心の羅針盤、で何処へ行く?
心の羅針盤って何だろう。
人生という大海で迷わない為の道標…
夢とか目標とか、そういう事だろうか。
それなら自分は演劇やお金かな〜と思うけど、羅針盤より燃料と言われた方がしっくりくる。
生きるのに必要なエネルギーって感じだ。
…心の羅針盤って、何だろう。(二回目)
道標…行き先を示してくれるもの…
自身を取り囲む環境、特に人のことだろうか。
なるほど、ここで2人の男の話をしよう。
僕は三人兄弟の真ん中に産まれた。
兄は成績優秀で、弟は芸事に長けている。
僕はどちらも持たなかったが、ただ心優しかった。
親はよく「好きを、得意を大切にしなさい」と言った。
僕は一日一善をモットーに、穏やかな日々を過ごす。
成長して兄は医者に、弟は有名な画家になった。
僕は普通のサラリーマンになったが、僕を好いてくれる妻と子供に恵まれた。
いや、ずっと前から恵まれていたのだ。
僕の今を選ばせてくれた親に、花束を選んでいこう。
俺は三人兄弟の真ん中に産まれた。
兄は成績優秀で、弟には芸事の才がある。
俺はどちらも凡庸だったが、心根は優しかったという。
親は執拗に「お兄ちゃんみたいになりなさい」と言った。
競争の中で俺の心は疲弊したが、やがて順応した。
成長して兄は医者に、弟は親と縁を切ったらしい。
俺は商社に入社したが、周囲のレベルに追い付けず鬱になって2年で退社した。
どうして、俺の人生はこんなに惨めなのか。
俺を今に導いた親が、「どうして」と嘆いていた。
いやぁ、親って羅針盤として割と中心にいるよね!という事が言いたかった短編でした。
バッドエンドを後にしたのは、ただの趣味です。
アナタの心の羅針盤は、狂っていませんか?
またね、って良い響きですよね。
自分は意識的に「またね」と「バイバイ」を使い分けるタイプの人間である。
「またね」はまたその人と会いたい時に。
「バイバイ」はもう会わなくてもいいかなって時に。
(無意識に「バイバイ」と言う事もあるけれど。)
だからこそ、人の言う「またね」にも敏感だ。
去り際に言われなかったら、何か悪い事でもしたかな…なんて悩むくらいには。
逆も然り。
「またね」と言われると付け上がるタイプだ。
次もある、と舞い上がってしまう事がしばしばある。
つまり、どちらにせよ面倒な人間なのだ。
あと、出来れば「またね」と言ってほしいだけだ。
これを意識的に使い分けている人は、どれくらいの割合で存在するのだろう。
たまにこういう、考えすぎとも言えるような事を母に話すと、「みんなそんなに考えてないよ」と一蹴される。
はて、本当にそうなんだろうか?
物事を考える事を苦手とする母は、考えてないだろうが。
アンケート機能なんかがあったのなら、アンケートを取ってみたいものだ。
まぁ、ここに居る人は考える人が多いかも。
自分に有利な条件で、母に間違いを突き付けたいだけなのかもしれない。
ネットの世界は、考える人にとって生きやすい。
現実の世界は、考えない人にとって生きやすい。
自分も考えない人が良かったなぁ…と思う事が多々ある。
だが、よく考えるから演劇ができる、のかも?
それなら考える人なのも悪くない。
久々に大きく脱線した気がする。
まぁ寄り道もいいじゃないか、気長に行こう。
じゃあ、またね。
泡になりたい、ワケじゃない。
「泡になりたい」という文字列を見て、初めに思い浮かんだのは人魚姫だった。
泡といえば、でお馴染みのプリンセスである。
だが、よく考えれば「泡になりたい」ワケじゃない。
むしろ、「泡になりたくなかった」のだ。
人魚姫は悲劇のプリンセスとしても有名だ。
人間の王子に恋焦がれ、声を奪われ、勘違いされ、最期は王子と結ばれないばかりか、泡になって消える。
改めて整理すると、酷な人生(魚生?)である。
巷では「人魚姫は可哀想だ!」という声が多数あるらしく、ハッピーエンドになった世界線の話も見られる。
ディズニー版の人魚姫なんかは、その代表例だろう。
でも、個人的には原作版の方が幸せなのでは?と思う。
俯瞰ではなく人魚姫目線で見ると、だ。
全てを捨てても構わないと思うほどの恋をして。
実際に声を捨ててまで王子に会いに来た健気なワタシ。
それでも想いは届かず、挙句勘違いまでされて。
このままでは消え去る運命の可哀想なワタシ。
そんなワタシを心の底から心配してくれた姉たち。
それでもワタシは、愛する人を殺すなんて…
それならいっそ、と愛する人を想って消えたワタシ。
誇張して書いたが、何が言いたいか伝わっただろうか?
