紙ふうせん

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6/15/2023, 1:12:34 PM

『好きな本』

好きな本は、数え切れないほどある。
最初は絵本の読み聞かせに始まり、自分で選ぶようになり、お誕生日とか何か買ってくれるという時は必ず本を買ってもらっていた。
両親が大の本好きだったせいか、本はわりと好きに買ってくれた。

高校生の頃は、いわゆる世界の文豪と言われる人の本をわかってもわからなくても、とにかく読破していった。

今になっては、良かったと思う。
仕事で疲れている休日に『カラマーゾフの兄弟』なんてとても読めない。
学生のうちに、有名な文豪の本は読んでおくべきだ。
それと同時に、好きな作家の本を読んで読んで読みまくった。
休みの前の日は、書店で三冊くらい小説を買って、休みの日に一気に読んでしまい後悔した。
楽しみは取っておきたいのに、買うと読みたくてたまらない。

本のおもしろい所は、買った時、五年経って読んだ時、十年経って読んだ時、それぞれに違う感想を抱くことだ。
以前は気づかなかった、心の機微に気づいたり、ひどいと思っていたら、あぁ、そうだったんだ、といろいろ気づきがある。
自分の成長と共に読み方も変わるからやめられない。

そのうち、書店で『本に呼ばれる』事が出てきた。けっこう本好きだとあるあるらしい。
どこだろう、どの棚だろうと、少しずつ移動してこの棚だ!とわかると、端から本をじーっと見ていく、すると「ん?」となる本がある。

全く知らない作家、聞いたこともないタイトル。でも、呼ばれたのは確かにこの本だ。

そういう本は間違いなく、物凄くおもしろい。
実際『本に呼ばれ』買った小説が複雑に、その後出版された小説とリンクし絡まり合う話の最初の本だった事がある。

その作家は文壇にもほとんど顔を出さずに自室でひたすら執筆し、そして夭折してしまった。

決して読みやすい小説ではなく、あらゆる分野に専門的な知識を持ち、話も複雑で、私は書きたいものを書く、もし読みたければどうぞ、みたいな感じが私は好きだった。

一番最初に『本に呼ばれて』買った本は、読み過ぎてボロボロでグラシン紙をかけて読んでいる。

あとから、新しく買ったら表紙が違っていて、結局その古い本を読んでいる。

そして、何年かしてまた『本に呼ばれた』。どの本かはわかったけれど、やはり知らない作家の知らない本だったが迷わず買った。
とてもいい話ばかりで、私のお気に入りだ。

最近は、電子書籍が場所も取らず便利、という人がけっこういるけれど、もう書店にはない本は、仕方ないので電子書籍で買うが、私はたぶん、死ぬまで紙の本を買い続けると思う。読んできて、頁をめくる瞬間が大好きなのだ。

このあと、どうなるのだろう。
いくら音がついても、実際に紙をめくるのは、どこでどう次に行くか、作家が考えて書いているのだから、その瞬間は楽しくて仕方がない。

ちなみに、自分でちゃんと読めるようになった頃、好きで好きで、今でも好きな本、持ってますか?
私は『ちいさいおうち』が大好きで、大人になって買い直して、今でも読んでいる。

そういう本って本人の原点なのだそうだ。

『ちいさいおうち』は、はじめはのどかな田舎にいたけれど、年月と共に周りが開発され、最後にはビルとビルの隙間にありボロボロになっていたけれど、持ち主の孫の孫くらいの人が見つけて、ちいさいおうちを車にのせて町から離れた、また最初のような、のどかなところに連れてきてくれて、おうちもきれいにしてもらい、ずっとちいさいおうちは幸せに暮らした、という話だけれど、
それでいくと、私は、周りがどんなに変わろうと『私は私』である、という事になるが、たしかに当たっているからおもしろい。

皆さんも確かめてみては?

本好きはよく『主食は本』というけれど、本無しには暮らせない。

体調が悪い日があり、ペースが落ちても、しばらく読めなくても、ずっと読み続けるし、新しい作家の本も読んでいる。

本は人生を豊かにしてくれる。
本は大切な友だち。
本はなくてはならないもの。

たぶん、自分が死ぬ朝も、今日はどれを読もうか、と思っているのじゃないか、と思っている。

6/14/2023, 2:05:33 PM

『あいまいな空』

私、陽子は入社して二年、だいぶ慣れて仕事にも少しずつやりがいを覚えてきた頃だ。

最初は、就活中は他の仕事を考えていたので、正直ここは候補に入っていなかった。
とにかくいろいろな会社を受けてとうとう三十社を越えて落ち続けて、心が本当にボキッと折れる音が聞こえたと思った頃、偶然この会社を知り、ダメ元で受けたら、なんと受かったのだ!

