透明な涙
涙には、悲しい涙も嬉し涙もあるけれど、涙を流すこと自体が、心を浄化しリラックスさせる働きがあるそうだ。涙の中に含まれるある種のホルモンで、痛みを和らげる効果もあると聞いたことがある。泣いたあとはぐっすり眠れるとも。
人が、悲しくて泣くにしても、嬉しくて泣くにしても、貰い泣きでさえも、涙で心が安定し、痛みすら和らぐ・・・2つの目から溢れ出る透明な涙に、そんな事が出来るとは。一粒は数mgあるかないかだろうに、すごいと思う。
どんな涙でも、流すことを抑えてはいけないんだね。私の親は、2人とも「泣くなみっともない。泣けばいいと思ってるんだろう」と言う人たちだった。何か楽しくて少し声が高くなると「うるさい、はしゃぐな」、悲しくなれば「なんだその顔は!」と、何をしても叱られるので、私は実家にいるあいだに、感情を抑え込むことを覚えてしまった。感情が顔に出ないようにしていたので、泣くなんてとんでもないことだった。
結婚してそんな親たちと離れて、私は感情を表すことが出来るようになった。いま、家族で面白かったら笑い、怒るときは怒り、泣くときは泣ける。
私が結婚して良かった。幸せだなぁ!と思うのは、これが一番大きいかも知れない。
あなたのもとへ
友だちの果穂に、隣の男子高校の知り合いがケガをしたと聞いた。入院した先は、ちょうど通っている高校への途中だったので、朝、1つ早い電車で行って、お見舞いしてみた。
彼がケガをしたのは足で、ギプスをつけられて不自由そうだった。痛い?もうご飯食べた?いつまで入院するの?登校前なので、そんな短い会話をして、すぐに辞した。
その後登校して、果穂に「お見舞いに寄ってきたよ」と言ったら、彼女が大騒ぎ。
「いつもギリギリに駆け込んでくるあゆみが、1つ早い電車で来たぁ?それは、たいへんだ!」
「たいへんって、何よ?」
「あゆみ、自分で気づいてないの?あんた吉成くん好きでしょう?」
「へ?」
「変な声出すんじゃないわよ。だってさ、寝ぼすけが、電車1つでも早く起きたんだから、気持ちが無きゃ出来ないよ」
「えーそうかなぁ。可哀想だし、どんな顔で入院してんのかな、って思っただけだと思うんだけど」
「だぁかぁらぁ、興味を持ったんでしょ?どうしてるのかな?って。」
「うん、まぁ、そーだけどさ」
果穂によって、私は吉成くんが好きだということにされてしまった。
次の朝も寄ってきた。昨日、吉成くんが、「明日の朝も来る?」って聞くから、勢いで「うん」と言っちゃったからだ。
学校に着くと、また果穂に「ほらぁ、やっぱり!2日も続けて早起きしたんだよ!」と言われた。
人の心って不思議なもので、果穂に私が吉成くんを好きだと決めつけられたら、なんか意識しちゃったんだよね。
次の朝はもう、いそいそと、あなたのもとへ!っていう感じになっちゃった。
そっと
私は大雑把というか、がさつな人間なので、そっと何かをすることは出来ない。いつもバタバタしている。おまけにそそっかしいときては、もうどうしようもない。
そんな私が小学生の頃、居間でごろ寝する母の肩をほぼ毎日揉まなければならなかった。母は無類の肩こり症で、週に一度はマッサージ師を呼んでいたが、それだけでは足りなくて、私にも肩を揉ませるのだった。
ひどい肩こりだからと、かなりの力を入れないと気がすまない人だった。おかげで、小学生の小さな手でも鍛えられてうまくなったし、ツボも分かるようになった。
で、揉まれながら母が眠ってしまう。私は、そっと手を離して自由になろうとする。すると母から「まだだよ」と、鋭く声が掛かる。仕方なく私は肩もみに戻る。しばらくして、また母が眠ってしまう。軽くイビキをかいている。私はそっと離れようとするが、また戻されるという攻防戦だった。
