へるめす

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5/21/2023, 3:20:34 AM

近代の発展は恐怖と不安との克服の歴史であった、と言えば異論を挟む余地はさして無いだろう。
近代人にとっての恐れの象徴はまずもって暗闇であり、暗黒の支配する異郷として、山と森、それから深甚たる海原とを多くモチーフとしていた。翠微を極め、古森を切り開いていく過程はまさに産業の発展史とパラレルであっただろう。

さて、陸上からは見透せぬ海の深みへと、啓蒙の眼光が炳焉と差し込んだのは、潜水装置の補助によってだったことは周知の通りだ。
その古きは17世紀初頭にまで遡ることになるが、ここでは我邦に伝わる奇怪な逸話をひとつ取り上げることとしよう。

潜水装置にも各種あって、潜水艦をその最大なるもとして、潜水艇から潜水服へと至る巨から矮への階梯がある。
ここで登場するのはこれらの中間に位置する潜水球なる鋼鉄の球である。1928年に米国で生まれたこの空洞をもつ球体――バチスフィアは、数年の間に有人潜水を試みるとたちまち潜水深度の世界記録を生むこととなった。
この報は言うまでもなく、ただちに此地の帝国海軍にも知れることとなり、兵器開発の一環として秘匿裡にテストが行われることとなった。『日本の潜水史』にも引かれている一次資料『球形潜水挺開発ノ記』なる文書では、残念ながら、試験が行われた場所は黒塗りにされているうえ、何処とも特定しがたい記述となっているのだが、近年の研究では千葉県那古周辺ではないかと推定されている。
さはあれ、この試作機――球が完全性の象徴であるならば形容矛盾のようだが――に乗り込むこととなったのは、当時、なんらかの軍規を犯した廉で軍法会議に掛けられていたとされる一兵卒であった。
この人物のプロフィールは詳らかではないのだが、差し詰め往時の西欧社会における漕役刑というわけだろう。なお、ここでは縷述は避けるけれど、後に某寺の住職となったという説もあるにはあり、とは言えこれから述べる出来事を加味しても、少しく判断に迷うところだ。
以下に記すのは、前記の資料等から再構成したものであることを予め断っておく。

本家と同じように設えられた石英硝子の円窓が開けられると、一人の青年が球の中へと乗り込んでいく。この時、青年は目の前の球体を棺桶に見立て「あぁ、自分は死ぬのだな」と思った後に証言している。或いは青年にブレーやルドゥーといった建築家と同じい精神があれば、〈完全なるもの〉への思慕を以てこの不吉な予感を霧消してくれただろう。
さりながら、外から分厚な蓋が閉まった時の恐怖には凄まじいものがあっただろう。
船は既に沖である。クレーンで吊るされた潜水球は、水深800メートルを目標として、傍目には何の感慨もなく沈められた。
青年の覗く窓からは、自分のやつれた表情の向こう側を泳ぐ生き物たちが見えた。だが、球の中はあっという間に暗くなった。生物の観察など目的ではなかったから、照明装置の類は一切積んでいなかったのである。
青年は強まる恐怖に呼吸を乱した。二酸化炭素を処理するための化学装置こそ置いてあったものの、暗室への封じ込めは正しく拷問であった。
もう何メートル潜ったのだろうか。急拵えの試験機とは言え、電話線すら装備していなかったのは不十分だっただろう。青年は、郷里の家族を思った。それと同じくらいの強さで、死と同義の暗闇の中、己の詰まらない非行を――凡庸極まる愚昧を呪った。

感覚をほとんど逸した頃、独り声を上げて泣く青年の眼前が俄かに明るくなった。おもむろに顔を上げると窓の向こうがほの白いではないか。気付かぬ裡に引き揚げられたのだろうか――違った。
青年の目の前の窓には、年老いたような自分の亡霊のような姿があった。そして、その向こうには女の姿があった。まだ深海の只中である。
青年は縋るように窓に張り付く。女の顔は目睫である。青年は女の瞳に映る自分の――後に述懐するところではそれはもはや自分のものとは言い難かったという――美しい顔を、極度に理想の方へ接近した儚げな表情を見出だした。修辞が許すならば、それはむしろ理想の彼方と言うのが適当かもしれない。
青年の意識はここで途切れてしまったらしい。甲板に揚げられた時、青年は、まだ涙の条が跡付いたままながら、穏やかな顔をして一言「自分は全く生まれ変わりました」とだけ呟いた。

それから青年がどうなったのかは知らない。先ほど述べたように退役の後、出家したという話もあるし、一兵卒として太平洋に散ったという話もある。或いは戦後、靴屋を営んでいたという話もあれば、発狂したまま山奥の病院で最期を迎えたとか、大金を集めてこの潜水球を引き取ったとかいった話もある。

この逸話を近代の時代性を象徴するものと見る向きもあるし、実は完全な作り話とする指摘もある。例えば、近代特有の時代精神である垂直性によって補陀落渡海が再現されたのだという評論、或る作家の手すさびになる雑誌記事が初出だとする文献調査がある。
いずれにせよ、当の潜水球が造られたことだけは事実らしいのだが、所在は判らず、既に喪われた可能性が高い。