そう、アレだ。
「悲劇のヒロインなワタシ」である。
偏見だが、若い女の子は悲劇のヒロインに憧れている。
悲劇のヒロインである自分に、酔いたい時期がある。
…ココじゃなかったら炎上してそうだ。
でも、やはり大抵はそうなんじゃないか?と思う。
特に人魚姫が幸せだったろうと思う肝の部分は、最後には死んでしまうという設定だ。
正直、死ねば全て終わりである。
実際はどうか知らないが、多分天国も地獄も無い。
その仮説でいけば、人魚姫は悲劇のヒロインとして、愛する人の身代わりになったような形で終わる。
その後には何も、例えば後悔なんかも無い。
めっちゃ名誉(笑)じゃないか。
自分だって死に方を選べるなら、愛する人の身代わりになって死にたい。
そう考えると…
「泡になりたい」もあながち間違いじゃないの、かも?
ただいま、夏。の「ただいま」。
このお題が通知された時、自分は「?」と思った。
ただいま、夏?ただいま、ただ…あぁ!
「只今、夏。」か!
そう、「ただいま」「おかえり」の方かと思ったのだ。
通りで変だと思った、理解できて良かった。
このタイトルに違和感を持った人はどれくらいだろう。
日本語には、同音異義語があるからややこしい。
だが、同音異義語があるから面白いのだ。
そもそもこのお題も、自分は「只今」の方がしっくり来て納得したが、「ただいま」の可能性だってある。
運営はそれも狙っているのだろうか?深読みか?
まぁ、どっちでもいいのだけれど。
「只今、夏。」はまさにこの時期、夏真っ盛りですね!という話をするのに最適だ。
焦がすくらいの日差しに、陽炎揺らめくコンクリート。
冷房の効いた家を出た瞬間から、俺のHPがじわじわと削られていくのが分かる。
回復薬としてつい5分前に買ったコーラは、既に若干のぬるさを宿し始めていた。
ポタリ、と落ちた汗もすぐに蒸発して見えなくなる。
只今、夏、真っ盛り。
みたいな小説だって書けちゃうかもしれない。
「ただいま、夏。」はちょっとエモい感じの夏の話をするのにピッタリだろう。
じいちゃんの家は、退屈だ。
ゲームも無いし、漫画も無いし、近くに公園も無い。
何より、今年からじいちゃんも居ない。
ヨーヨーとお喋りが得意だったじいちゃん。
代わりにお母さんと遊ぼうと思ってたのに、「忙しいから」とアイスを渡されて縁側に追いやられた。
玄関がカラカラカラと開いて、お墓に行ってたばあちゃんたちが帰ってきた時。
ひとりだけ「ただいまァ」と陽気な声が聞こえた。
玄関に走っても、姿は見えない。
でもボクは、「おかえりぃ」とヨーヨーを取り出した。
なーんて小説が書けちゃったりするかもしれない。
ちょこちょこ、小説や会話劇をこれから挟もうと思う。
エッセイ風が好きで♡をくれていた人には申し訳ない気もするが、元々脚本を書く目的で始めたんだし。
ちなみに「只今、夏。」の方は、あるキャラクターを思い浮かべながら書いたのだけど、伝わっただろうか。
伝わる人には伝わるかもしれないな、知らんけど。
それにしても最近は、アツがナツい。
ぬるい炭酸と無口な君、小説にピッタリのお題だ。
例えば、夕暮れ時に隣同士で座っている2人。
2人の間に特別な会話は無くて、特に君は無口だった。
何度目か分からない沈黙が訪れる。
僕がふと君を見て、カシュッとすっかり気の抜けたぬるい炭酸を飲み干す。
「不味いなぁ」という呟きに、勿論返事は無かった。
みたいな?
書いていて思ったことがある。
小説の技法なのか何なのかはよく知らないが、たまにこういう一人称だけで人物を表すものを見る。
自分は割と、こういう感じも好きだ。
なぜ好きなのか、ちょっと考えてみた。
まず、自分は本は好きだけど、読むのは億劫なタイプだ。
だから手軽に読める短編や、ビジュアルブックが好き。
「君」や「僕」だけで人物が構成される小説は、ほぼ間違いなく短編に分類されるだろう。
何十ページも「君」と「僕」で間が持つとは思えない。
だから多分、好きなのだ。
今、頭の中では好きな惣菜発表ドラゴンが流れている。
好きな小説発表ドラゴンが〜♪
好きな小説を発表します〜♪
SS、お洒落コメディ、意外なオチ、一人称だけで人物を表現するや〜つ♪
正式名称が〜 分からない小説も好き好き大好き〜♪
そんなこと言ってる暇があるなら調べろってな。
調べた、というかChatGPTに聞いてみた。
以下、回答。
特別な“ひとつの名称”があるわけじゃないけど、
「一人称 × 余白 × 無名性 × モノローグ」っていう複数の技法が掛け算されてるスタイルなんだ。
へぇ〜、そうなんだ。
ということは、好きな小説発表ドラゴンで正式名称が分からない場所に分類したのは間違っちゃいなかったのだ。
いつもの事ながら、だいぶお題から逸れてしまった。
ついつい、捻くれた回答をしたくなってしまう。
悪癖だって?自分もそう思うよ。
…ぬるい炭酸って、不味いですよね。