今思えば、小学生に1時間以上も全力で肩を揉ませるなんて、虐待に近いことだが、逆らうと怖い母だったからしょうがなかった。おかげで成長した私も肩こりだが、子どもに揉んでもらうことは無い。ああなりたくないからだ。
母は、低周波治療器やマッサージ器、ぶら下がり健康機、ツボ押しと、次から次へと買っていた。これで、私が揉まなくてもよくなったかな、と思うと「結局、あんたに揉んで貰うのが1番気持ちいい」と1週間もしないうちに、また私が揉まされる。そのたびにガッカリして、「だったらいろいろ買わなきゃ良いのに」と内心思ったが、そんな事を言ったら母の目が釣り上がるのでなんにも言えなかった。
私がそっと何かをしたのはあの時ぐらいだ。それはもう細心の注意を払って、母の肩から離れようとしていた。でも、いかにそっとしても、すぐ呼び戻されてしまうのだった。
それは、中学生になっても高校生になっても続けられた。だんだんそっと離れるのはやめて、適当に力を抜くようになった。
まだ見ぬ景色
あの世というものがどうなっているのか?年を取って、自分も近くなってきたので、非常に興味がある。以前(12/5「夢と現実」)にも書いたが、臨死体験をした人たちが見たという三途の川やお花畑も、本人の好みが色濃く反映されている気がする。
となると、現実にそのような場所を経てあの世に行くのかどうかも疑わしい。あの世には神様がいるのか閻魔様がいるのか、天国と地獄があるのか、一本化されているのかなど、知りたいことがたくさんある。宗教によってあの世が変わるのはおかしいと思うし。
でも、誰も教えてくれない。行って帰った人がいないからだ。もしかしたら亡くなったとたんに、私たちの魂もシューっと消えて終わりなのかも知れない。
そんなワケで、あの世のまだ見ぬ景色は、楽しみなような怖いような・・・。
あの夢のつづきを
小学生の頃、怖い夢を見た。
私の部屋にはドアが2つあり、いつも使っている出入り口ではなく、私のベッドの横にあったドアを開けると、居間と、その先の両親の寝室の両方に行ける長い廊下があった。
ある夜、ふと目が覚めるとベッドの脇の普段開けないドアが開いていた。すると、廊下の一番あっちの端に、派手な化粧と衣装の、京劇の人形が三体並んでいた。薄暗い廊下の端に、等身大で頭の大きな人形はあまりにも不釣り合いで怖く、すぐにドアを閉めて見なかったことにした。実はそれは夢だった。明るくなってから確認したが、もちろん、そんな人形たちは無かった。
目が覚めても鮮やかに思い出すその人形たちは、あまりにもインパクトがあったので、次の日の就寝時に、ついそれを思い出したのがいけなかったのだろう。その晩、目が覚めると、またドアが開いていて、やはり昨日と同じ人形たちが居た。前の日と違っていたのは、人形たちが廊下の半分ぐらい、こちら側に移動していたこと。私は悲鳴をあげてドアを閉めた。という夢。
3日目、嫌な予感がするが、とりあえず就寝したらまた夢を見た。今回はドアが閉まっていた。「ああよかった」と思ったが、気になってしょうがない。あの人形たちはまだ居るのかな?好奇心に負けて、私はドアをそぉっと開けてみた。
すると、開けてすぐのところに三体とも居たのだ。昨日は半分のところに居たのに、今日はここまで来たの?きらびやかな衣装と派手な化粧を施しているのに無表情な三体は、本当に怖かった。ひぇーっと声にならない声を上げて私はドアを閉めた。
たったそれだけの夢なんだが、3日続けて見た彼らの夢は、何十年も経った今でも鮮烈な思い出だ。私はあの夢のつづきを・・・決して見たくない。