マハーシュリーの夏巳

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10/5/2023, 2:11:08 AM

【お題:踊りませんか?】

ゾーンに入る
という言葉を
初めて聞いたのは

元 体操選手
内村航平さんの
言葉だったと思う

ゾーンに入ると
集中力、身体、メンタルが
この上ないほど 整い

その能力が極限まで
引き上げられるという

スポーツ選手であれば
競技において
素晴らしいパフォーマンスが
できることになる

元水泳選手
岩崎恭子さんも、
金メダルを獲った
試合について

どんなに泳いでも
体が軽く 疲れは感じられず
非常に気持ちがよい状態だった

オリンピック決勝
ということを忘れて
ずっとこのまま
泳いでいたかった

ということを 後に話していた

今思えば 彼女も
ゾーン状態に
入っていたのだろう

ゾーンは なにも
スポーツ競技にだけ
見られることではないようだ

山岸凉子の
「アラベスク」は
バレエを題材にした漫画だが

最終回の 間際
主人公ノンナが
やはりゾーン状態に入り
この世のものとは思えぬ
踊りを見せる

静寂のなか観客は 

肉体と精神が 
極限まで
研ぎ澄まされたときだけに
到達できる境地へと

ノンナの踊りによって
誘われるのだ

4次元の世界は
肉体や時間の制約を
一切受けないというが

漫画という
2次元の媒体を通じて

私たち読者も
その4次元レベルの
極地の美を 垣間見せられる

ジャンルを問わず
その境地に
立つことができる者は

その技をもって
世の人々に
肉体を超えるような
感動を伝えてくれる、

真の意味での
芸術家なのかもしれない



10/3/2023, 4:44:50 PM

【お題:巡り会えたら】

一見すると
絶対に合わない二人が

生涯で無二の存在に
なることがある


映画
「グリーンブック」
「最強のふたり」、
そして
「ドライビング・MISS・デイジー」

気が合って
交流が始まったのではなく

たとえば 仕事など
有無をいわさずに
組まされた関係から始まり

いつしか
他には置き換えがたい存在になる

そんな相手との巡り会いは
意外に多く この世の中に
起きているのではないだろうか

実際に 上記の
映画のうち2つは
実話を基に作られているそうだし

思えば私も

絶対に合わなそうな
タイプ同士ながら
当時 仕事で関わって以降
なんか妙にウマが合い
いまだに交流している

そんな人が たしかに
いるのであった

友人や恋人など
選択の余地があれば
絶対に近づかないようなタイプ同士
といったところだろうか

なぜ、そんな間柄が
生まれるのか

タイミングと縁が関係するほかに

自分では、自分のことを
意外にわかっていないから
なのではないかと思う

自分と真逆の相手を通して

実は 自分が好むこと
求めていたことを実感したり

嫌いだったものに
意外な魅力を発見したりと

これまでとは
まったく違う角度から
物を見る機会に
恵まれるからではないか

では 2人が正反対であれば
そういう間柄になりやすいか
というと、そうでもない気がする

心の奥底、根本部分に
2人がある程度
同じものを持っていないと
成立しないだろう

ちょっと くさい言い方かも
しれないが

たとえば
不器用なところがあったとしても
人に対しての誠実さとか
他人の痛みに無関心かどうか

お天道様が見てる
という感覚が
なんとなくでも わかるかどうか

といったようなことだと思う

その部分で
互いの感覚が近ければ

年齢や性別、人種や貧富の差など
環境の違いは
互いの壁には なり得ない

人類 皆 きょうだい
ならぬ
宇宙 皆 きょうだい
だって 難しいことではないだろう

上記 3つの映画では
彼、彼女らの人生を通し
そこに触れることができたように思う

10/3/2023, 12:17:51 AM

【お題:奇跡をもう一度】

奇跡って
実は この世には案外なくて

水が高いところから
低いところへ流れるように

そうなるべきものが
当然のこととして、
起こるのではないか

と思うことがある

村上春樹のエッセイに
通常なら、
あり得ないだろ
と突っこみを入れたくなるような
話があった
(でも本当)

