ただひとりの君へ(特に娘に捧ぐ)
私にとって「ただひとり」は3人いる。
ただひとりの夫と、ただひとりの息子、そしてただひとりの娘だ。
両親が毒親だったので、私は、結婚してからが幸せで楽しくて嬉しくて堪らなかった。
新婚の夫が夜中まで仕事で帰って来ない毎日も、共稼ぎなのに家事協力が不可能だったことも、つわりの苦しみも、ワンオペ子育ても、何もかも平気だったし、本当に幸せだった。
実家から電車で2時間以上の距離にお嫁に来たので、親の干渉も無くなった。お金の無心は百万単位だったけど。そのうち、父は亡くなり、母は施設に入ったから尚さらだ。
指定難病に罹った私が、今の「ただひとり」の3人に支えられて、これからどれだけ生きられるか分からないが、なるべく長く生きたいと思うのは、やはり幸せだからだと思う。
ただひとりの君(たち)へ、幸せな日々をありがとう。
手のひらの宇宙
井の中の蛙(かわず)大海を知らず
この言葉は私にピッタリだ。手のひらの宇宙に拘泥して、外を見ようとしなかった。小さな小さな宇宙だったのに、それが世間のすべてだと思っていた。
「父はわが家の独裁者だ。家族が自分の思い通りにならないと、罵声を浴びせモノをぶつけ、暴力を振るう。自分の家庭内のモノは、たくあん1枚でも意のままにしたい。そうならなかったときの苛立ち方とその後の行動は、まるで2歳児のようだ」
と書かれた、中学生の息子の作文を読んでしまった。「家族の肖像」というタイトルだった。
作文は続く
「映画やテレビドラマに出てくる、アットホームなあたたかい家族は、父の中には無いのだ。僕だって、そういうあたたかい優しい家族ばかりではないのは知っている。だが、父にその一部でも知ってもらいたいのに、みんなでテレビを見ていてそういうお父さんが映っても、父には別な世界のことにしか見えないのだろう」
なんてことを、先生も当然読む作文に書いたんだ、あいつ!帰ってきたらぶん殴ってやる!
だが、作文はこう結んであった。
「僕は父が、本質は優しいのを知っている。寂しがり屋なのも知っている。だから少しでも、その優しさを家族に分けて欲しい。何をされても、なんだかんだと言ってみても、僕は父が好きなのだから」
不覚にも涙が出た。私の手のひらの宇宙は、まだ修正が効くだろうか。何から始めたら良いか分からないが、少しずつ変わっていきたい。急に優しくなったら気味が悪いだろうから、少しずつだ。
風のいたずら
ふと風が吹いた。
ほとんど風の無い穏やかな日だったが、お墓に相対したとたんに、うなじを撫でられた気がした。
「七回忌か、早いものだな」父が手を合わせながら呟いた。「私たちより早く逝くなんて、ほんと親不孝者」母が涙声で言う。
妹は6年前、不慮の事故で亡くなった。信号無視の自転車に突っ込まれて、横断歩道ではねられた。自転車とは言え、若い大学生がスマホを見ながら全速力でぶつかってきたのだ。歩道の縁石に頭を強打して即死だった。
あの日は日曜日だった。彼女の出掛けに私もいて、「ねぇ、お姉ちゃん、パパとママの結婚記念日、どうする?」「来月だね。2人とも社会人だから、何かいいモノプレゼントする?それとも旅行?」「そうだね、じゃ今夜相談しよう」「うん、行ってらっしゃい」
相談は出来なかった。事故後のいろいろで、結婚記念日もお祝いどころではなかった。家族中で、彼女の突然の死をずいぶん長い間引きずった。
年子の姉である私は、長いこと彼女のために泣けなかった。家族葬をしたときも、その後の法事でも、深い悲しみにくれていたのに、何故か涙が出なかった。
いま、お参りしながら風に吹かれて、いたずら好きだった妹が、ふざけてうなじを吹いた気がした。
「今になって、そんなに泣く?」母にもらい泣きしながら言われて、初めて自分が泣いているのを知った。ただの風のいたずらだったろうけど、私は、彼女が手を振って笑って去って行ったと感じたのだ。
透明な涙
涙には、悲しい涙も嬉し涙もあるけれど、涙を流すこと自体が、心を浄化しリラックスさせる働きがあるそうだ。涙の中に含まれるある種のホルモンで、痛みを和らげる効果もあると聞いたことがある。泣いたあとはぐっすり眠れるとも。
人が、悲しくて泣くにしても、嬉しくて泣くにしても、貰い泣きでさえも、涙で心が安定し、痛みすら和らぐ・・・2つの目から溢れ出る透明な涙に、そんな事が出来るとは。一粒は数mgあるかないかだろうに、すごいと思う。
どんな涙でも、流すことを抑えてはいけないんだね。私の親は、2人とも「泣くなみっともない。泣けばいいと思ってるんだろう」と言う人たちだった。何か楽しくて少し声が高くなると「うるさい、はしゃぐな」、悲しくなれば「なんだその顔は!」と、何をしても叱られるので、私は実家にいるあいだに、感情を抑え込むことを覚えてしまった。感情が顔に出ないようにしていたので、泣くなんてとんでもないことだった。
結婚してそんな親たちと離れて、私は感情を表すことが出来るようになった。いま、家族で面白かったら笑い、怒るときは怒り、泣くときは泣ける。
私が結婚して良かった。幸せだなぁ!と思うのは、これが一番大きいかも知れない。
あなたのもとへ
友だちの果穂に、隣の男子高校の知り合いがケガをしたと聞いた。入院した先は、ちょうど通っている高校への途中だったので、朝、1つ早い電車で行って、お見舞いしてみた。
彼がケガをしたのは足で、ギプスをつけられて不自由そうだった。痛い?もうご飯食べた?いつまで入院するの?登校前なので、そんな短い会話をして、すぐに辞した。
その後登校して、果穂に「お見舞いに寄ってきたよ」と言ったら、彼女が大騒ぎ。
「いつもギリギリに駆け込んでくるあゆみが、1つ早い電車で来たぁ?それは、たいへんだ!」
「たいへんって、何よ?」
「あゆみ、自分で気づいてないの?あんた吉成くん好きでしょう?」
「へ?」
「変な声出すんじゃないわよ。だってさ、寝ぼすけが、電車1つでも早く起きたんだから、気持ちが無きゃ出来ないよ」
「えーそうかなぁ。可哀想だし、どんな顔で入院してんのかな、って思っただけだと思うんだけど」
「だぁかぁらぁ、興味を持ったんでしょ?どうしてるのかな?って。」
「うん、まぁ、そーだけどさ」
果穂によって、私は吉成くんが好きだということにされてしまった。
次の朝も寄ってきた。昨日、吉成くんが、「明日の朝も来る?」って聞くから、勢いで「うん」と言っちゃったからだ。
学校に着くと、また果穂に「ほらぁ、やっぱり!2日も続けて早起きしたんだよ!」と言われた。
人の心って不思議なもので、果穂に私が吉成くんを好きだと決めつけられたら、なんか意識しちゃったんだよね。
次の朝はもう、いそいそと、あなたのもとへ!っていう感じになっちゃった。