部屋の中には、
カードの子供と(何故いるか判らないが)本体。
そして、「彼女」がいた。
別れた時と寸分変わらないその姿に、
心が打ち震える。
消えなかった。
彼女は、消えなかった。
何度も何度も頭の中でその言葉を反芻する。
言葉を噛み砕く度に、
ジワリと温かいものが心の中に広がっていった。
これは何だろうか。
何故こんなにも温かくて、
泣きそうになるのだろうか。
言葉で言い表せないその感情に身を委ねていると、
本体と彼女が手を握っているのが見えた。
我が物顔でこの世界を壊していった。
悪魔のような者達を招き入れた張本人が、
彼女の手を握っている。
俺は目の前が真っ赤になった。
そして、我を忘れて叫んでいた。
「彼女から離れろ!!」
部屋中に轟く雷鳴のような怒鳴り声に、本体がたじろぐ。その情けない姿に、俺はぷつっと糸が切れる音を聞いた。
眼の前にいるのは何だ?
敵だ。
敵は、排除しなければならない。
これ以上、この世界を壊されてなるものか。
一歩踏み出した瞬間、
眼の前に行く手を阻む真っ白な壁が現れた。
この技を俺は知っている。
この技は、初代の。
「熱くなりすぎよ」
白い壁の向こうから、懐かしい声が聞こえた。
「お前は…」
白い壁は、徐々に小さくなるとハラリと地面に落ちた。
四角くて、白い──よく見慣れたカードだ。
拾い上げると、「壁」の文字が書かれている。
「私のだから返してね、それ」
カードから顔を上げると、初代カードの彼女がいた。
彼女も以前別れた時と変わっていない。
俺の持つカードをさっと奪い取ると、手の中でカードをクルクルと回す。
鮮やかなその手さばきに見惚れていると、手の中にあった「壁」のカードはどこかへ姿を消した。
彼女のカードの収納先はいつもわからない。
「お久しぶりね。と言っても、この姿では、だけど」
その言葉で、俺は全てを理解した。
「お前は、あのカードの子供だったのか」
「あら、思考は鈍っていないのね。その割には、私の存在に気付かないだなんて」
洞察力があるんだか、ないんだか。
初代カードは、やれやれと肩をすくめた。
今日のテーマは、逆光ですか。
昨日の文学繋がりで「斜陽」とかでもなく
逆光…。
逆光ねぇ。
うーん。逆光。逆光…。
おや、「見せ場」と書かれたカードが現れた。
確かに逆光は、「お前は誰だ」みたいなシーンで使われたり、「現れたのは、敵か、味方か」みたいなシーンでも逆光が多い。
隠していたことを表に出すシーンも逆光が多い、か。
体の一部が影で隠れることによって、不吉や意味深、疑惑等など、心をザワザワさせる効果が逆光にはあるのかもしれない。
さてさて、それを踏まえて物語を書くならば何が良いだろうか。
久しぶりにカードも現れたし、彼らを覗いてみるとしますか。
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海の底を二つの影が歩いている。
海の底は暗黒だと思っていたがどうやら、違ったようだ。
海底を歩く影の一つ──思考の海の番人は、自身の思い描いていた海と違うその景色を眺めながら、つらつらと思った。
光も届かず、海の藻屑となった言葉の残骸で黒く埋め尽くされているとばかり思っていたが、これはどういう事だろうか。
海の底だというのに、周囲はマリンブルー色をしている。そのうえ、明るい。
海面の方が暗いだなんて、意味がわからない。
思考の海の番人が、落ち着きなく周囲をキョロキョロと見渡していると、隣から笑い声が聞こえた。
「貴方もよく知っている場所なのに、どうしたんです?」
「ここは俺の知る海の底じゃない。俺が知るものより、綺麗になっている」
本体の残留思念も、文字の残渣もない海底は、一面白い砂に覆われている。
軽く蹴っても、白い砂が舞い上がるばかりでヘドロが出てくる様子もない。
自分の記憶にある海の底は、こんなに白く輝いていただろうか。記憶にない。
「お前が綺麗にしたのか?」
俺の言葉にドリームメーカーは首を横に振ると、クスクスと笑った。
どうやら、ドリームメーカーの仕事によるものではないらしい。
ドリームメーカーの海漁りの結果ではないとしたら、一体誰がこの海を綺麗にしたのだろうか。
腕を組み唸っていると、ドリームメーカーが話しかけてきた。
「問題です。掃除をしなさいと強制されるのと、自らの意思で掃除をするのとでは、一体どちらが綺麗になるでしょうか?」
何だこの問題は。
そして、何を言いだすのだろうか、コイツは。
「あっ、何を言ってるんだコイツみたいな顔をしましたね。真面目な話のつもりなんですけど」
ドリームメーカーが頬を膨らませてプンプンと怒りはじめた。面倒くさい。
ため息を付き、ボソリと答える。
「自分の意思でやったほうが綺麗になる」
俺の答えを聞いて、ドリームメーカーは、ニッコリと笑った。相変わらず変な奴だ。
「そう、その通り。意思を持って行った方が強制されるより丁寧にこなすものです」
