[優しくしないで]
『俺はお前のこと好きだよ』
ついさっきそんなことを言い放った貴方を横目で見詰める。彼は数分前に言った事なんか忘れたかのように普段通りの調子でコンビニのお弁当を真剣に選んでいる。
(え、真剣になるところ違くない?)
あんな告白まがいの事を軽い調子で言っておいてコンビニ弁当に夢中になってる貴方が憎らしい。お弁当に向けるその真剣さの10%でも私に向けてくれてもいいのに。
(あー、やめよやめよ。冗談なんだろうし真剣に受け取るだけ無駄でしょ)
はぁっと軽く溜息をついて彼が悩んでる弁当を一緒になって眺める。
「どれで迷ってるの?」
「焼肉弁当とカツ丼」
「肉肉しいなぁ、あ、焼肉弁当これで終わりか。ならもーらいっ」
「おいっ!普段肉なんか食べないくせに」
「いいじゃん、カツ丼と迷ってたんでしょ? そっち食べなよ」
「焼肉弁当に決めたのに…」
焼肉弁当を取られて悔しがってる貴方が微笑ましくてつい笑みが溢れてしまう。
「……何笑ってんの?」
「かわいいなーと」
「うるせー」
一口を尖らせながらカツ丼と私の持ってた焼肉弁当とペットボトルを手にとってレジに向かう彼を尻目に一足先に外の休憩スペースへと腰掛ける。彼とこのコンビニで一緒に夕飯を取るようになってどれくらいが経ったっけ。
お互い金欠で今みたいにお弁当を選んでた時、偶然手が触れたのが彼だった。こうして一緒に食べるようになった今でも彼の連絡先も知らなければ教えてもらった名前だって本当か疑わしい。ただ『偶然』が何度も重なってコンビニ友達のような関係になってるだけ。
「ほら」
「ありがとう」
ガサゴソと音を立てて2つの温められたお弁当とペットボトルと見知らぬおにぎりが出てきた。
「え、おにぎりも買ったの?」
「うん、新しくなったって言ってたし食べるしかなくない? ほら、お前の分もあるぞ」
「抜かりないね。じゃあ――」
『いただきます』
「んー、うま。やっぱコンビニ弁当日々進化してってるわ、すげぇ」
「ていうかおにぎり凄っ!めっちゃ美味しくなってる!」
なんて、コンビニ食の進化に二人で唸った後――
「あのさぁ、さっき言ってた事だけど…」
「俺何か言ったっけ?」
(忘れないでよ……)
「わ、私のこと好きって、やつ」
「ああ、好きだよ。俺嫌いなやつと何回もこうして飯食べないし」
「………………」
(ね、ねぇ、その好きは友達として? それとも恋愛感情的なやつですか? LIKEですか? LOVEだったりします?)
「それにさ――」
問い質したい。ちゃんとはっきりさせてほしいし、凄く問い質したい、のに――。
「コンビニ飯でもお前と食べると特別旨く感じんだよなー」
なんて無邪気な笑顔で言われたらさ、聞ける訳ないよ。
ああ、どうしよう。
勘違い、しそうになる。
[カラフル]
レストランへの道すがら、ふと視界に入った町の花屋。蛍光の光に照らされて並ぶいくつもの花。
普段なら通り過ぎるそれに目が奪われ、扉を開くと花の濃厚な匂いが鼻腔を刺激してくる。
『いらっしゃいませー。何をお探しですか?』
「あ、えっと、花はよく分からなくて。……花束を、作ろうかと」
『そうでしたか、どなたに贈られるのですか?』
「あー、……と、その……」
花を誰かに贈るのだなんて今までで初めての事で、どうにも素直に言うのが気恥ずかしい。でも花に詳しくない僕では選べないし、店員に選んでもらった方が良いものが出来上がるに決まってる。コホン、と軽く咳払いをして――。
「……告白用、にお願いできますか」
お任せ下さい、と笑顔を浮かべた店員の女性は次々と花を薦めてくる、この花は花言葉がどうだこうだ、この色合いはどうだと。
『どんな女性かお聞きしても?』
「……柔らかい雰囲気の女性です。花が咲いたように笑うという言葉がぴったりと当てはまるような、とても綺麗な女性です」
『ではコスモスなどのホワイトベースで――』
「あっ、あの!やっぱり、この花をベースに作ってもらえませんか?」
『分かりました。……っ』
「何かおかしい、です、かね」
『ああ、いいえごめんなさい。ただ、その方をよほど愛していらっしゃるのだなと思いまして。カンパニュラの花束はお客様のように告白用にと買っていかれる方もいますが、どちらかといえば恋人やご家族への感謝や愛を伝えるために贈られる方が多いんです』
ホテル最上階にあるレストラン、窓際。
