波にさらわれた手紙、って何?
メッセージボトルの事だろうか。
いやでも、アレはさらわれたというより、さらわせた…?
(平仮名で書くと「さわらせた」みたいでキモイな。)
さらわれたメッセージボトル。
ロマンチックにも、コメディチックにも聞こえる。
誰にも届けるつもりは無かった、胸の内。
うっかり手を滑らせて、波にさらわれた心の声。
誰かに届くだろうか、海の藻屑となるだろうか。
これはロマンチックバージョン。
浜辺に落ちていた誰かからのメッセージボトル。
無人島に流れ着いた今、久々の他人の言葉だと歓喜する。
その拍子にうっかり手を滑らせて、波にさらわれた言葉。
流れゆくビンを、僕はただ呆然と見つめていた。
これはコメディバージョン。
書きながら思った。
これ、実は同じメッセージボトルなら面白いな。
色んな人の手元に届くも、開けられないメッセージボトル。
様々な人が様々な思いを持ちながら、メッセージボトルと接触するも、その封が破られることは無い。
最後は最初の差出人の元に偶然戻って来る。
「誰かの心の声が落ちているが、私は拾わない。
私は私のことで精一杯だから、今は拾えない。またね。」
とでも締めて、舞台上にメッセージボトルだけが残る。
我ながら、ちょっとエモいんじゃないだろうか。
タイトルを「波にさらわれた手紙」にしようかな。
8月、君に会いたい。
どうしてこうも恋愛チックなお題が続くのか。
絶賛下り坂の身としては、怒りすら湧いてくる。
「君」が意中の相手とは明示されていないのだから、恋にお前が振り回されているだけだと言われてしまえば…返す言葉もないのだが。
いや、でも、八割方は恋愛の話になると思うけれど。
さて、「8月、君に会いたい。」との事だが…
「君」が意中の相手ならば、8月に限らずとも会いたい。
自分は情熱的だが、淡白だ。
毎日愛を伝えたいが、会うのは月に2回程度で良い。
人と会うというのは…特に良く見られたい相手と会うというのは、気疲れするのである。
良いと思う服を着て、直前まで髪のセットを気にして。
メイクをしない自分でこれなのだから、メイクまでする人たちは更に疲れるのではないだろうか。
そういえばこの間、ちょっとした用事で意中の相手と会う日があった。
時間にして数分程度会うだけの、ちょっとした用事。
それでも自分はお洒落をして、髪も整えて、お気に入りの香水をふって出掛けた。
敢えて何も気にしていない風を装って部屋着という手もあったが、それをしなかった。
特に自分の場合はお洒落着が特徴的だから、というのもあるのだが…その話はまた別の機会にしよう。
そして数分会った。
もちろん、相手は特に何も言ってこなかった。
それでも、会えて嬉しかった。
お洒落をしておいて良かったと思った。
本当に気疲れするが、それでも嬉しいと思ってしまうのだから、恋とは厄介なものだなと思う。
8月も、君に会いたい。
眩しくて、眩しくて、眩しくて!辛いよ〜ォォ〜!
正しくは「女々しくて」であるが。
何故かこのフレーズが浮かんだのだ。許してほしい。
眩しくて辛いもの。
運転中に正面から降り注ぐ日差しだろうか。
それとも昨日に引き続き、恋の話でもしようか。
「女々しくて」もラブソングだし。
というか、ラブソングが多すぎると思う。
楽曲の7、8割はラブソングなんじゃないだろうか。
恐らく多く見積もりすぎた。
だが、体感的にはそのレベルで多いのだ。
だからといって、ラブソングが嫌いなわけでは無い。
backnumberなんかはよく聴くし、いいなぁと思う。
基本的に流行りのものや大衆向けのものを避ける面倒臭い性格なのだが、ラブソングは大丈夫らしい。
話はだいぶ変わるが、今日から8月らしい。
ちょっと、いやかなり、早すぎるんじゃないだろうか。
毎月の思考ルーティンは大体決まっている。
1日に「今月こそは1ヶ月を大切に生きよう」と思う。
10日に「バタバタしていたらもう10日かと思う。
15に「もう半分になってしまったのか?」と思う。
そして最後の日、「来月こそは」と思うのだ。
改めて書き起こしてみると、全く不毛な1ヶ月を毎月過ごしているわけだが…
気が付いたらその日になっているのだ。仕方がない。
ボーッと生きているということだろうか。
輝かしい意味ある日々を1ヶ月だけでも過ごしてみたい。
熱い鼓動、といえば恋だろうか。
今日はロマンチックな話でもしようと思う。
何せ自分は割とロマンチストなのだ。
だって、たい焼きは必ずシッポから食べるし。
熱い鼓動+ロマンチック=恋。
恋は良いものだと思う。
世界がキラキラ輝いて見える気がする。
何でもできそうな気がするし、幸せだな〜!と思う。
特に自分は人一倍浮かれるタイプで、押して押して押しまくるタイプだから、恋をするとテンションが高い。
そうやって熱く鼓動を鳴らして、テンションを上げて、グワーッと体温が上がるような思いをして。
押して押して押しまくって、君が好きなんだ〜!と全身全霊で伝えて。
ところで、物事には二面性がある。
恋は良いものであると同時に、苦いものだ。
恋の終わりというものは、ゴーヤよりも苦い。
特に自分は情熱的な分、相手から引かれやすい。
初めの方はそれでも全く気にならないのだが、だんだんネガティブな一面が苦い方へ心を誘う。
こうなってしまうと、後はその恋が終わるまで苦虫を噛み潰し続ける日々が始まる。
厄介なのが、恋は自分の意思ではやめられない。
どうしたって好きなものは好きなのだ。
ChatGPTに相談した時もそんな事を言っていた。
自分は今まさに、恋の真っ最中だ。
どちらかといえば、苦い方の恋の真っ最中。
全く、早く終わりが来れば良いのだが。
タイミング、の悪い生き物。
タイミングが良い、悪い。という概念がある。
自分はどちらかといえば、タイミングの悪い方だ。
不要な時に不要な事をして人を不快にさせる事も多い。
そもそも「自分はタイミングが良い!」と豪語している人は見た事が無いわけだが。
「あ、今タイミング良かったな〜」とは殆ど思わない。
相手が心の内で「タイミング良かったな」と思うだけだ。
反対に「今、タイミング悪かったな…」と思うことはある。
つまり、主観的にしか生きられない人間という生き物にとって、永遠に自身は「タイミングの悪い」生き物なのではないだろうか。
そう語った直後になんだが、今タイミングが良かった。
このアプリのいいね機能とでもいうのだろうか、アレを確認したら丁度「♡77」だった。
7が並ぶとラッキー感が増して、なんか良い。
まぁ、これしきの事でタイミングの良い人間になれるわけでは無いのだけれど。
さて、人間というのはタイミングの悪い生き物なのだが、その中でも特にタイミングの悪い者がいる。
親という分類に属する生き物だ。
「宿題やったの?」
「さっさとお風呂入りなさい!」
これでやる気が家出した人は何万人いるのだろう。
「今やろうと思ってたのに!」
までがセットの親との不毛な会話。
だがこれも、親目線で見るとまた違うのかもしれない。
子供目線でしか語れない現状がもどかしい。
いつか親になって真相が分かったら、このアプリに書き込むことにしようと思う。
お題のタイミングが良ければ、の話だが。