ところで余談になるのだが、先日、この舞台と思しき房総半島へ出掛けた折、或る寺院の隅に、打ち捨てられたような、丸みを帯びた金属製の物体が半分ほど地面に埋められているのを見つけた。
わたしがそれに近付こうとすると、陰になって見えない内奥から、こちらを睨み付けるような気配を感じた。わたしが正に蛇に睨まれた蛙のようになって立ち尽くしていると、寺の住職がやって来てそれには近付かないように、とだけ強く言う。
わたしは大人しくそのまま帰ることにしたのだが、電車に乗って帰る途中、ふと窓を見ると、そこには自分ではないような姿が映っていた、ということだけ述べて筆を擱こう。

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理想のあなた

5/20/2023, 5:30:13 AM

あれは確か、わたしが小学五年の頃だった。
もうすっかり暑くなっていて、わたしは額の辺りに垂れてきた汗の粒を拭い拭い下校していた。
玄関の前に立つと――家は社宅らしかったのだが、町外れの狭小な一軒家だった――いや、或いは遥か昔から、それはわたしの胸の奥の方に、誰にも気づかれない染みのようなものとしてあったのかもしれない――気持ちの悪い違和感がわたしの背の辺りにじんわりと広がってくるのだった。
わたしは、咄嗟に振り返った。が、そこには何もいない。四囲は閑寂として、ただ遠方に蝉の声がひとつ聴こえていた。
首を傾げながらもわたしが玄関を開け、ランドセルを下ろした時、違和感は、はっきりとした輪郭をもって現れた――が、そこにはあるべき中身がなかったのだ。
何かが居ない、という確かな不在の感覚だけがそこに佇んでいる。わたしは、何とも言い難い気の重さに苛まれながら三和土を上がると、台所の方へ回って麦茶でも飲もうと思った。何より、台所からは夕食の準備をする音がしていたから。
台所に行くと、いつも通り、そこには母が立っていた。わたしは母に泣き言を言うのも厭な気がして――そういう年頃というのもあった――「今日、何か変だね」とだけ言った。
麦茶を注ぐわたしに向かって、母は些か口ごもりながらも――やっぱり、そんな気がする?と言う。その時、わたしは空恐ろしくなって、手に持ったグラスを一気にもちろん飲み干すと、家の中を見て回ることにした。自室でじっとしているのも、何か落ち着かない気がしたからだ。
風呂場も、手洗いも、居間も、客間も、納戸も、両親の寝室も、そしてわたしの部屋も、すべて見たが、何かあるというのでもなく、ただこの家には何かが居ないような、狂わしい不在が、得も言われぬ別離のような錯覚だけが、わたしに付きまとって已まない。
わたしは、きっと暑気中りというやつだと独り合点して、ベッドに我が身を横たえた。結局、夕飯時に父が帰って来ると、あの違和感は消え失せていて、わたしも母もそんな話は一口とて話題にはしなかった。
だが、あの不安は直ぐに甦った。食事を済ませた父が誰に言うでもなく呟いたのだ――今日、何か変な感じがするな。わたしは驚き母の方を見た。母もわたしの方を見ていた。それでも、わたしたちは何も言わなかった。

わたしたち一家は父の転勤という事情もあり、数年して、あの家を引っ越した。
もう何年も前のことだ。だが、ようやくにして、わたしはあの不在の正体を掴むに至った。
父も母ももう亡い。今、わたしは未だ借家として残っていたあの家の前に立っている。
そして、あの小さな二階家を懐かしむような目でじっと見据える。薄い硝子窓には夕焼けが映って赤々と燃えている。

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突然の別れ

5/19/2023, 5:11:32 AM

文学史上、長らく、トルバドール文学の一つとされてきた「恋物語」と題する作品がある[1]。
今では数葉の断片のみが伝わっているとされ、取り分け、偽アリストテレスの『愛について』からの引喩であると見なされてきた「愛は恋と比較して、多くの欠如を含む」なる一節は、後代のひとがアリストテレスに仮託したにせよ、氏らしからぬ不明晰さでしばしば議論の的となってきたことはよく知られている[2]。

ところが、近年、「恋物語」の成立年代は、当初考えられてきたものよりもかなり新しいらしいこと、だとすれば、ロマンス語で綴られた恋の悦びも、全くの偽作であるか、何らかの底本があり、それを翻訳したものであることが暴露されたのである[3]。
18世紀以降、文学者や哲学研究の徒を広く巻き込み、彼等の愛についての考え方や、恋愛体験を雄弁に語らせてきた詩片が出鱈目と判った今、梯子を外された彼等は泉下にあって汗顔の至りとこれを恥じ入るだろうか?

