シャイロック

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1/15/2025, 3:57:12 AM

そっと

 私は大雑把というか、がさつな人間なので、そっと何かをすることは出来ない。いつもバタバタしている。おまけにそそっかしいときては、もうどうしようもない。
 そんな私が小学生の頃、居間でごろ寝する母の肩をほぼ毎日揉まなければならなかった。母は無類の肩こり症で、週に一度はマッサージ師を呼んでいたが、それだけでは足りなくて、私にも肩を揉ませるのだった。
 ひどい肩こりだからと、かなりの力を入れないと気がすまない人だった。おかげで、小学生の小さな手でも鍛えられてうまくなったし、ツボも分かるようになった。
 で、揉まれながら母が眠ってしまう。私は、そっと手を離して自由になろうとする。すると母から「まだだよ」と、鋭く声が掛かる。仕方なく私は肩もみに戻る。しばらくして、また母が眠ってしまう。軽くイビキをかいている。私はそっと離れようとするが、また戻されるという攻防戦だった。
 今思えば、小学生に1時間以上も全力で肩を揉ませるなんて、虐待に近いことだが、逆らうと怖い母だったからしょうがなかった。おかげで成長した私も肩こりだが、子どもに揉んでもらうことは無い。ああなりたくないからだ。
 母は、低周波治療器やマッサージ器、ぶら下がり健康機、ツボ押しと、次から次へと買っていた。これで、私が揉まなくてもよくなったかな、と思うと「結局、あんたに揉んで貰うのが1番気持ちいい」と1週間もしないうちに、また私が揉まされる。そのたびにガッカリして、「だったらいろいろ買わなきゃ良いのに」と内心思ったが、そんな事を言ったら母の目が釣り上がるのでなんにも言えなかった。
 私がそっと何かをしたのはあの時ぐらいだ。それはもう細心の注意を払って、母の肩から離れようとしていた。でも、いかにそっとしても、すぐ呼び戻されてしまうのだった。
 それは、中学生になっても高校生になっても続けられた。だんだんそっと離れるのはやめて、適当に力を抜くようになった。

1/14/2025, 3:23:59 AM

まだ見ぬ景色

 あの世というものがどうなっているのか?年を取って、自分も近くなってきたので、非常に興味がある。以前(12/5「夢と現実」)にも書いたが、臨死体験をした人たちが見たという三途の川やお花畑も、本人の好みが色濃く反映されている気がする。
 となると、現実にそのような場所を経てあの世に行くのかどうかも疑わしい。あの世には神様がいるのか閻魔様がいるのか、天国と地獄があるのか、一本化されているのかなど、知りたいことがたくさんある。宗教によってあの世が変わるのはおかしいと思うし。
 でも、誰も教えてくれない。行って帰った人がいないからだ。もしかしたら亡くなったとたんに、私たちの魂もシューっと消えて終わりなのかも知れない。
 そんなワケで、あの世のまだ見ぬ景色は、楽しみなような怖いような・・・。

