へるめす

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近代の発展は恐怖と不安との克服の歴史であった、と言えば異論を挟む余地はさして無いだろう。
近代人にとっての恐れの象徴はまずもって暗闇であり、暗黒の支配する異郷として、山と森、それから深甚たる海原とを多くモチーフとしていた。翠微を極め、古森を切り開いていく過程はまさに産業の発展史とパラレルであっただろう。

さて、陸上からは見透せぬ海の深みへと、啓蒙の眼光が炳焉と差し込んだのは、潜水装置の補助によってだったことは周知の通りだ。
その古きは17世紀初頭にまで遡ることになるが、ここでは我邦に伝わる奇怪な逸話をひとつ取り上げることとしよう。

潜水装置にも各種あって、潜水艦をその最大なるもとして、潜水艇から潜水服へと至る巨から矮への階梯がある。
ここで登場するのはこれらの中間に位置する潜水球なる鋼鉄の球である。1928年に米国で生まれたこの空洞をもつ球体――バチスフィアは、数年の間に有人潜水を試みるとたちまち潜水深度の世界記録を生むこととなった。
この報は言うまでもなく、ただちに此地の帝国海軍にも知れることとなり、兵器開発の一環として秘匿裡にテストが行われることとなった。『日本の潜水史』にも引かれている一次資料『球形潜水挺開発ノ記』なる文書では、残念ながら、試験が行われた場所は黒塗りにされているうえ、何処とも特定しがたい記述となっているのだが、近年の研究では千葉県那古周辺ではないかと推定されている。
さはあれ、この試作機――球が完全性の象徴であるならば形容矛盾のようだが――に乗り込むこととなったのは、当時、なんらかの軍規を犯した廉で軍法会議に掛けられていたとされる一兵卒であった。
この人物のプロフィールは詳らかではないのだが、差し詰め往時の西欧社会における漕役刑というわけだろう。なお、ここでは縷述は避けるけれど、後に某寺の住職となったという説もあるにはあり、とは言えこれから述べる出来事を加味しても、少しく判断に迷うところだ。
以下に記すのは、前記の資料等から再構成したものであることを予め断っておく。

本家と同じように設えられた石英硝子の円窓が開けられると、一人の青年が球の中へと乗り込んでいく。この時、青年は目の前の球体を棺桶に見立て「あぁ、自分は死ぬのだな」と思った後に証言している。或いは青年にブレーやルドゥーといった建築家と同じい精神があれば、〈完全なるもの〉への思慕を以てこの不吉な予感を霧消してくれただろう。
さりながら、外から分厚な蓋が閉まった時の恐怖には凄まじいものがあっただろう。
船は既に沖である。クレーンで吊るされた潜水球は、水深800メートルを目標として、傍目には何の感慨もなく沈められた。
青年の覗く窓からは、自分のやつれた表情の向こう側を泳ぐ生き物たちが見えた。だが、球の中はあっという間に暗くなった。生物の観察など目的ではなかったから、照明装置の類は一切積んでいなかったのである。
青年は強まる恐怖に呼吸を乱した。二酸化炭素を処理するための化学装置こそ置いてあったものの、暗室への封じ込めは正しく拷問であった。
もう何メートル潜ったのだろうか。急拵えの試験機とは言え、電話線すら装備していなかったのは不十分だっただろう。青年は、郷里の家族を思った。それと同じくらいの強さで、死と同義の暗闇の中、己の詰まらない非行を――凡庸極まる愚昧を呪った。

感覚をほとんど逸した頃、独り声を上げて泣く青年の眼前が俄かに明るくなった。おもむろに顔を上げると窓の向こうがほの白いではないか。気付かぬ裡に引き揚げられたのだろうか――違った。
青年の目の前の窓には、年老いたような自分の亡霊のような姿があった。そして、その向こうには女の姿があった。まだ深海の只中である。
青年は縋るように窓に張り付く。女の顔は目睫である。青年は女の瞳に映る自分の――後に述懐するところではそれはもはや自分のものとは言い難かったという――美しい顔を、極度に理想の方へ接近した儚げな表情を見出だした。修辞が許すならば、それはむしろ理想の彼方と言うのが適当かもしれない。
青年の意識はここで途切れてしまったらしい。甲板に揚げられた時、青年は、まだ涙の条が跡付いたままながら、穏やかな顔をして一言「自分は全く生まれ変わりました」とだけ呟いた。

それから青年がどうなったのかは知らない。先ほど述べたように退役の後、出家したという話もあるし、一兵卒として太平洋に散ったという話もある。或いは戦後、靴屋を営んでいたという話もあれば、発狂したまま山奥の病院で最期を迎えたとか、大金を集めてこの潜水球を引き取ったとかいった話もある。

この逸話を近代の時代性を象徴するものと見る向きもあるし、実は完全な作り話とする指摘もある。例えば、近代特有の時代精神である垂直性によって補陀落渡海が再現されたのだという評論、或る作家の手すさびになる雑誌記事が初出だとする文献調査がある。
いずれにせよ、当の潜水球が造られたことだけは事実らしいのだが、所在は判らず、既に喪われた可能性が高い。

ところで余談になるのだが、先日、この舞台と思しき房総半島へ出掛けた折、或る寺院の隅に、打ち捨てられたような、丸みを帯びた金属製の物体が半分ほど地面に埋められているのを見つけた。
わたしがそれに近付こうとすると、陰になって見えない内奥から、こちらを睨み付けるような気配を感じた。わたしが正に蛇に睨まれた蛙のようになって立ち尽くしていると、寺の住職がやって来てそれには近付かないように、とだけ強く言う。
わたしは大人しくそのまま帰ることにしたのだが、電車に乗って帰る途中、ふと窓を見ると、そこには自分ではないような姿が映っていた、ということだけ述べて筆を擱こう。

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理想のあなた

5/21/2023, 3:20:34 AM