嬉しかった!私を必要としてくれる所があったという事に感謝し、私を拾ってくれたこの会社の為に一生懸命働こう、と思った。

入社して最初は無我夢中だったので、気づかぬうちに季節は変わり、いつの間にか二年目になっていた。

先輩は厳しいけれど、それは私達、入社したての者が、早く仕事を覚えるためそうしてくれているのだから感謝している。

同期は女子は四人、男子は五人入社した。

それぞれ配置された課は違えど、時々集まって飲み会を定期的に開いている。

私はなんとなく、いつからか同期の村上君とつきあっている。
もちろんみんなには内緒だ。

村上君は私と同じ、地方出身で、都会に驚くことがとても似ていて、なんか話していて気が楽だな、と思ったのがきっかけだったのかもしれない。
課は違うけれど、月に休みの日は二度くらい、平日は週一くらいでデートしている。

お互い、まだまだ新人だから仕事が多くて帰りが遅い事が多いから。

みんな、二年目ともなるとだいぶ都会に慣れて垢抜けた感じだ。

でも、私と村上君は相変わらずどこか地方出身者感があって、そういう所も素朴で好きだった。

帰りにデートの約束をしていた日、スマホに通知が来て、さり気なくトイレに立った。

個室に入って読んでみると、村上君からで『仕事が終わりそうもないし、待たせるのも焦るから、今日は行かれそうになくてごめん』という内容だった。

仕事なら、当たり前だ。
だから私は『それは仕事優先だよ。私は気にしないからがんばってね』と送った。

実は、この間とても気に入った服に出会い、一目惚れで買ってしまったのだ。そして今日はそれを着て来たのだった。ちょっと残念だけど村上君は仕事で忙しいんだからしかたない。

今度のデートに来てこよう、と思った。

悪いことはとかく重なるもので、村上君から誘われた日は、今度は私が残業で今日中に報告書を作らなくてはいけなくなり、デートは流れた。

その頃、会社自体が忙しい時期で、同期のみんなも飲み会どころではなかった。

一人の夜、一人の休日。なんだか何もする気になれない。
気晴らしに出かけたくてもお給料日前なのでガマンガマン。

そうだ、と思い立ち、久しぶりにお菓子を作った。
学生時代は、趣味がお菓子作りでいろいろ作ってはみんなに配っていた。幸い材料は少しだけ買い足せば良かったので、スティックケーキを作った。ビターチョコを使っているので、男の人でも食べられるはず。

たくさん出来たので、後で紅茶と食べたらとても美味しく出来ていた。

百円ショップで袋もたくさん買ったので、そこに入れて留めて、明日みんなに配ろう、と思った。

翌日、手提げの紙袋に入れて持っていき、課の人だけでなく、近くの人みんなに配った。みんなとても喜んでくれた。もちろん同期のみんなにも配った。みんなびっくりして「え〜!凄〜い、これ陽子が作ったの?お店のみたい!」と言われて嬉しかった。村上君には特別多めに入れてこそっと渡した。「ああ、サンキュ」と言っただけなので少し拍子抜けしたが。

なんだか気分が良くて、午前中の仕事も張り切ってこなした。
お昼休みにトイレにいると、先輩や他の課の人達の話が耳に入った。

「ねえ、今朝の見た?」「見た見た!なあにあのお菓子、今時作る?」「中学生でもあるまいし、あんなの得意気に配られてもね」「おまけにカロリー高そうだし」「食べたくないよ」アハハと笑って戻って行った。

私は、トイレの中で、涙が出て止まらなかった。そんなつもりじゃなかった。ただ、喜んでもらいたくて作っただけなのに。あんなの、配らなきゃ良かった。

もう、戻らなきゃ、と涙をこらえ、ハンカチを濡らして目を冷やした。
お化粧直しで、うん、ごまかせる。

気を取り直して歩き出し、廊下の突き当りの自販機が並んでいる所を通り過ぎようとしたら、今朝配った私のお菓子を、とても美味しそうに食べてる人がいた。同じ課の男性の先輩の安藤さんだった。

あまりにも美味しそうに食べているので、つい、足を止め見入ってしまった。すると視線に気づいたのか安藤さんが私を見てゴホゴホとむせた。慌てて私は自販機でアイスコーヒーを買い、渡した。

