『雫』
流れていく水流を思い浮かべて欲しい。滝であっても、蛇口から流れる水であってもいい。とにかく、重力に従っている水を想像して欲しいのだ。それらは群体である。繋がって居るように見えるが、実際はそれぞれの個として分解できるのだ。大きな水流から、小さい雫へと。あくまで人の目には、水流に見えるだけであって、実際は雫の集まりなのだ。
組織的な犯罪の構造と言うのも、実際にそれに近い。例えば、複数人で大きな犯罪を犯したとする。全体で見るとやったことはとても大きい、テロ行為とかだ。だが、一人にできることは小さい。大人数いるから、大きいように感じるのだ。
まぁ、何が言いたいかと言うと。基本的には全員鎮圧してしまえばいいのだ。
『何もいらない』
彼女は笑った。「貴方さえいれば、私は何もいらないよ」はっきりとした口ぶりで、茶髪を揺らしながら、黒い眼でこちらを見据えて。
とても在り来りな愛の謳い文句だ。世界のどこであろうと、いずれはどこかでこんな言葉を聞くだろう。小説とかでよく見る、『月が綺麗ですね』だとかと同じ部類である。
ただまぁ、彼女はいつも自分の予想を超えてくるような女性だった。出会いは交通事故から助けられたことで、告白のセリフの一言一句さえも見透かされている。正直に言って、こんな在り来りなセリフを言うなんて。という驚きの方が強い。もうちょっとひねりを加えたセリフを言うのかなとか、いやこれは厨二病すぎて言わないとか考えてたのに。
それを含めて、自分の想像を超えてきたと言うべきであるのかもしれないけども。
『無色の世界』
「色のない世界、というのは?」
報告書を読んでいる部下が、急にそんな声をあげた。いや、急というより、そこの部分を最初は読み飛ばしていたが、どうにもそれだと流れが読みづらかったから聞いたのだろう。
無理もないことである。こっち側の人間にとっては当たり前のことだから、わざわざ説明していないだけで新人にとっては明らか異常な出来事であるからだ。
「"色奪い"ってやつが引き起こす、一種の領域だよ。文字通り、色が抜け落ちた空間。ま、一定時間で収まるんだけどね。奴らの食事のようなものだし」
「……なんか、地味じゃありません?」
部下はそう言って、眉を下げて口に弧を描く。地味、普通の人間にとってはそうなのか。
ふと席を立って、棚に手を伸ばす。手にするのはR5の欄、つまり今から三年前の記録だ。題目は『ある画家の失敗』。薄い資料から察する通り、小規模事件、の類いである。
「……これも、色奪いが引き起こした事件だ。読んでみなさい」
そう言って、部下に資料を手渡す。困惑している様子で、そして小声で「気に触ってしまったかな」と口にしながら、彼は資料を捲った。
「なんですかこれ!? 色がぐっちゃぐちゃ……」
そんな素っ頓狂な声をあげる部下に、私は微笑む。
「知ってるかい? モノクロの中だと、青が一際暗い色に見えて、黄色は逆に明るい色に見えるらしい。絵を書いてる途中で、色奪いの食事が始まってしまったから、そんな独創的な色の絵が産まれてしまったのさ」
「特定の状況が噛み合った瞬間に、人の仕事を台無しにする怪異かぁ……。そりゃ、嫌われますよね。うん」
部下は、苦笑いを浮かべて資料を閉じる。まぁ、その件の絵は逆にその色使いが話題となって、オークションで高い値が着いたらしいが、それは黙っておこう。
『桜散る』
そういえば、もう桜が散る季節らしい。友人から聞いた事だ。私より身体も、知識も小さい変わり者。そういう私も、他人に一切興味を示さない変わり者の訳だが。
変わり者の私は桜が散るなんてことに一切興味などなかったから、友人の声に目もくれずにただただ、メモ帳に最近のことを書き出すばかり。私の性格についてよく知っている友人だったから、話していても無駄だと知っていたのだろう。一通り話終えると去っていっていた。途中で頬を膨らませるような仕草を見せていたのは、私の態度が悪かったからだ。
桜が散るということについて、私は詳しく知らない。見たこともないし、私は小説など好き好んで読まないから。ただまぁ、友人はそれを「別れの合図」と呼んでいた。
不思議なことである。旧文明は何を持って、そんなありきたりな、花が散るという事象を悲壮感溢れるものに置き換えたのだろう。毎年悲しんでいては、意味が無いのに。旧文明には、やはりもう少し具体的な情報を遺して欲しかったものだ。
『夢見る心』
夢を見る。彼女が投げたブーケの花が舞う様を。ひらり、ひらりと舞う花の中でひときり綺麗に笑う彼女を。奥で鳴り響く鐘の音の祝福に、皆からの祝福。語られる美談にそっと顔を伏せる自分の姿。
夢を見る。檜の香る新居で、柔らかい彼女の頬を撫でて、澄んだ瞳に笑いかけ、電気を消すところ。きっと君は手を握りしめて、頬を赤らめて、「また明日ね」と言って幸せそうな顔で寝るのだ。
現実を見る。花の置かれた机に、絶望する君。近づくと、私から絶望を隠すように偽りの希望を纏う君。大丈夫とか、私が居るからとか、言葉をかける度に彼女の頭が私でいっぱいになっていくのだ。いつか。彼女は助けを求める。誰でもない私に。机に花を添えた私に。
夢見る心は、あと少しで花開く。