一人暮らし、アパートの狭い部屋。それが、私を守る世界だった。
「……」
カーテンの隙間、窓の向こうから、鈍い光が射す。時計を見れば、時刻は七時四分。この寒さだし、きっと外は雪なんだろう。
学校に行かなくなってから、どれくらい経ったんだろう。まあ、カレンダーを見れば分かるんだけども。最初の方は、同級生も気にして時たま様子を見に来ていたけども、それもいつの間にか来なくなった。
ただ一人を除いては。
「っ!」
不意に、携帯電話が鳴る。ああ、メッセージか。
『起きてる? ご飯食べた? ちゃんと食べないと、倒れても誰も分かんないから気をつけてね?』
それは、どこかお母さん染みた文面の、『彼女』からのメッセージ。小さな頃からずっと側にいた、幼なじみからの。
「……ふふっ」
思わず、小さな笑みがもれる。そして、私は携帯電話の、メッセージ履歴を眺める。
毎日、どこまで行ってもそこには彼女の名前が並ぶ。それは、私を気遣う言葉で溢れている。
「……頑張って、みるかな……」
この部屋から出てみようか。彼女の顔を見るために。彼女に、「ありがとう」と言うために。
空を見上げた。それは、全てを照らす白い月。
「はぁ……」
帰り道。私は一人、ため息をつく。まあ、確かにみんな楽しそうに騒いでたし、ちょっと賑やかすぎて疲れたのもある。
「まあ、楽しかったんだけどね」
けれど、別にそれは嫌いではないし、最悪ちょっと席を外しても誰も文句も言わないし。
けれど、『彼女』はそうではなかったのかも知れない。楽しそうな笑顔のなかに、不意に揺れる寂しげな表情が、私の胸に棘のように残る。
「満月かぁ…」
空には満月が浮かび、私の心の奥を照らすように淡く輝いている。
私の正直な想い、それは私の自己満足だとわかっている。けれど、それでも。
彼女が、嘘をつかなくてもよくなるように、と。
「雨だねー」
「そうだね」
時刻は四時半、雨に降られる下駄箱で。彼女は、僕にそう笑いかける。
「このままじゃあ、流石に傘があってもびしょ濡れだね」
「まあ、ないんだけどね?」
いや、本当はあった『はず』だった。視線の先には、空っぽの傘立て。念のためにとそこに傘を立てておいたはずなのに、いざ使おうとしたら誰かが持っていっていた、というなかなかに残念な状況。
「あはは、ごめんごめん。そこの話は置いとくよ。で、だ。これだけ降ってると、帰り道とか危ないよねー」
「川とか?」
その言葉に、彼女は首を横に振って真面目な顔で答える。
「水たまりと、トラック」
……それは、そうだけども。
「あ、今絶対『違う、そうじゃない』って思ったよね?」
楽しそうに、彼女は言う。
「まあ、思ったよ?」
やっぱり。そう彼女は呟いて、僕の背中を勢いよく叩く。
「て言うか、この雨がいつまで続くのかの方を気にした方がいいと思うんだけど」
あと、叩かれた背中がものすごく痛い。
「んー、多分あと三十分ぐらいかなー」
「分かるの?」
僕の言葉に、彼女は大きくうなずく。
「西の方が少し明るくなってるし、向こうの山の方もはっきり見えてきたから、多分だけど」
「……すごいね」
思わず僕はそう呟く。それを聞いて、彼女は胸を張る。そんな何でもない、放課後の話。けれど、本当は。
天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、ただ、「ありがとう」って伝えたいだけ。こんな風に、何でもない話をしてくれていることに。
ただ、必死に走る私。まるで、何かから逃げるように。
ふと目を覚ませば、時刻は午後三時三十七分。太陽はまだ高く、街を照らしている。
「……」
けれど、何かが普段と違う。そんな違和感を感じて、私は家を飛び出す。
真夏の太陽が白く照らす街。それだけに陰は暗く、まるで、白と黒の二色に分かれている。その街を駆けていくうち、私は気付いた。
ここには、誰もいない。
誰もいない街を、私は走る。止まってしまえば、私もいなくなってしまうかもしれない。そんな恐怖から逃げるように、ただ、必死で走り続ける。
そんな夢を、見た気がする。
「ごめんね」
それは、誰の言った言葉だったろう。
カーテンの隙間から漏れる光に、私は目を覚ます。時刻は、五時十三分。
「ふあ……」
大きく欠伸をして、カーテンを勢いよく開く。窓の外には、山吹色に染まる空が広がっている。
「よし」
玄関を出ると、まだ夢から覚めていないかのように、言葉を噤む街並みが広がる。その通りを、私は駆け抜けていく。走っていれば、何も考えなくてすむから。悲しいことも、寂しいことも、辛いことも、何もかも全て。
「ごめんね」
それは、私の言葉だったのか、それとも、彼女の言葉だったのか。そんなことは、もう意味なんてない。けれど。
駆けていく私の頬を、涙が伝っては風に流れていった。