「これ、良かったら飲んでください」というと「あ、ありがとね」というと受け取ってごくごく飲んでから、今更気づいたように「川野さん」と私の名字を呼び、「このチョコケーキ、すごく美味しいねぇ」と言ったので、思わず「へ?」と気の拔けた声を出してしまった。「俺さ、じつはチョコケーキとか大好きでさ。これ、ビターチョコなのがまたいいね!」と人懐っこい顔で本当に美味しそうに言ったので、抑えてた涙が溢れてしまった。

安藤さんがびっくりして、「俺、なんか悪いこと言った?」というので「違うんです」と言って、心がとても苦しかったので、トイレの件を、つい話してしまった。そして
「私が悪かったんです。こんな可愛くもない、流行りでもないあんなお菓子をみんなに配ったりするから」
「まぁ、女性は何かというと映え〜!だからね」と言いながら
「でも、手間かけて手作りしたのって本当に美味しいよね。俺は本当はもっと食べたいくらい、美味しかったけれどね」
と、一つで残念そうに言うので、思い切って「あの、家にまだまだあるんです。良かったら明日安藤さんに持ってきます」と言うと、安藤さんの顔がぱっと輝いて嬉しそうに
「本当に?嬉しいなあ、じゃあ、待ってるね、コーヒーもありがとうね、川野さん」と笑顔で言ってくれた。

頭を下げて仕事場に戻りながら、なんだか気持ちが晴れているのに気がついた。男の人で、あんなに美味しそうに食べる人、見たことないよ、と思ったら、なんだかくすぐったいような気持ちになった。

夜に村上君に電話した。なんだか声を聞くのもすごく久しぶり。
随分呼び出し音がなってから「もしもし」とやっと出た。
「もしもし?今日のケーキ、食べた?どうだった?」と言うと何も言わない。あれ?どうしたのかな?と思ったら「ごめん、俺さ、甘いもの苦手で、女の人にあげちゃった」
「あ、そ、そうだったんだ、ごめんね、苦手なのにたくさんあげて」「いいよ、俺こそ、せっかくもらったのにごめんね」と言う。私は何気なく、いつものように
「ねえ、今度いつデートしようか」と言うと、「分からない」「え?」
「今は仕事で疲れていて分からないんだよ!」と強く言われ、思わずびっくりする。前なら「疲れたよ〜」とか言ったのに。

いきなり怒鳴らなくても、と少しムッとしながら「疲れてたところ、ごめんね、よく休んでね、おやすみ」と言うと
「陽子」と言われ「なに?」と言うと「いや、なんか、ごめん」と言って電話が切れた。

なんとなく、歯切れが悪く、今までの彼らしくなかった。最後の、ごめん、が喉に刺さったままの魚の小骨の様に妙に気になった。

しばらくすると、会社にある噂が飛び交うようになった。
「知ってる?去年入った村上君、同じ課の山口さんとつきあってるって」
「何でも残業して残って仕事してたのを見かねて手伝ったのが始まりだって」
「山口さんって、二歳上じゃなかったっけ?」
「村上君って素朴そうで好青年じゃない!山口さん、いいところに目をつけたよね」
「村上君って、まだ彼女いないんでしょ?」

私は、なんだか他人事のように聞いていた。
山口さんは、とても優しそうで細かい気配りのできる人だった。

残業、あの、新しく買った服を見せたかった日だ、と思った。
一度だけ、誘ってくれたけれど、今度は私が仕事だったんだ。

考えたらそれからは一度も村上君から連絡がなかった。

この間、夜電話したとき、なんかごめん、と言ってたっけ。
いろんな意味のごめんだったんだ。

安藤さんには翌日、本当にいいのだろうか、と思いながら、まだうちにあったチョコケーキを三つ袋に入れて渡した。こういうのを破顔、って言うんだろうな、という顔ですごく嬉しそうに受け取ってくれた。

あの後うちで、夜にまたものすごく美味しそうに食べたのかな、と思うと、少しだけ気が紛れた。

私は、なんだか体の中の『元気のもと』がなくなってしまったような気がした。会社にいる時は、よけいなことを考えず、ひたすら仕事に没頭した。そんな私の内心を知る由もない課長は「川野さんも最近はがんばっているな」と声をかけてくれた。
「ありがとうございます」
そう言ったけれど、その声は自分の声ではないみたいだった。

