子供の頃は、二十歳を超えたらちゃんと大人になれるのだと思っていた。
おかしい話だけれど、ポケットの中の彼らのように、進化できると思っていたのだ。
だって、大人になるってそういうことでしょう?
お酒が、タバコが、選挙権が。
出来ることが増えるというのは、やっぱり凄いことだったのだ。
おやつ一つ買うのに親の許可がいるのも、
門限があるのも、まだ進化していないから。
必殺技「よふかし」ができないのも、やっぱりそう。
いまだに夢を見るように、物心のつかないまま生きてきたが、進化の時はいつになっても訪れなかった。
これは世紀の大発見なのだが、レベルが上がったら技が覚えられるわけじゃなかったのだ!
なんて、「みてみぬふり」ばかりしているから、こんなことになっているのだろうけれど。
閑話休題。
ともかく、私の人生に進化はなくて、残念ながら才能も、物事を楽しめる胆力もなかった。
それでも、働いているからにはなんとかやっていかないといけないのも事実で、やる気と「こんじょう」で無理やりカバーするほかなし。
最後の技は何を覚えるべきだろうか。
最後のひとわくをどうすればいいのかわからないまま、今日も「やりすごす」をしてばかりいる。
初めての一人暮らしは、始まりから散々だった。
急な内示から始まった家探しは、祝日休みの不動産屋、土砂降り、長時間の運転と、なかなかな滑り出し。
なんとか見つかった内見は、薄らぐらくて外装ヒビだらけの六畳一間。この片田舎でオール電化とは何事か。(個人的偏見を過分に含む。)
こちとらうら若き乙女であるからには、
譲れぬものもあるのだ。せめて脱衣所は欲しい。
なんやかやあって、外装と間取りの写真だけで決めた八畳一間(脱衣所と独立洗面所付き)に入居したのは本日の午前九時のことである。
ちなみに、五階建てのこの建物にエレベーターなんていう文明の利器はない。やはり裏切らないのは筋肉だけなのである。裏切るほどについていないけれど。
荷解きやら、ガスの立ち合いを済ませ、一息ついた頃にはもうへとへとであった。
ようやく風呂に入って、ベッドの上に倒れ込んで、
今日はよく眠れるだろうと布団をかぶってはや三十分。
これが全く寝付けない。
何故だか逆に目が冴えてくる始末。
あの、眠りに落ちる一瞬がどうやったって訪れない。
手洗いは済ませた。寒いわけでも、暑いわけでもない。
寝る前に怖い話を読んでもいないし、
コーヒーなんてまだ家にない。
そんな不安をぼんやり言語化するとすれば、意識を落とす刹那、己の無防備を晒せる安心感を失ったのだろう。
いつか、状況に慣れて、この家でだって眠れるようになるだろうが、自分一人で立っている自信に他ならず、これまでのような包まれる安心を得ることは不可能になるのだろう。
眠気の訪れを待つために温かいお湯を沸かすこととし、覚書とする。
眠りに落ちるとは、死ぬことと変わりない。
というのは何で読んだのだったか。
赤子は、いつも朧げだった意識が急に母親から切り離されたあと、「眠る」ことがわからなくて泣くのだ、とそういう話だったような。
なるほど動物的に考えれば、意識が途切れることは死に直結するのだろう。
真偽ともかく、わたしのちっぽけな脳みそは、「眠る」ことが「怖い」ことだと妙に納得してしまったのだった。
明日なんか来なければいいのに。
目が覚めなければいいのに。
だのに、眠るのが怖いのは何故だろうか。
秋の夜長にぐだぐだと管を巻きながら、ヒロインぶった言い訳を言い募ってはいつの間にか眠りに落ちて、明日もまた仕事へ向かって。
「起きる」ことも「怖い」ことだと見て見ぬふりをいつまで続けられるだろうか。
小さい頃、仕事で忙しい父が構ってくれたのは数えるほどだ。
テレビゲーム(あの頃は主流だった)はしないようなひとで、もっぱらテーブルゲームを教えてもらっていた、気がする。
オセロや将棋、時間のない時には、四目並べ。
手加減はあったような、なかったような。
将棋なんかは駒落ちしてくれた気もする。
そういえば、構ってくれるのは嬉しかったのだけど、子供ながらに負けん気が強かったから悔しいと泣いて見せたら、「まだまだやな。」とにやにやして見せるようなヤツだったことまで思い出した。5歳の娘に手厳しいことである。
結局、小学校へ上がって広がった交友関係とともに、興味関心も移ってしまってから、あまり一緒に遊ぶことは無くなってしまった。手元に残ったのは将棋の駒の基本的な動きだけである。
これが面白いもので、大学へ入って少しした頃、なんの気無しに入った運動系のサークルで役に立つことになった。我ながらミーハーだが、顔のいい先輩が勧誘してくれたものだから、うっかり入部してしまったのだ。
夏合宿というのがあって、山の中の合宿所に籠って、3日間ひたすら練習するのである。その最終日の宴会で、うっかり要員の先輩と将棋を指すことになったのは、たまたまだった。もう朧げにしか覚えていないし、顔なんてあげられなくて、指先ばかり眺めていた気がする。おおむね良い思い出となったのは確かだけれど。
結局、サークル自体は目当ての先輩が引退してしばらくして辞めてしまった。相変わらず、根性のないことである。
『今日は日差しが強く、全国的に夏同然の気温となりそうです。熱中症に注意して、こまめに水分を取るようにしたいですね。…さて、次のニュースは…』
あんまりじゃないかと思うくらい、あつい。
天気予報を聞き流しながら外を眺めれば、清々しいほどの晴天。
こめかみに滲む汗すら鬱陶しい。
いっそ釜茹でにでもして殺してくれ。
ソーダ味のアイスを噛み締めながら、もう一度外を睨んだ。
年代物のエアコンがついに起動しなくなっていたことに気づいたのは昨日のことだった。
異音は年々激しくなるし、細かな温度設定が22℃か30℃しか選べなくなっていたのに、騙し騙し使っていたのが悪かったのだろう。
寒い冬を乗り越えることはできなかったようだ。
冬眠を失敗した亀か何かだろうか。
それはそれとして、急いでこのオンボロを引き取りつつ、新しいのをつけてくれるところなんて、この暑さではみんなで払っていた。
最短で2週間後の平日ですね、と涼しい声のお姉さんに言われて、世知辛さを感じつつも、頼むしかないのが電化製品音痴のできる最善策である。
ぽたり。手に冷感。
いつのまにかアイスの角が丸みを帯びていた。
熱中症にになる前にちゃっちゃと着替えて、どこか涼しいところへ避難しなければ。
噛み締めた木の棒には、能天気な「はずれ」が踊っていた。