よく寝る子供だった。
夏特有の籐のカーペットの上で、母親のリズムよく野菜を切る音を聞きながら、意識をおっことしていた。
そうして、夜ごはんの掛け声に飛び起きてはどうして寝ていたのか不思議に思ったものだ。
いつぞやの夏休みには、飛び起きて時計を見て、丸っと一晩寝てしまったと思ってラジオ体操に駆け出そうとしたこともあった。
(小学生のおさないこどもが読みやすいように、12時間表記のデジタル時計を使っていた。)
いまでも夕方にうとうとするのはその名残なのかもしれない(平日の残業疲れかもしれないけれど)。
カーペットも、もう随分古くなって、端がほつれ始めているけれど、今年も現役で頑張ってほしいと思う。
水拭きを終えたので、覚書とする。
体質的に雨が降ると頭痛がひどくなる。
それはもう何年も付き合っているから、慣れてはいるのだけど、好ましいものではない。
自然と俯く頭に、頭痛薬の副作用が拍車をかける。
要は、眠い。
この時期の湿度の高い空気と眠気で、不快指数がかなり高いのに、どうして仕事などしていられるか。
など思ってしまうことはしょうがないと思うのだ。
それはそれとして、雨音はいいものだと思う。
いっそバケツをひっくり返したような豪雨も、
さやかな霧雨も、聞いている分にはとても。
夜になれば、カエルの鳴き声が加わって、穏やかな賑やかさを感じることができる。
だから、この時期は夜更かしをすることが多いのかもしれない。本末転倒感が否めないけれど。
そうして、さらに睡眠時間が減るおかげで、仕事に身が入らないのは非常に問題なのだけど、上記の理由で心待ちにもしている。
少し気が早いが、どうか穏やかな季節を今年も楽しめますように、と短冊でも作ってみてもいいかもしれない。
先日、光の入らない洞窟で過ごした実験についての記事を読んだのだが、その女性は何も見えないことが心地よいとコメントしていた。
視覚に頼る自分とは大違いである。
さて、人間の頭では映像記憶の処理だけにどれだけのリソースを割いているのだろうか。
例えば、赤にも朱色、紅色、緋色など、伝統色だけで優に十を超える名前がある。RGBで表記すればもっとたくさん。
大雑把に赤とまとめるだけでも良いだろうに。
そこには、好きな色を共有したい、という自己満足があるのは否めないのではないか。
面白い仕事をしろよ、とは初めての上司の言である。
ある一定の年齢特有の、好奇心と、これまでの経験と知識から、無から有を産み出すのが得意な人だった。
見た目から想像できないが(失礼な話だが、イカつい顔に金のチェーンはいけないと思う)、几帳面で義理堅く、堅実に仕事をこなしてしまう人だった。
多くの失敗談も聞いたが、それ以上に面白そうだからと飛び込んで、柔軟に仕事に組み込んでしまえる、その姿がとてもカッコよかった。
後を追いたくなったのは、必然だったかもしれない。
そうして飛び込んだ仕事には、やっぱり面白くない事務作業や、やりたくない関係者調整、経験不足でどうにもならない交渉事などなど、ごまんとあって。
今のところ、追い立てられるように作業をこなすだけで精一杯である。
そんな中でも、ほんのひとかけら、面白くするにはと考えてしまうのは、やっぱりその人の影響だろう。
自分よりずっと年上のその人が、新しい知識を吸収するのをやめないから、追いつくための努力を止めるわけにいかない。
本当に勘弁してほしい。
けれど、同じ舞台に上がって、少しでもその人の話の内容がわかれば、もっと面白いかもしれない。
今日も、真似っこをいつか自分のものにできるよう、キーボードを叩いている。
パクられた。
何が、と言えば傘である。なんの変哲もない、一本だけ骨の折れたビニール傘である。思い入れは特にないが、駅から自宅までの15分を思うと頭が痛い。
ほんの一瞬、ドア横の持ち手に引っかけただけなのに、都会って怖いものだ。治安が悪すぎる。
かたたん、と車両の揺れに合わせて隣の友人に体重をかける。
「…おもい。」
「こんな美人に何を言うか。」
「美人なら美人らしく慎ましくしろ。」
「あ、認めた?美人って?」
「やかましい。」
ようやく、眼鏡越しの瞳がこちらを向いた。
さらりと流れる前髪を本人は鬱陶しいと言っていたけれど、癖毛からするとその直毛は譲って欲しいまである。
「ねぇねぇ、駅からいれて?」
「何に?」
「傘。」
「さっきまで持ってなかった?」
「パクられました〜!」
「…もっと危機感持てよ。」
「それで、入れてくれる?」
「パピコ一個な。」
ため息を吐いても、呆れた目をしても、ずっとずっと優しいのを知っている。
綺麗で優しいお嫁さんと、家を出ていくなくことも知っている。
だから、甘えられるうちに甘えようと、そう思うのだ。
「半分ちょうだいね、お兄ちゃん。」
「…しょうがないな。」