海からの風は、他の何よりも、季節が変わったということを知らせているようだった。
「うぇ……。ぺとぺとする……」
半袖のシャツの背中を、汗が伝い降りる。いや、背中だけじゃない。腕も、顔も、汗で全身ぺとついている。けれど、もう少し。あと少しで、私が願う瞬間が訪れる。
夕陽が海へと沈み、空が橙色から紺青へと色を変える。それは、ほんの数分間。刻一刻とその色を変える空、私は夢中でシャッターを切る。
「……おっけ、だね」
液晶に映る写真を見ながら、私は小さく頷く。うん、いい感じ。
やがて夜の帳が降る。汗に濡れたシャツの裾を、風が揺らしていった。
宵に浮かぶは、白い月。
「んじゃね」
友達と別れて、家への帰り道。今日もみんな賑やかだったねぇ。
「楽しかったねぇ」
誰にともなく独り言を呟いて、私は自転車を押して歩く。遠く聞こえる踏み切りの音に、どこからか漂ってくる美味しそうな匂い。あ、今日はこの家カレーなのか。誰の家か知らないけども。
誰もいない帰り道。ふと、私は空を見上げる。そっか、今日は満月なのか。
「……」
振り返ると、月に照らされた私の影が伸びる。それはきっと、私の心の奥の想い。
今、この月に願いを祈るのならば。
この嘘が、誰にも知られませんように。
たん、とたん。
屋根を叩く雨音に、私は窓の外を見やる。まだ梅雨入り前だと言うのに、今年は少しどころじゃあなく雨の日が多い気がする。
「……ふむ」
少し考えて、私はゆっくりと椅子から立ち上がる。そして、部屋のサッシを開けていく。
「……これでよし」
腕を組んで、私はうなずく。結構軒の下が大きいから、雨は吹き込んでは来ないはず。そう考えてサッシを開けたけど、本当に雨は吹き込んで来ない。そして、少しひんやりとした風が、部屋の凝った空気をかき混ぜていく。それに満足して、私は大きく伸びをした。
いつまでも降りやまない雨。それは、小気味良く屋根を叩いて、今も降り続いている。
思い出せば、きっと辛かったのだろう。「きっと」、と言った理由は、その頃の記憶がぼんやりとしているから。
今でもその時の傷痕は薄れることはあれども消えることもなく左腕に残っているし、何なら今も『それ』は消えることなく私の心で暴れ続けている。
けれど、あの頃の自分へ伝えることが出来るのならば。
「今も確かに幸せではないけれど、もう見える世界は違う。だから、不安になんてならなくてもいいんだ」