席に付き彼女を待っている間、さっきの女性の言葉を思い出していた。隣に置いたカンパニュラで作ってもらった花束を眺める。あの店で見かけた花言葉は『感謝』。
僕にはこの花束の色の区別がつかない。俗に言う先天性色覚異常というもので、今となってはこの色の少ない世界に慣れているけれども、それでも仕事柄不便を感じる時が度々あった。
だけど、そんな時は君がずっと隣にいて支えてくれた。
だから君にはまず何を置いても感謝を一番に伝えたかった、そしてその上でこの想いを伝えようと。
「こんばんは」
「ああ、来てくれてありがとう。どうぞ」
僕の想いを知ったら君はなんて言うだろう。驚く?知ってた?喜んでもらえるといい。この色鮮やかに彩られたであろう花束を君が笑顔で受け取ってくれるようにと、僕は最後に一度だけ、花束を軽く握った。
[楽園]
「そういえばさ、失楽園って読んだことある?」
本から顔を上げてお前は唐突にそんなことを言い出した。
「ジョン・ミルトンの? いいや」
「あれの中にさ、『罪のない性行為』ってあるんだよね。そう書くんなら罪のある性行為との対比を書くべきじゃない? 正直そこで萎えて私も全然読んでないんだけどさ」
「昔の本だろ、萎えてやるなよ」
「しょうがないで済ませられない質だから仕方ないね。そういう訳で私の中の失楽園のイメージってアダムとイブが禁断の実を食べて追放された話で終わってるんだよね」
「よくあるやつな」
うん、と呟きながらお前は俺の肩に頭を預ける。別に重くはないけど髪がくすぐったくて、どうにも好きになれない。
「ねぇ、この世界にもし本当に楽園が存在するとしたらどんなところだと思う?」
「仕事もしないで一日中ごろごろしてても怒られなくて生活が保障されてるところ」
「確かに楽園だけどもっとこう、具体的な描写とかあるでしょ。例えば常に空は晴天で程良く緑が生い茂ってて誰からも咎められることなく自由、みたいな」
「お前のも結構抽象的だと思うぞ」
「とにかく、先輩のその楽園に行けるってなったら行く?」
「何当たり前のこと聞いてるんだよ、即決で行くわ」
「……その楽園で一生一人だとしても?」
「…………お前はどうなんだよ」
「行かない、絶対にね」
「その楽園に行けばお前の望みが全部叶うとしても?」
「一人だけって前提がある時点でそもそも叶わないからね」
「お前一人嫌だもんな」
「それもあるけど、……本当に分からない?」
ああ。たった二言なのについ笑みが溢れてしまった、俺はそこまで鈍感じゃない。
「先輩がいないから、行きたくない」
素直に好意を伝えてくるお前が可愛くて、たまらなく愛しく思える。本当に、誰かに奪われなくて良かった。
「先輩の居ない理想郷よりも先輩と一緒にいられる地獄郷を選ぶよ、即決でね」
「……ああ、俺もだ」
華奢な身体を強く抱きしめる。本当は失楽園を昔に読んだ事があった。単純な読み物としては面白かったが、俺には理解出来ない台詞もあってあまり良い印象は残っていなかった。
『彼と一緒ならどんな死にも耐えられる。しかし、一緒でなければ、たとえ生きていても生きていることにはならない』
でも、今なら理解出来る。俺はお前が居ればどんな苦痛にも耐えられるだろうし、逆にお前がいなくなった世界を想像出来ない。お前が俺の心そのものなのかもしれない。
だから、どうか。
どうか、どこまで堕ちることになったとしても、お前が俺の手を離さないでいてくれますようにと、それだけを願う。
[風に乗って]
「……元気にしてるかな、お兄さんは」
私がお兄さんの部屋を出てもうすぐ半年。季節はお兄さんと過ごしたあの春から2つ目の季節を迎えてる。秋口の涼しい風が肌に心地良い。
お兄さんと一緒に過ごした一ヶ月はとても楽しかった、それこそ私の人生の中で一番楽しかったって言ってもいいくらいにはお兄さんとの生活は居心地が良かった。最初不安が無かったと言えば嘘になる。初めての家出で、助けてくれたとはいえ見ず知らずの男の人の家に行くだなんて襲われでもしたら、なんて女の子ならそんな考えの一つ二つ考えてしまうものだしね。
でもお兄さんはずっと優しかった。家での理由も聞かずテレビを見せてくれたし一緒に話もしてくれた、ベッドだって一つしかなかったのに譲ってくれた、朝も忙しかったのにご飯まで作ってくれた、帰る前にシャワーも貸してくれた。
優しすぎて逆に胡散臭かったりもしたけど、お兄さんはただ優しいだけだった。
