へるめす

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5/5/2023, 12:34:07 PM

これほど美しい顔を、わたしはそれまで見たことがなかった。わたしにとって、それはシュリーマンのトロイア発見にも比するだけの大発見であった。そして、この瑤珠の如き美容を除いては、これから先の生涯に亘って、これほどの強い感動を覚えることは決してないだろう。
君と出逢ったのは、わたしが十五になるかならないかの頃だった。わたしにはいつも君を眺めることしか出来なかったし、ともすればそれすら何処か臆病な羞恥心に遮られもした。それでも、君を見詰めてさえいれば、周囲のひとびとの忌々しい声も苦ではなかった。――すべてを棄ててでも、わたしはこの身の在り尽くすその瞬間まで、いや永遠に君と添え遂げたい!
そんな激情も虚しく、或る時、わたしは病褥に縛められることとなった。まだ人生の壮年はこれからという時に。しかし、どうだろう。かなり無理を言ったが、君に側に居て貰えるよう手配することが出来たのは不幸中の幸いだった。君もただ黙ってわたしを見守ってくれた。
その僥倖も仮初めのものに過ぎなかった。まだ寒さの残る晩のことだった。わたしを看ていた君の顔色は、病人たるわたしのものと遜色のない程に、明らかに病質のニュアンスを含んだ蒼白さであった。
やがて、君も同病の人となり、わたしと同じい病床に臥ることとなった。わたしにとって、わたしの病などどうでもよく、君の衰弱ぶりが空恐ろしかった。わたしの命と引き替えに――とまで言った時には、そんな熱情を向けられた医者は呆れたような、哀れむような顔をしていた。そして、その表情には君の人生の薄命を物語るだけの暗さがあった。
わたしは君の死期を悟ると、明け暮れ叫泣と嗚咽とを繰り返しながら過ごした。春も終わりを迎える淋しげな一日、痩せ衰えた君の灰白色の相貌は、とうとう瞭然としてその活動の停止を示した。
わたしはそんな残酷な事実さえ気に留めず、いつまでも大きな姿見を抱きすくめてやまなかった――あんなに美しく、生命の希望に充ちていたというのに!
荒れ果てた庭では、枯れ落ちた水仙の花片が土埃と共に風に吹き上げられている。そして、屋敷の中からは線香の匂いと、数える程度の嘆息が漏れ伝わってくる。


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君と出逢ってから、私は……

5/4/2023, 1:52:40 PM

水田に囲まれた小高い丘の上に座り、晴れやかな空の下、杳かな翠微を眺める。数える程度にしか経験していないのにも関わらず、この景色に常に懐かしさが映り込んで何処か面映ゆい気されするのは、今は亡き父の郷里だからだろうか。
五月の涼やかな風にあたりながら、草の上で寝転ぶと、暇を潰すために持ってきた文庫本の頁をめくった。鳥の囀りと風に靡く稲のそよぎの外に聴くべき音もない。そして、朗らかな陽射しにわたしの瞼は次第に重くなっていく。
――ちゃん……――ちゃん。わたしを呼ぶ声に驚き、目を醒ます。見た限りわたしと齢の近そうな、白いシャツを着た青年が、わたしの顔を覗き込んでいた。わたしは胸のあたりに落ちていた本も構わずに慌てて飛び起きた。
空はもう茜色に打ち染められている。気取られないように、そっと口許を指先で拭いつつ立ち上がると、わたしはあの白いシャツの残像を辿るようにして振り向いた。
だが、そこには誰も居ない。四囲を見回してもひとの姿はない。ただ颯然と風が吹き渡っているばかりで、わたしは幾分冷えた身体を摩りながら、不思議な感覚をその場に残し、父の生家へと帰った。
古びた百姓家では、母と父の兄夫婦が談笑を交わしている。何処に行ってたの?心配そうに声を掛けた母の手には埃にまみれたアルバムが一冊。
伯父は母からそのアルバムを渡されると、或る頁をめくってわたしの方へと差し出した。

わたしは今でも目を閉じると、そこに貼られていた写真と、あの時の声の輪郭を重ね合わせては懐かしさに心が動かされる。



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大地に寝転び雲が流れる……目を閉じると浮かんできたのはどんなお話?