「その問題がこの海の底の様子とどう繋がるんだ」
「ほら、懐かしい扉が見えてきましたよ」
人の話を聞いているのかいないのか、或いはワザとなのか。ドリームメーカーは、前を見ろとばかりに前方を指差した。
何の変哲もないドアの扉だけが海の中にポツリと立っている。
特徴といえば、真鍮のノブを持つのみで、特別なデザインなんてものは無い。何処にでもある至って普通の木の扉だ。
真鍮のノブを回せば、懐かしいあの空間へと繋がっている。俺がずっと避けてきたあの場所へ。
思考の海の番人は、扉の前で立ち止まると静かな目で扉を眺めた。
「さあ、このノブを回して中へ」
ドリームメーカーが耳元で囁く。
ノブをつかもうとのばす手が震える。
これは、怒りなのだろうか、或いは怖じ気づいているからだろうか。
気に入らない。
今更、何を恐れ、何を怒ると言うのか。グラグラと揺れる心を押さえ付け、しっかり指先まで力を込める。
震えることは許さない。許してなるものか。
半ば意地になって、ノブを回した。
ギギギと鈍い音を立て、扉が開くと中から光が溢れた。
眩しさに顔を顰めると、逆光の中に三人の人影があった。
「こんな夢を見た。」って、夢十夜ではないか。
なんともまぁ、文学的なテーマだこと。
「こんな夢を見た。」の一文から始まる夢十夜は、夏目漱石によって書かれた──十の不思議な夢を綴る物語だ。
それがテーマとは、恐れ多いというか何と言うか。
さて、どうしたものか。
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こんな夢を見た。
朱色の鳥居を潜ると辺り一面、金雲に包まれた。
キラキラ輝いてしょうがないその雲を掻き分け境内へと進むと、狛犬が毬を転がして遊んでいた。
その側では尾の長い金の鳥が優雅に闊歩している。
どうやら、神社に鎮座している彫刻達が意思を持って動いているらしい。
そんな事を思いつつ、境内わきにある古びた五重塔へ向かう。
この五重塔は開放されていて中を見学することが出来るらしい。
何処で仕入れたかもわからない知識であったが、実際に五重塔の前まで行くと扉が開いている。
五重塔は長い年月たっているのか、朱色が所々剥げている。竣工時はさぞや色鮮やかだったのだろう。
そんな在りし日の事を偲びつつ、五重塔の中へと入った。
中へ入った私は肩透かしを食らった。
歴史的なものがあると思われた五重塔の中には、獅子舞がおみくじを引く機械がポツンと一台置かれているだけだった。
チンドンチンドンと場違いな音が何とも滑稽だ。
どれ、運試しでもなんて思う気力も起きない。
「なんじゃコリャ」と鼻で笑いながら、
私は早々に五重塔を出た。
五重塔から外へ出た瞬間、ドンっと大気を震わせる大きな音が鳴り響いた。雷鳴によく似たその音は、五重塔からだ。
何事だと五重塔の方を振り返ると、空を覆うほど大きな龍が、五重塔を突き破り空へ昇っていく最中だった。
墨で描かれたような立派な鱗が目に焼き付く。
大胆でありながら、暈しなどの繊細さは一流の絵師によるものと似ている。
生憎龍の顔は拝めなかったが、きっと美形であったに違いない。
そんな事を思ったのは、随分経ってからだ。
目の前ではバラバラと木片を撒き散らしながら五重塔が崩れていく。
口をあんぐりと開けてその光景に釘付けになっていると、龍は上空の雲に消えていった。
龍が消えると同時に、崩れてしまった五重塔は、逆再生のような動きをし始めた。周囲のバラけた木片が見る間に組み上がり形になっていく。
古びた五重塔があった場所には、黄金の五重塔が出来上がっていた。
かつて学生の時分に見た夢である。
あの世界は、この世とあの世の間であったのではないか。そんな事を思っては、あの龍の鱗の生々しさを思い返している。
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さて、この夢を作り話と思った人はどれだけいるだろう。
嘘のような真の話でありながら、夢の話。
掴みどころのないこの感覚は何とも面白い。
今日のテーマは、タイムマシーン。
これは、マシーンがネックですな。
タイムトラベルでもなく、タイムスリップでもない。
タイム「マシーン」ですものね。
マシーン。…マシーン。
タイムマシーンというと、漫画だと、ドラえもん。
映画では、バック・トゥ・ザ・フューチャーのデドリアンがパッと浮かぶ。
時間軸の流れとは、常に一方方向だ。
そんな「時の仕組み」をなきものにするのがタイムマシーン。
過去へも未来へも自由自在に行ける魔法の機械だ。
しかし、時間とは本来干渉してはならないものなので、タイムマシーンを使うと歴史改変やら改ざんやらが起きてしまうのが、物語でのセオリーだ。
人生誰しも、あの時あの道を選んでいたらどうなっていたのだろうと空想する時がある。