パンッと小気味良い音が満天の下に響く。打たれた頬がじくじくと痛んで熱を持っていく。お兄さんの態度に絆されて帰ってきたことを一瞬で後悔した。このビンタが私を心配した愛情からくるものだったら私だって家出したことを一瞬でも後悔出来たのかな、なんて外で怒鳴り散らす父親を黙って睨むとまた打たれた。娘にDVしたいだけのクズのくせに。
「あ、ははは……。昨日ちゃんと帰ったんだけどね、また出てきちゃった」
殴られた跡を見てからお兄さんは家に帰ろと言わなくなって、私も私でお兄さんに甘える形でダラダラと同居生活を続けてたある深夜。
「魘されてるね、大丈夫かな……っ、お兄さん気が付いた?」
「………、…」
「どうしよう、やっぱり起こしたほうがいいかな」
「……き、だ」
「なに、お兄さん」
「おれも…きみが、…すき、だよ」
「っっ!!」
あの言葉を聞いて潮時だと思った。お兄さんの人生で偶然ほんの一瞬交わっただけの私がお兄さんとこれからも一緒にいていい筈がない。
だからあの日私はお兄さんが仕事に行ってる間に何かあった時用に取っておいた少額を下ろしてお兄さんが買ってくれたものを全部バッグに突っ込んで逃げるように家を出た。勝手に家を出たから怒ってるかな、きっと怒ってるよね。
送るつもりもないくせに書いた手紙を破ると何の偶然か一際強い風が吹いていくつかの便箋の欠片が窓から風に乗って飛んでいく。
いっそこの想いごとお兄さんのところまで届けてくれたらいいのに。
『お兄さん、会いたいよ』
※[刹那(23/04/28)]のアンサーです。刹那テーマの方を読んで頂くと物語の流れが分かり易いと思われます。全容を知りたい方は是非そちらも合わせてお楽しみ頂けると幸いです。
[刹那]
1日目
「お兄さん、ごめんね。助かったよ、ありがとー」
「どうして無銭飲食なんか…」
「いやぁ手持ちでギリギリ足りる筈だったんだけど、税の分忘れてて……あ、ははは……ほんっとうにありがとうございました!!」
「はぁっ。もしかしなくても家出……」
「ご、ご推察の通りです」
「お金ないんでしょ、泊まるところあるの?」
「ざ、残念ながら…」
「…………はぁぁぁー。うちで良かったら一晩泊まる?」
「えっ! い、いいの!?」
「その代わり今日泊めたら家に帰んなよ、分かった?」
「うんっ!! 何から何までありがとうね、お兄さん」
「へぇ、お兄さんの部屋結構シンプルなんだね。お邪魔します」
「男の一人暮らしなんてこんなもんだよ」
「そうなの?」
「うっそ!? お兄さん弁護士なの?」
「一応ね」
「いやいや謙遜しなくていいって! 凄いね! 格好いい〜」
「あー、やっぱり弁護士さんって大変なんだね。いつもお疲れ様、おにーさん」
「……何、してるの?」
「んー、頭なでなで〜ってしてる。大変だね、凄いよお兄さんは」
3日目
「……なんでまた君がいるのかな」
「あ、ははは……。昨日ちゃんと帰ったんだけどね、また出てきちゃった」
「おいで」
「ん? なにー? って、それ濡れタオル……?」
「頬の跡隠してるつもりなんだろうけど隠せてないから。ほら」
「もう、お兄さんは察し良すぎだよ」
「……俺のせいだろ、その跡」
「違うよ、お兄さんのせいじゃないよ」
「俺の言う事聞いて家帰ったから殴られたって言えばいいのに」
「そういうの人のせいにするのダサいじゃん、やだよ」
10日目
「ねぇ、お兄さん! これどう? …って、なんで見ないのー?」
「別になんでも良いだろ服なんて」
「良くないですーっ! ねぇ、可愛い?」
「可愛い可愛い」
「じゃあこれも買おー!」
17日目
「お兄さん、お兄さん」
「何か?」
「本ばっか読まないで構ってよー」
「はいは――…うわっ、急に割り込むな――」
「んーちゅっ。……大好きだよ、お兄さん」
20日目
帰宅後、部屋に入ると全てが違っていた。
いや、元に戻ってたというのが正しいのか。
全ては20日前の、彼女を拾う前の部屋にすっかり元通りになっていた。
一緒に選んだ小物や服や彼女と出会ってから増えていったもの全てが突然なくなった。
全てが無くなった代わりに増えたのはテーブルの上にある一通の封筒。
幾ばくかのお金だけが入った真っ白い、無地の。
彼女が消えたことも彼女がいたことも俺が見た幻だったのかと錯覚しそうになる。確かに彼女はここにいたはずなのに、彼女がいた証は封筒以外のどこにもない。
あまりに刹那的に過ぎ去った彼女との日々。
「なぁ。俺も好きだって、伝えていたら……」
そうしたら君は今も、俺の隣に居てくれたんだろうか。