ただ、必死に走る私。まるで、何かから逃げるように。
ふと目を覚ませば、時刻は午後三時三十七分。太陽はまだ高く、街を照らしている。
「……」
けれど、何かが普段と違う。そんな違和感を感じて、私は家を飛び出す。
真夏の太陽が白く照らす街。それだけに陰は暗く、まるで、白と黒の二色に分かれている。その街を駆けていくうち、私は気付いた。
ここには、誰もいない。
誰もいない街を、私は走る。止まってしまえば、私もいなくなってしまうかもしれない。そんな恐怖から逃げるように、ただ、必死で走り続ける。
そんな夢を、見た気がする。
「ごめんね」
それは、誰の言った言葉だったろう。
カーテンの隙間から漏れる光に、私は目を覚ます。時刻は、五時十三分。
「ふあ……」
大きく欠伸をして、カーテンを勢いよく開く。窓の外には、山吹色に染まる空が広がっている。
「よし」
玄関を出ると、まだ夢から覚めていないかのように、言葉を噤む街並みが広がる。その通りを、私は駆け抜けていく。走っていれば、何も考えなくてすむから。悲しいことも、寂しいことも、辛いことも、何もかも全て。
「ごめんね」
それは、私の言葉だったのか、それとも、彼女の言葉だったのか。そんなことは、もう意味なんてない。けれど。
駆けていく私の頬を、涙が伝っては風に流れていった。
海からの風は、他の何よりも、季節が変わったということを知らせているようだった。
「うぇ……。ぺとぺとする……」
半袖のシャツの背中を、汗が伝い降りる。いや、背中だけじゃない。腕も、顔も、汗で全身ぺとついている。けれど、もう少し。あと少しで、私が願う瞬間が訪れる。
夕陽が海へと沈み、空が橙色から紺青へと色を変える。それは、ほんの数分間。刻一刻とその色を変える空、私は夢中でシャッターを切る。
「……おっけ、だね」
液晶に映る写真を見ながら、私は小さく頷く。うん、いい感じ。
やがて夜の帳が降る。汗に濡れたシャツの裾を、風が揺らしていった。
宵に浮かぶは、白い月。
「んじゃね」
友達と別れて、家への帰り道。今日もみんな賑やかだったねぇ。
「楽しかったねぇ」
誰にともなく独り言を呟いて、私は自転車を押して歩く。遠く聞こえる踏み切りの音に、どこからか漂ってくる美味しそうな匂い。あ、今日はこの家カレーなのか。誰の家か知らないけども。
誰もいない帰り道。ふと、私は空を見上げる。そっか、今日は満月なのか。
「……」
振り返ると、月に照らされた私の影が伸びる。それはきっと、私の心の奥の想い。
今、この月に願いを祈るのならば。
この嘘が、誰にも知られませんように。
たん、とたん。
屋根を叩く雨音に、私は窓の外を見やる。まだ梅雨入り前だと言うのに、今年は少しどころじゃあなく雨の日が多い気がする。
「……ふむ」
少し考えて、私はゆっくりと椅子から立ち上がる。そして、部屋のサッシを開けていく。
「……これでよし」
腕を組んで、私はうなずく。結構軒の下が大きいから、雨は吹き込んでは来ないはず。そう考えてサッシを開けたけど、本当に雨は吹き込んで来ない。そして、少しひんやりとした風が、部屋の凝った空気をかき混ぜていく。それに満足して、私は大きく伸びをした。
いつまでも降りやまない雨。それは、小気味良く屋根を叩いて、今も降り続いている。