言うまでもなく、偽作を基に語られた彼等の恋愛論は本物である。
さて。ここでは贅言を避け、最後に件の「恋物語」の数少ない断片から、一つを引用して終わろう[4]。

>すべては嘘である
>愛も、恋も、この物語も


1)稲井和洋゠編訳:トルバドール文学選集.無可有書房.1987年.
2)アリストテレスの一連の著作については、『アリストテレス全集』(岩波書店、1988-1994年)及び同新版(岩波書店、2013年~)を参照のこと。また、一連の議論については『出隆著作集』(勁草書房)も参考になるだろう。
3)Abwesen N, et al.:Über Liebesgeshihite. Trou Lit, 2018.
4)稲井:前掲書.

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恋物語

5/17/2023, 1:42:46 PM

皓々たる月も、上り初めよりいよいよ高く光り輝く頃、上機嫌に揺れる小さな白布が一人歩いている。

夜餐の最中、何か思い出したように箸を止めると、女は押し入れから大きな白い布を引っ張り出して来て言った。
「いけない、今日から実習の授業があるんだった」布を広げると、それをすっぽり被って子の方を向いた。「いい?お化けはこれよ。もし人間がいたら、こう」
言いながら、女は布の中で両手を揺すって見せた。
「じゃあ、おれはもう行くぞ」玄関の方から、男の声がしたかと思うと、大きな翼が羽ばたくような音がする。
「あ、もうこんな時間」女は布を被ったまま、子がとっくに済ましていた食器を片付け始める。「宿題はちゃんとやったのね」
もちろん――子は元気に答えると、母親から布を受け取る。それから仕度を終え、玄関で布を被り、快活な足取りで――いや、足はないか――とにかく家を出たのである。

そう、真夜中は、お化け達にとっては一日の始まりの時間なのだ――な~んて話があったとしたらどう?
「どうもこうもあるか!バカヤロー!」わたしは目の前の白い布を勢いよく引っ張った。「こんな夜中に呼び出して何をやっとるんじゃ」
「あぁ、ごめんって」彼女は身を竦めながらも、堪えきれず笑った。「そんなにびっくりするとは思ってなくて。あ痛っ」
そんな風に真夜中の公園で揉み合っている時だった。
園外の外を、ふわふわと楽しげに移動する白い影を、確かに見たのは。

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真夜中

5/17/2023, 4:11:17 AM

やっと見つけた!――わたしは友達を伴れて、近所中のスーパーやらコンビニを回っていた折りのことだった。わたしは小躍りしながら、友達に小さな箱を自慢げに見せつけた。
というのは、先日新しく発売された、卵型のチョコレートの中に小さなフィギュアが入っているという仕掛けのお菓子――言ってしまえば、チョコエッグというやつ――をようやくのことで一つ買うことが出来たのだ。
今度出たシリーズは、わたしも好きな、或る人気ゲームのキャラクターのフィギュアということで品切れが続き、どうしても手に入れたいわたしは、暇さえあれば、このチョコエッグを探してあちこちの店を回遊しているのだった。
ついでだからとスーパーでお好み焼きの材料を買い込み、わたしたち二人はわたしの借りているアパートへと帰って来た。
今日はお好み焼きパーティーと洒落込むぞ――わたしは啖呵を切った。が、結局はチョコエッグの中身が気にかかる。
「さっさとそれ開けちゃってお好み焼きに集中したら?」
友人の冷静な指摘に頷くと、わたしは手早くチョコエッグの包みを開け、中のフィギュアを確かめようとした。何故こうも熱中しているのかと言えば、このお菓子を買うこと計五度、いずれも同じフクロウのキャラクターが出てきたために、せめて一度は別のものをと躍起になっていたのである。またあいつが出たらどうしよう――
「愛があればどうとでもなるよ」てきぱきとお好み焼きを作る準備を始めていた友人が言う。「強く念じながら開けたらいいよ」
そんなものだろうか。そこばくの疑問を差し挟みつつも、わたしは念を凝らした。わたしの指先が願望の触手となって、チョコレートをこじ開ける。
無い!――無いんだけど!わたしは驚き、友人に向かってそう告げた。
通常であれば入っているはずの、小さなフィギュアを封じたカプセルが、そこには無かったのである。
「あぁ、残念。愛が足りなかったんだな。じゃあ、ついでにこれも割っといて」
友人は淡白にそれだけ言うと、わたしの目の前に卵――一応言うと本物の鶏卵だ――とボウルを置いた。
悔し紛れにチョコレートを口に放り込むと、わたしは大人しく卵を割った。
うわぁ!入ってた!――わたしは驚きの余り、椅子から転げ落ちる。た、卵に……
さすがの友人も、やや呆れを含みつつも驚いたような目をして、ボウルを覗いた。そして、その底部から、或るものをつまみ上げた――例のフクロウのフィギュアである。
「愛、だな」友人はそう言うと、卵黄にまみれたフィギュアを水道で洗い、卓上へと置き据えた。フクロウの目が、床の上で尻餅をついた格好のままでいたわたしを見つめる。
もう絶対買わないよ、こんなの!――わたしの叫びを掻き消すように、キャベツを切る音が冷ややかに響いていた。

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愛があれば何でもできる?

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