1/13/2025, 7:02:22 AM

あの夢のつづきを

 小学生の頃、怖い夢を見た。
 私の部屋にはドアが2つあり、いつも使っている出入り口ではなく、私のベッドの横にあったドアを開けると、居間と、その先の両親の寝室の両方に行ける長い廊下があった。
 ある夜、ふと目が覚めるとベッドの脇の普段開けないドアが開いていた。すると、廊下の一番あっちの端に、派手な化粧と衣装の、京劇の人形が三体並んでいた。薄暗い廊下の端に、等身大で頭の大きな人形はあまりにも不釣り合いで怖く、すぐにドアを閉めて見なかったことにした。実はそれは夢だった。明るくなってから確認したが、もちろん、そんな人形たちは無かった。
 目が覚めても鮮やかに思い出すその人形たちは、あまりにもインパクトがあったので、次の日の就寝時に、ついそれを思い出したのがいけなかったのだろう。その晩、目が覚めると、またドアが開いていて、やはり昨日と同じ人形たちが居た。前の日と違っていたのは、人形たちが廊下の半分ぐらい、こちら側に移動していたこと。私は悲鳴をあげてドアを閉めた。という夢。
 3日目、嫌な予感がするが、とりあえず就寝したらまた夢を見た。今回はドアが閉まっていた。「ああよかった」と思ったが、気になってしょうがない。あの人形たちはまだ居るのかな?好奇心に負けて、私はドアをそぉっと開けてみた。
 すると、開けてすぐのところに三体とも居たのだ。昨日は半分のところに居たのに、今日はここまで来たの?きらびやかな衣装と派手な化粧を施しているのに無表情な三体は、本当に怖かった。ひぇーっと声にならない声を上げて私はドアを閉めた。
 たったそれだけの夢なんだが、3日続けて見た彼らの夢は、何十年も経った今でも鮮烈な思い出だ。私はあの夢のつづきを・・・決して見たくない。

1/11/2025, 11:40:06 AM

あたたかいね

 炎は温かい、と言うよりも熱い。
 焚き火の炎を見ていると飽きない。適当な距離をとって見ながら手をかざしたり、背中が寒くなって背中を向けたり、お腹が寒くなってまた炎の方を向く。
 最近は、消防法かなんかで焚き火はしてはいけないので、うちの子どもたちにはそんな経験がないだろう。焚き火をしたら通報されて、消防車が来てしまう。
 大晦日からお正月にかけて、近所の神社でお焚き上げが行われて、前回のお正月のしめ飾りやお札などを燃やしていただく。氏神様なので、初詣を兼ねて毎年大晦日の深夜に出かける。
 消防署員も消防団員も立ち会いに来て、神社の氏子さんたちと火の番をしてくれているが、かなり高く炎が踊り圧巻だ。
 お焚き上げのお願いをしてから初詣の列に並ぶと、足元に冷たい空気がまとわりつく。でも、身体は温かい。ある程度距離があるのに、お焚き上げの炎から熱気が来るのだ。
 一緒に行った夫と、「あたたかいね」と言いながら並んでいると元旦だ。それからすぐに拝殿にたどり着く。

1/11/2025, 2:32:14 AM

未来への鍵

 僕の左手は、拳のまま開かない。両親によると生まれたときからそうだった。だから、利き手の右手だけでなんでも出来ていた。不便も感じない。
 小学校、中学校時代は、からかう奴もいた。物を隠すとか壊すとか、陰湿なイジメではなかったので、かろうじて耐えられた。幸い、成績は常に良かったので、一目置かれていたのもあるだろう。
 高校もトップクラスの進学校に入った。その頃、両親は僕の左手が使えるように、手術することを検討していた。レントゲンで見ると、指5本分の骨がちゃんとあるそうで、手の皮膚を切開して5本にし、お尻の皮膚を移植して、訓練すれば人並みに使えるようになる。ただ、爪は生えないので、ちょっと異様な手になるが、左手も使えると出来ることが広がるよと、医師から言われたので決心した。
 左手も使える世界が、自分の中では想像し難いが、他の人たちがやっているようになるんだと思ったので、手術を承諾した。
 半日以上かかった手術のあと、目が覚めると左手は拳ではなく開いた状態で包帯が巻かれていた。まだ動かせないし動かせる気がしない。でも、もう拳ではない。
 夏休みの間ずっと、リハビリだった。動くことを長らくしなかった指たちは、開かれて独立しても動き方を知らない。それを1本1本、神経との繋がりを意識させ、動かしていく訓練だ。痛くはないが長い道のりだった。
 両手が使えるようになったのを生かして、僕は今、歯科医をしている。細かい仕事をするにつけ、左手も使える喜びを感じるからだ。
 あの手術が、僕の未来への鍵だったのだ。
 

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