探偵事務所に勤め始めて早五年。
事務員兼実地調査員から肩書きが変わることもなく、
ドラマのような殺人事件に行き当たることもなく、
猫探しとお年寄りの御用聞で日銭を稼ぐばかりである。
「しゃちょーう。もうちょっと給料上がりません?」
「バカいえ、俺だってカツカツだよ。
誰だ?こないだの猫探しで不法侵入したのは。
菓子折り持って謝りに行ったおかげで、
こっちは収支マイナスなんだよ。」
「そうは言っても、ここ最近の依頼、
蹴ってばっかじゃないですか〜。」
「うちはな、犯罪に加担しそうなのは受けないのがウリ
なんだ。というか、依頼人の個人情報に聞き耳立てて
んじゃねぇ。」
バインダーの角が降ってくる。
強面も相まって、職質かけられまくってる癖に!
暴力反対と騒げば、更に書類の山が降ってくる。
「そんなに暇でしょうがないなら、暇つぶしできる仕事をやるよ。」
「いらねぇっスヨ。なんすか、これ。」
「空き家の調査依頼。
大手不動産屋がこの辺の放棄されてるを探してんだとよ。ほら、隣町に新しいモールが立つだろ。駅も近いし、ベッドタウンにするんだとさ。」
「ほー。つまり?このクソ暑い中?外?」
「ご名答。働いてこいよ、名探偵。」
ずっとうだつが上がらない毎日が続くと思って疑わなかったのだ。
空き家の真ん中に、上等な毛並みのアリクイを見つけるまでは。
庭のあじさいが、えらく元気だ。
去年、おっかなびっくりおこなった、
適当な剪定が、「適当」だったらしい。
時の流れは残酷なもので、もう鳴き声が思い出せないのは薄情だろうか。
頬袋に餌を詰め込んでよたよたと巣箱に持ち帰る後ろ姿も、機嫌の悪い時に指先に空いた小さな歯の跡も、ジャンガリアンにしては細身で、兄弟姉妹に齧られてかけたであろう耳の形も、きっと思い出せなくなるのだろう。
彼女の肉も、骨も、紫陽花の養分となって吸い尽くされて、本当はもう、何も残っていないかもしれない。
赤色の花序に混じる青色にその存在を感じてしまうほど、感傷的な気分になるのは雨が多いせいだろうか。
これ以上褪せることのないよう、覚書とする。
タマリンドって美味しそう。
なんて思ったのは小学生にあがった頃だった。
姉の使っているものはなんでもいいもの、という時期で、写真入りの学習帳に心惹かれるのは必然だった。
実際に高学年になると、思春期特有の気恥ずかしさとか、これまたやっぱり姉の使うキャンパスノートのようなシンプルなものが1番だと思うようになっていた。結局、しまい込んで使わなくなってしまったけれど、いまだに捨てられずにとってあるのはやっぱりタマリンドのせいである。
食べたことの無い、南国の、豆科の植物。
ねっとりしていて甘いのにさわやか。
小学生ながら、必死に読みにくいふりがなを読んで、
地図帳で国を調べて。
今思えば、これが初めての自主勉強だったように思う。
歳の離れた姉達に追いつきたくて、読むものも、食べるものも、なんでも真似していたのに。
これからも、引き出しの奥には、タマリンドが揺れている。
単語の板書って、なんでこんなに眠いのだろうか。
英語なんて使う機会ないでしょ。
周りの大人はみんな、いつか役に立つから、なんていうけど、使ってない癖に無責任だ、と涼は思うのだ。
窓外に目をやれば、隣のクラスが体育を行っていて、ボールを追う歓声とともに流れ込んでくるのは生ぬるく湿った風。
本日は見事な曇天である。
思い起こすのは昼休み。
「涼、さっきの授業、聞いてなかったでしょ。
コバセンがため息ついてたよ。」
「寝てるよりマシでしょ。」
「ま、なんか言われるわけでもないしね。
てか、今日天気悪すぎ。傘ないんだけど。」
「あるある〜。一緒に帰る?」
「え、涼様じゃん。アイス奢るわ。」
だから、あいまいな曇天では困るのだ。
曖昧な関係をそのままにするために。
どうかどうか、雨になりますように。
かたつむりの巻き方って、
種類にもよるし、地域特性もある、らしい
(かじり読みしただけなので、記憶が定かでない)。
唐突にこんな話を持ち出すのはなぜか。
ゴジラの如く東京湾から現れた、
巨大巻き貝を見たからである。
リポーターがかしましく喋っている内容なんて、
現実味がなさすぎて全く頭に入ってこないのだ。
そうして、いくつかの建物と、めっきり歯が立たない特殊車両を押し潰した動く山からにょきりと触手のようなものが生えてきて、先端が黒っぽくて、それから四本あって。
専門家が、難しい学名を話しているようだが、あれはどう見てもカタツムリである。
イラストで紫陽花の上に描かれることの多い、半陸生の軟体動物。
ふつりとテレビの画面が消える。
部屋の電気も消えた。
重たい工事現場のような音が響いてくる。
空が青い。
左巻きって、めずらしいんだっ