような印象を抱くのは、私だけだろうか。

しかし、人と出会う意味とは何なのだろうか。
もう少しよく考えたいのだが、駄目だ。
瞼が重くなってきた。

この難解なテーマを書ききれないことなど、最初からわかっていたけど。軽口も、もう、もたないや。

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昨日は、久しぶりに眠さの限界が来てしまった為中途半端になってしまった。
真面目領域が眠りから覚めたところで続きでも。

人と出会うことの意味は、
自身にとってその人が必要だから。

この一言に尽きるのかと思う。

自分以外の人がいるから初めて、喜びや悲しみの感情にも気付ける。
自身のかたちを知ることができる。

だからきっと人は、人と出会う運命なのだろう。

軽口よ、最後まで書ききれないなら「おやすみなさい」か、「また明日」なり「また今度」という言葉でしめなさい。

…真面目領域は、口うるさい。

8/6/2024, 2:44:13 PM

「サン、ジャスティス、ハーミット。…あとは、あった。エンペラーとハイ・プリーステス…」

床に散らばってしまったカードを手繰り寄せる。

久方ぶりにタロットでもしようと思ったのだが、カードを切っている最中、力加減を間違えた。

生粋の不器用故、こういうことはよくある。

不器用というのは連鎖するのだろうか。
手先以外にも、運動音痴やらリズム音痴やら、色々な不器用がこの体にはある。
それだけならまだ笑えるのだが、生き方も不器用とくるのだから…。
──不器用まみれな人生である。

落としてしまったカード達に「ごめんね」と声をかけ、ここ最近の事を思いながらカードを切りなおす。
やれ、あれで良かったのか。
もっと良い選択肢があったのではないか。
過去の行いは、本当に正しかったのか。

尽きない疑問を受け、カードがシャッシャッと擦れていく。

満足いくまで切り終えたら、一つの山から目分量で三つの山を作り、分けた順番とは異なる順でまた一つの山に戻す。

今日行うのはワン・オラクル。
山のトップにきているカードが、質問の答えになる。
とてもシンプルな占いだ。

カードを引くと、温かみのあるオレンジ色が目に飛び込んできた。
【サン:太陽】。
先程落としたばかりのカードが出てくるとは。

今回は正逆は問わないので、太陽の正位置の意味を早速付属の本で調べる。
カードを見ただけで読み解ければ格好良いのだが、まだまだそこには至らない。
読み解く修行が必要だ。

太陽のカードがもつキーワードは、「自分自身」「アイデンティティ」「意識」「魅力」「あるがまま」【成功】。

カードを持ったまま、空中を向いて暫し思案する。

手元では、太陽が意味深な顔をしてこちらを見ている。

合っているか、まだ疑問は残るが、
何やら【成功】したようである?

ポンコツ占い師もどきでは、カードの真意を読み解けないのであった。

「過去が成功?」
「成功が過去?」
「ん?」
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太陽

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