小さい頃、仕事で忙しい父が構ってくれたのは数えるほどだ。
テレビゲーム(あの頃は主流だった)はしないようなひとで、もっぱらテーブルゲームを教えてもらっていた、気がする。
オセロや将棋、時間のない時には、四目並べ。
手加減はあったような、なかったような。
将棋なんかは駒落ちしてくれた気もする。
そういえば、構ってくれるのは嬉しかったのだけど、子供ながらに負けん気が強かったから悔しいと泣いて見せたら、「まだまだやな。」とにやにやして見せるようなヤツだったことまで思い出した。5歳の娘に手厳しいことである。
結局、小学校へ上がって広がった交友関係とともに、興味関心も移ってしまってから、あまり一緒に遊ぶことは無くなってしまった。手元に残ったのは将棋の駒の基本的な動きだけである。
これが面白いもので、大学へ入って少しした頃、なんの気無しに入った運動系のサークルで役に立つことになった。我ながらミーハーだが、顔のいい先輩が勧誘してくれたものだから、うっかり入部してしまったのだ。
夏合宿というのがあって、山の中の合宿所に籠って、3日間ひたすら練習するのである。その最終日の宴会で、うっかり要員の先輩と将棋を指すことになったのは、たまたまだった。もう朧げにしか覚えていないし、顔なんてあげられなくて、指先ばかり眺めていた気がする。おおむね良い思い出となったのは確かだけれど。
結局、サークル自体は目当ての先輩が引退してしばらくして辞めてしまった。相変わらず、根性のないことである。
『今日は日差しが強く、全国的に夏同然の気温となりそうです。熱中症に注意して、こまめに水分を取るようにしたいですね。…さて、次のニュースは…』
あんまりじゃないかと思うくらい、あつい。
天気予報を聞き流しながら外を眺めれば、清々しいほどの晴天。
こめかみに滲む汗すら鬱陶しい。
いっそ釜茹でにでもして殺してくれ。
ソーダ味のアイスを噛み締めながら、もう一度外を睨んだ。
年代物のエアコンがついに起動しなくなっていたことに気づいたのは昨日のことだった。
異音は年々激しくなるし、細かな温度設定が22℃か30℃しか選べなくなっていたのに、騙し騙し使っていたのが悪かったのだろう。
寒い冬を乗り越えることはできなかったようだ。
冬眠を失敗した亀か何かだろうか。
それはそれとして、急いでこのオンボロを引き取りつつ、新しいのをつけてくれるところなんて、この暑さではみんなで払っていた。
最短で2週間後の平日ですね、と涼しい声のお姉さんに言われて、世知辛さを感じつつも、頼むしかないのが電化製品音痴のできる最善策である。
ぽたり。手に冷感。
いつのまにかアイスの角が丸みを帯びていた。
熱中症にになる前にちゃっちゃと着替えて、どこか涼しいところへ避難しなければ。
噛み締めた木の棒には、能天気な「はずれ」が踊っていた。
透明で、硬くて、美味しくないこれは、
「マド」というらしい。
毎日美味しい「ゴハン」をくれて、「ユキ」と名前のようなもので呼ばれて、しょうがないから触らせてやれば、身体中を撫でまくった挙句、なんだかよくわからない板をこちらに向ける大きいやつが、そう呼んでいるのだ。
本当に、こいつは生活力がなくて、自分がいて世話をしてやらないといけないのが考えものだ。
自分で獲物も獲れないし、毎日水溜りで溺れている。
挙げ句の果てには、ふらふらとどこかへいって、帰ってきたと思ったら、床で伸びてしまう。
こないだは「ゴハン」を分けてやったら、口に入れてもそもそと不味そうに食べた上、泣き出すものだから、なだめすかすのに時間がかかった。
もしかしていじめられているのか。
子分がいじめられたなら、親分が出ないわけにはいかない。きっちり落とし前をつけてやる。
だから、連れて行くがいい。
毎朝、暗い顔で「マド」の外から前足を振るのを見るのはもうたくさんなのだ。
朝顔のツルが拠り所を探すように、ぴろぴろと困ったように動く糸を無視できなかったのが運の尽き。
うっかり、ちぎれたてのそれを相方が分かるように掴んでしまったのだ。
瞬間流れ込んでくる、めくるめく青春に目眩が起きる。
もう片方の糸を掴めば単純計算で2倍の記憶。
見れば見るほど、こんな男と一緒で本当に良いのか。
大事にとっておいた冷蔵庫のプリンをうっかり食べてしまうやつだぞ。
そのあと申し訳なさそうに、ちゃんと買いに行くけれど。
お前もこの女で本当いいのか。
お前の大事なプラモデルをうっかり倒すやつだぞ。
きちんと元の場所に戻すけれど。
そんなこと、そもそも自分が決めることじゃないけれど。
結び終わる。手に馴染みすぎたそれを手放す。
元はと言えば、うっかり人の縁に引っかかってちぎってしまったのがきっかけだが、人間とはなかなか度し難いものである。
幼い時には難しかった着火をすんなりできるようになったのはいつだったろうか。
蚊取り線香を用意しながら思い起こせば、失敗ばかりが顔を覗かせる。
回転部分が回せなくて泣きじゃくったこと。
線香にうつった火に気を取られて熱くなったライターで親指を火傷したこと。
うつった火を消しきれていなくて、皿の上で小火を起こしたこと(親がすぐに気づいて無事消火された)。
火のつき方が甘く、1センチと減らずにさらに残っていた時の悲しみと言ったら、もう。
回転部を回す。
安い百均ライターから、かしゅ、と火がたちのぼる。
近づけた線香に火がうつって、炎が二重になったらライターはお役御免。
しばらく火のつきが均等になるよう眺めたら、一気に線香を振って、火を消す。
独特な香りと共にふわりと花が開くのを、満足感を持って眺めるまでが線香の醍醐味ではなかろうか。
あえて窓を閉めておけば(線香が室内の蚊を殲滅してくれる効果も狙いつつ)、停滞した煙が柔らかな曲線を描いて広がる。
息のひと吹きでで溶けて無くなるそれを眺めながら、寝る前のひと時を過ごす楽しみが今年もやってきたことが喜ばしくもあり、夜中に耳元にやってきて叩き起こしてくる隣人の訪れを思い物悲しいものでもある。
本格的な夏まで、あと少しである。