本が今、手元にないので
うろ覚えだが

彼が小説家になる前に
経営していたお店の話だった

用意しなければならない、
まとまったお金があり
そのうちの数万円が
どうしても用意できない

明朝には納めないと
お店を存続できない

という内容だったと思う

彼と奥さんは
万策尽き果て
夜道をトボトボと
歩いていた

そのとき なんと

足りない金額と
全く同じ金額分の
一万円札が数枚 ひらひらと
飛んできたというのだ

たしか
住宅街か何かで
村上夫妻のほかに
歩いている人もいなければ
誰かが上から
飛ばした様子も全くない

しばらく悩んだ末
そのお金を借りることにして
翌日、全額を納めた
といった内容だったと思う

結果からいえば
お店があって
小説を執筆、
デビューとなったわけである

村上春樹は
小説を書き
世に出す必要があったから

奇跡みたいなことが
そこで起こったのではないか

逆から言えば
彼は作品を世に送り出すことが
必要だったから

当然 起こるべくして
起こったことで
自然の成り行きだったと言える

彼が小説家になりかったから
ではなく
あくまでも
世の中がそれを必要としていたから

起きたこと、なのだろうと思う

10/1/2023, 3:55:57 AM

【お題:きっと明日も】

顔を合わせたくない人がいる

気が進まないことをやっている

それが
きっと明日も続く と思うことほど
苦しいものはないだろう

今も苦しいのに
また それが繰り返されるというのは
相当に心身が削られる

藤子不二雄A
「明日は日曜日、そしてまた明日も……」

現代風にいえば
引きこもり
ということになるのだろうが

主人公 坊一郎の様子が
本当に切ない

読み手は ニートの話を読む、
という感覚を越えて
いつのまにか
自分と坊一郎を
重ね合わせてしまう

弁当の1コマにいたっては
もはや
自分の心を握りつぶされたような
苦しさと悲しさを感じた

私たちは誰でも
彼と同じところへ
迷いこむことがあるし

深みにはまっていくような
抜け出せないような
でも誰にも言えない
そんな辛さは
場面や状況は違っても
皆がどこかで一度は
経験しているからだろう

この作品は50年前に
発表されたそうだが

坊一郎の状況に
共感めいたものを感じる人は
いま日本に
どのくらい いるのだろうか

作品の発表当時よりも
恐らくもっと
増えているのではないだろうか

9/28/2023, 11:15:21 PM

【お題:別れ際に】

29日は中秋の名月
夜空を見上げる人も
きっと多いだろう

月に神秘を感じるのは
世界共通だろうが

日本では 月に
うさぎがいて餅をついたり
美女が帰っていったりと
なかなか楽しい

竹取物語の魅力は
かぐや姫を取り巻く人たちの
人間臭さにも、あると思う

欲望、ズルさ、浅ましさ
が描かれるが

それらを含め
人間らしさを 否定したくないな、
と 思わされるのも
面白いところだろう

かぐや姫が 月への帰り際
不死の薬を残していくが

帝は 彼女がいない今、
不死に 何の意味があるのか
と、それを焼いてしまう

権力者にとっての
不死の薬とは
喉から手が出るほど
欲しいものだろうと思うが
この帝にとっては
そうではないのだ

当時は 帝の地位や
それに準じる立場を手にいれようと
人間の欲望が渦巻いたことと思うが

その頂点にたっている帝本人は
ここで 永遠の地位、生命を選ばない

かぐや姫の帰ってしまった月に
少しでも近い場所を、と望み
日本一 高い山で
欲望の象徴、不死の薬を
焼かせるのだ

上流社会に渦巻く欲望に
作者が皮肉をこめ
物語の中では 権力のトップに
そう行動させたのかもしれないが

かぐや姫が別れ際にとった
行動や言動も相まって

今は金持ちとなった育ての親含め
本当に大切な存在に
出会えた人にとって

地位や金や名誉などは
大事な人の存在に比べれば
取るに足らないものだろうと
心から思わされる

金や地位よりも
その人こそを選んでしまう

それもまた、人間臭さ
人間らしさなのではないか

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