選ばなかった道を進んでいたなら、今より幸せになっているかもしれない。と思うから、後悔するのだ。
選ばなかった道が、自分の死に繋がっていると思う人はあまりいないだろう。
今も生きているから、他の道の自分も生きている。
果たして、本当にそうなのだろうか──
時間を行き来出来るタイムマシーンがあったなら、答え合わせが出来るのだが。
タイムマシーンが出来るのはまだまだ先だろう。
そんな魔法のような乗り物が存在しない今、なるべく後悔せず生きるにはどうしたら良いものか。
今日生きているから、明日も生きているとは限らないという世界ならば、今を生きているということは、正しいルートを通っているからとも言えるかもしれない。
おやおや、こう思うと案外生きる選択肢をしっかり取っている自分が浮かんでくるではないか。
普段何気なすぎて気付かないが、命を守る選択肢を私達は取っている。
病気にならないように、事故に合わないように、危険な目に合わないように、沢山のセンサーがフル稼働しているから、生きていられる。
過去へ行くことは出来ない、未熟なこの体ではあるが、未来へ進むことは出来る。
例え今がどんなにどん底であろうと、未来は変えることができる。
この体というMachineを使って、どんな未来へ進んでいこうか。
そうして歩んだ遠い未来に、過去へ行くことのできるマシーンが登場するかもしれない。
その時、そのマシーンに乗る人は理解するだろうか。
未熟で沢山の間違いをおかしながらも、懸命に未来へ進もうとした人たちがいたことを。
海に沈むのは久しぶりだ。
沈もうと思って、下半身まで浸かったことなら何度もある。
それでも最後までしなかったのは、空からの飛来物が嫌だったからだ。
我が物顔でやってきて、海を──この世界を荒らしていく。
それだけに留まらず、言葉に含まれた毒はこの世界を長く蝕む。
自浄作用が効かないほど蝕まれた海は、本体をも蝕み、本体の生きる世界にまで悲劇を起こす。
波打ち際に立つと、海へ誘うかのように波が足元をさらう。
一歩、一歩と進めば、懐かしくも忌々しい彼処へと辿り着く。
何年も行くことを忌避していたあの場所。
座るものが居なくなった椅子が一脚だけある──本来であれば彼女がいるべき場所。
今更行った所で、海の藻屑で荒れ果てて目も当てられないことになっているに違いない。
そんなわかりきった事を確認した所で、どうなるというのだろう。
ただ絶望しに行くだけではないか。
足元の波が、おいでおいでと手招きしている。
佇み、足を踏み出さないでいると声を掛けられた。
「久しぶりに潜るのでしょう。途中まで一緒に行きましょう」
俺のそばにいたドリームメーカーはそう言うと、俺の手を掴み、海へと進んでいった。
いつもであれば憤慨することだが、強引なその行動が今はどこか嬉しく思う。
海を忌避する気持ちは、まだ克服出来ない。
海へ潜ると視界は、瞑色に包まれる。
夜の空より、僅かに明るいその色は、暖かくもあり冷たくも感じる。
「この海は、本体の記憶も溶けていますからね。ほら」
そう言ってドリームメーカーは何かを掴む動作をすると、俺の前で手を広げてみせた。
そこには、自分の思いを殺して周囲の意見に従った結果、自分の無能さを嘆く本体の残留思念があった。
自分の思いを無碍にした本体は、自分には力がなく、才能もない。人として出来損ないだから、細やかな望みすら叶わないと学んだ。
「人として足りないものを得なければ」と思い込み──正しく使われれば個人の成長へと繋がるはずのその言葉は、何を間違えたのか、本体の自己否定へと繋がった。
自分の全てを否定することは、魂を否定することだ。魂の否定は、生きることへの否定へと繋がる。
生きることを否定する魂に、この世界は無情だ。
生きたくない。人生は辛い。そう思えば思うほどそれを肯定する現実がやってくる。
人を信じては裏切られ、ようやく掴んだ幸せも瞬く間に奪われる。
何故ならば、本体が心の底で「人生は辛いことばかり」と信じているからだ。
現実もその通りになる。
──愚かだ。ただ、自分たちは本体に気づいて欲しかっただけだ。自分の思いを無碍にすると、上手くいかないのだと。わかって欲しかっただけだ。
「私達の役割の一つとはいえ、ヒントのみしか出せないのは辛かったですよね」
ドリームメーカーの言葉に俺は静かに頷いた。
本当は助けたかった。殴ってでも間違った道を進んでいるぞと止めたかった。しかし、魂が望むことに俺達は逆らえない。
唯一出来たのは、彼女を、本体の歪んだ思考から逃がすことのみだった。
「着きましたよ」
ドリームメーカーの言葉に顔を上げると、懐かしいあの場所へ繋がる道にいた。
「貴方の答えがこの先にあります。さあ、行きましょう」
俺は、懐かしいあの場所へ向かうため、重い足を持ち上げ一歩踏み出した。
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