美坂イリス

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6/10/2023, 5:59:18 AM

朝なんて来なければ。ずっと、そう思っていた。こんな思い通りにならない世界なんて、もうどうでもいい。

「はっ、はっ」
私は走っていた。何故かは分からないし、そもそもここがどこかも分からない。ただ、止まってしまうことだけが怖かった。
「…っ!」
不意に、何かが右腕を撫でる。その瞬間、腕の感覚はなくなって、ただ、冷たさだけが残る。

逃げなければ。

何から?

分からない。

ただ、この場所から。

「…誰、か…!」

喉の奥から絞り出した言葉は、誰にも届くこともなく、ただどこかへと流れていく。それが、最後の瞬間だった。



「……ん……」
何だろう、体がすごく重い。それに、周りがなんだか騒がしい。ぼんやりとした視界には、見慣れない、白衣を着た女性。
「……ああ、そっか」
そうだ。確か、何かがぶつかったんだ。それも、すごい勢いの何かが。と、言うことは。

多分、もう少しで、私は死んでいた。

……何てわがままなんだろう。朝なんて来なければ、ってずっと思っていたのに。こんなに、目覚めたことが嬉しいなんて、思うことなんてなかったのに。
窓の外を見やる。カーテン越しの朝日の温もりを、嬉しいと思ったのは、きっとこれが、初めての朝だった。

6/7/2023, 4:25:09 AM

「最っ悪…」
天を仰いで、私はそう呟く。そして右手には、ぷすぷすと煙を上げるフライパン。

うん、ちょっと整理しよう。確かに私はゴーヤチャンプルーを作ろうと思ったんだ。それで、昨日の買い物の時にちゃんとにがうりと豆腐、卵は買ってきた。それに、だしの素と醤油も家にあった。

そして、今日の晩ご飯。にがうりのへたとお尻のところを落として、半分に切って。それから、中のわたを大きめのスプーンでがりごり削ったんだ。それを、三ミリぐらいに半月切りにして、ボウルに放り込んで塩でもんだ。それから、フライパンを温めながら卵を溶いて、そこからだ。

豆腐が、なかったんだ。冷蔵庫の中を探してもない、買ってきた時の買い物袋にも入ってない。大慌てで探してたら、いつの間にかフライパンが焦げてたんだ。

「この焦げつき、落ちるかな……」
意外に、高かったのにな。肩を落として、キッチンペーパーである程度焦げを落とす。冷めててよかった。そのごみを、捨てようとしたとき。

「……ほんっとに、最悪だわ……」
ごみ箱の中にあったのは、開封済みの豆腐のパック。それを見て、昨夜の記憶がうっすらと蘇る。

昨夜、ちょっとお酒飲んだんだ。そしたら、何となく何かを口にいれたくなって、冷蔵庫に岩塩があったからそのまま豆腐を……。


うん、自業自得だ。でもな……晩ご飯、どうしよう。

6/4/2023, 10:18:30 AM

一人暮らし、アパートの狭い部屋。それが、私を守る世界だった。

「……」
カーテンの隙間、窓の向こうから、鈍い光が射す。時計を見れば、時刻は七時四分。この寒さだし、きっと外は雪なんだろう。
学校に行かなくなってから、どれくらい経ったんだろう。まあ、カレンダーを見れば分かるんだけども。最初の方は、同級生も気にして時たま様子を見に来ていたけども、それもいつの間にか来なくなった。

ただ一人を除いては。

「っ!」
不意に、携帯電話が鳴る。ああ、メッセージか。
『起きてる? ご飯食べた? ちゃんと食べないと、倒れても誰も分かんないから気をつけてね?』
それは、どこかお母さん染みた文面の、『彼女』からのメッセージ。小さな頃からずっと側にいた、幼なじみからの。
「……ふふっ」
思わず、小さな笑みがもれる。そして、私は携帯電話の、メッセージ履歴を眺める。
毎日、どこまで行ってもそこには彼女の名前が並ぶ。それは、私を気遣う言葉で溢れている。

「……頑張って、みるかな……」

この部屋から出てみようか。彼女の顔を見るために。彼女に、「ありがとう」と言うために。

6/2/2023, 10:39:04 AM

空を見上げた。それは、全てを照らす白い月。

「はぁ……」
帰り道。私は一人、ため息をつく。まあ、確かにみんな楽しそうに騒いでたし、ちょっと賑やかすぎて疲れたのもある。
「まあ、楽しかったんだけどね」
けれど、別にそれは嫌いではないし、最悪ちょっと席を外しても誰も文句も言わないし。

けれど、『彼女』はそうではなかったのかも知れない。楽しそうな笑顔のなかに、不意に揺れる寂しげな表情が、私の胸に棘のように残る。

「満月かぁ…」

空には満月が浮かび、私の心の奥を照らすように淡く輝いている。

私の正直な想い、それは私の自己満足だとわかっている。けれど、それでも。


彼女が、嘘をつかなくてもよくなるように、と。

5/31/2023, 10:28:50 AM

「雨だねー」
「そうだね」
時刻は四時半、雨に降られる下駄箱で。彼女は、僕にそう笑いかける。
「このままじゃあ、流石に傘があってもびしょ濡れだね」
「まあ、ないんだけどね?」
いや、本当はあった『はず』だった。視線の先には、空っぽの傘立て。念のためにとそこに傘を立てておいたはずなのに、いざ使おうとしたら誰かが持っていっていた、というなかなかに残念な状況。
「あはは、ごめんごめん。そこの話は置いとくよ。で、だ。これだけ降ってると、帰り道とか危ないよねー」
「川とか?」
その言葉に、彼女は首を横に振って真面目な顔で答える。
「水たまりと、トラック」
……それは、そうだけども。
「あ、今絶対『違う、そうじゃない』って思ったよね?」
楽しそうに、彼女は言う。
「まあ、思ったよ?」
やっぱり。そう彼女は呟いて、僕の背中を勢いよく叩く。
「て言うか、この雨がいつまで続くのかの方を気にした方がいいと思うんだけど」
あと、叩かれた背中がものすごく痛い。

「んー、多分あと三十分ぐらいかなー」
「分かるの?」
僕の言葉に、彼女は大きくうなずく。
「西の方が少し明るくなってるし、向こうの山の方もはっきり見えてきたから、多分だけど」
「……すごいね」
思わず僕はそう呟く。それを聞いて、彼女は胸を張る。そんな何でもない、放課後の話。けれど、本当は。

天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、ただ、「ありがとう」って伝えたいだけ。こんな風に、何でもない話をしてくれていることに。

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