5/3/2023, 2:50:36 PM

独り暮らし始めてつくづく感じるけど、郵便受けに入ってる訳の分からないダイレクトメールとかチラシって鬱陶しいよね。クラスメートである彼女は食事を口に運びながらそんな風に言った。
わたしも――きみも彼女の言葉に同意しながら、思い出したように次のように言った。そう言えば、この間、変なチラシが入ってたんだよね。何それ?彼女はサンドイッチを食べていた手を止めて、きみの顔を見つめる。
きみはその不審なチラシに関して大要を告げた。
曰く、差出人には名前は無く、大きな文字で「「ありがとう」そんな言葉を伝えたかった人はいませんか?」とある。それから、あなたに代わってお礼を伝えることが出来るとか、世界の裏側がどうとか、上位次元がどうとかいった如何にも胡散臭い言辞が列んでいる。そして、一度ならまだしも多いときには毎日入っていて気味が悪い、と。
へぇ~下らないね。彼女はせせら笑うように言い捨てる。でも、毎日入ってるってのは気になるね。
そうなの――きみが不安げにこう言うと、彼女は答える。じゃあ、私がその住所まで見に行ってあげるよ。きみは慌てて返す。危ないからやめなよ。最近、物騒な事件が流行ってるし。知ってるよ、片足の男が声を掛けてくるってやつでしょ。あの時はよくもやってくれたなって――
よくある都市伝説じゃん。次の日、きみはそう言っていたあのクラスメートが学校の来ていないのに気づくと、気が気ではなかった。
きみは教室を抜け出すと、取るものも取り敢えずあのチラシに記載された住所へ向かった。住所は町外れの、廃屋のような見た目の、古めかしいアパートの二階に置かれていた。
きみは息を切らしながら錆び付いた階段を上がって来ると、ゆっくり扉を開ける。辺りには嫌な匂いが立ち込めている。
杖を突く音がねばつくように玄関へと向かう。それから、興奮を抑えきれず、わたしは口走るのだ――ありがとう、やっと捕まえた、と。


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「ありがとう」そんな言葉を伝えたかった。その人を思い浮かべて、言葉を綴ってみて

5/2/2023, 5:29:47 PM

田舎じゃ家常茶飯の事とはしばしば言われもしたし、事実そう思ってもきた。けれど、その日の気分もあったのだろう。事故の痕跡をまざまざと目にして、わたしの心には特に遮るものも無く、可哀想だなと素直に思った。
車を運転していた母は如何にも鄙びた顔と物言いで、同情なんかしたら猫の霊が憑くよなんて言う。わたしは思春期に有りがちな反抗心の暗然と燻るのを自覚しながら、車窓の下方へぼんやりと視線を落とすと、なお一層、置き去りにされたまま退きゆく後景に向かって哀憐を注いだ気になった。
それから一月も経った頃だろうか。庭に出ていた母が呼ぶ声がした。縁側に出ると、まだ稚気ない仔猫が居て、こちらを見ている。わたしの心裡にいつかの光景が薄暗く蘇る。
気づけば足首の辺りに柔らかな温もりが触れる。そして、甘やかな声を上げながら、まん丸な瞳がわたしを見上げている。


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優しくしないで

5/1/2023, 11:40:41 PM

夜の在来線の、それも各駅の鈍行とあれば、ひとの少ないのは至極当然に思える。だが、どうだろう。今わたしの目の前の座席には、極彩色の顔をした大きな鳥が座っている。
夜闇に白い光の点々と輝く郊外の街並みを背にして、純朴そうな瞳に真っ赤な鶏冠、黄色い嘴、青と黄の混じった状貌のその鳥は、口の先に折詰を提げて、凝然と正面を見据えている。謂わば、一杯引っかけて家路に着いた亭主の顔をしていた。
車内には二人、いや一人の一羽切りで他にひとはいなかった。わたしは募る不安に耐えきれず、よほど別の車輌へ逃げ込もうとも思ったが、それ以上に、隙を見せられないような、野生の、剥き出しの恐怖がわたしを磔にしてしまった。
そんな葛藤を後目に、電車は何事も無く、わたしの目的の駅へと到着した。わたしは飛び出すようにしてドアを脱けると、一目散に改札を出た。それから、わたしはほとんど無我夢中で、通い慣れた路さえ迷うような底で晩餐のことなど終ぞ失念したまま、ようやくにしてわたしの住む独身者向けの小さなアパートの辺りに辿り着いた。
しかし、わたしが隣家の、清潔な佇まいの一軒家を横切ろうとした時、横目に見えた視界には、確かにあの折箱を咥えた鳥の姿があった。わたしは、驚きの余り、その場に立ち竦んだ。パパ、おかえり――あら、あなたったら、それお土産ですか――件の極彩色氏は、そんなやや古めかしい気さえする牧歌的なやり取りの向こうへと消えていった。
わたしは、独り居の自室にどうにか気怠い身体を滑り込ませると、黴臭い玄関にうずくまったまま、知らず知らず朝を迎えた。

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カラフル

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