そんなある日、安藤さんが「川野さん」と廊下を歩いていたら声をかけてきた。
「はい、なんでしょうか?」
なんの仕事だろう、と思っていると
「今度の日曜日、空いてるかな」というので、何も予定のない私は
「はい、空いています」と言いながら、質問の意図が分からずにいた。

「じゃあさ、」と笑いかけながら
「動物園に行かない?」は?
「ど、動物園って、あの動物がたくさんいる」と当たり前の事を言うと
「そうそう、その動物園、行かれる?」と、子供のように、にこにこ返事を待っている安藤さんを見てると断れなくて「行きます」と言った。

「じゃあ、日曜日、〇〇駅を降りたところで」と言うとタッタッタッと走って行った。

日曜日、指定された駅前で待ちながら、ひたすら考えていた。
動物園、動物園って子供を連れて家族で行ったりするところではないのか。なんで、動物園?
「やあ、おはよう、川野さん」と声がして見ると、ベージュのカッターシャツを着て帽子をかぶり探検隊の様なズボンを履いていた。

あまりにも会社でのイメージと違うのでびっくりして、そうしたら笑いがこみ上げてきて、我慢できずに「安藤さん、なんか、探検隊の人みたい」というと、「良かった!そういうイメージで着てきたんだ」と言った。

「川野さんもそんなおしゃれな服じゃなく、探検隊風に行こうよ」と言うと、私の手を取りどんどん歩き出す。手近な洋服屋に入ると、私のきれいなワンピースから、なんと私もベージュの綿混のブラウスにキュロットパンツを気がついたら着せられていた。足元もパンプスからスニーカーに。
悪夢だ。私がこんなカジュアルな服装をするなんて。

そして、帽子屋さんに入ると服装に相応しい帽子を選んで被せられてた。

でも、にこにこして「うん、いいね!似合うよ!」と安藤さんに言われると、まあいっか、と思えるから不思議だ。

バスに乗って、動物園前で降りると、ものすごく大きな動物園だった。

ぼうっとしているといつの間にか安藤さんが入場料を払ってくれた後だった。慌てて「すみません、自分の分は払います」と言うと「何言うのさ、ものすごく美味しかったチョコケーキのお礼だよ」と言って、手を取り歩き出した。

考えたら、動物園なんて子供の時来て以来だ。それにもっと小さな動物園だった。

「わあ!すごい、すごいすごい!いろんな動物がいる〜」私は入ったらすっかりテンションが上がってしまった。

大きいけれど優しい目の象や本当に背の高いキリンなど見る度に歓声を上げていた。
安藤さんも「うわ〜、すごいなあ!」とずっと笑顔のまま。

気がつくと手を繋いであちこちとマップを見ながら次々と見ていた。

足を進めようとすると「はい、休憩の時間だよ」と言ってフードショップに入った。
冷たい飲み物を頼み、飲み始めると、すごく喉が乾いていたのに初めて気がついた。
あんまりのどが渇いていて一気に飲んでしまった。
「安藤さん、ソフトクリーム食べますか?私、食べたいです。」と言うと笑顔で「うん、お願い」と言った。

落とさない様に気をつけて持ってくると一つをまず安藤さんに渡す。
「私はこのてっぺんが好きなんです」と言うと「あ〜、わかる!俺も」と言って二人で笑った。

下は私の好きなコーンだった。こぼれないよう、上を食べたり下を吸ったりしながら食べた。窓からキリンが見える。

「私、動物園ってこんなに楽しいと思わなかったです。誘ってくれてありがとうございます」と安藤さんに言うと、「ね?お洒落な所に行くのもいいけれど、こういう所って心が開放されるでしょ?」と言う。

安藤さんは、私が元気がないのを知っていて、連れてきてくれたのかもしれないな、と思った。

優しくて、いい人だなあ、と思った。
まるで今日の、この青空のような人だ、と。

でも、村上君の事を思うと心が軋む様になる。
もう、私の事は好きじゃないんだね。それは目をそらしているけれど見たくないけれど、会社に行けば、嫌でも村上君と山口さんと仕事で顔を合わせる。
それはとても気が重い。

やめやめ!せっかく安藤さんが誘ってくれて開放感に浸っていたんだから!

最初はえぇ〜っと思ったけれどこの支度、帽子は陽射しから頭を守ってくれるし、服装も汗をかいても綿混なので気持ちいい。
スニーカーは、いくら歩いても走っても、全然足が痛くならない。

なんだか、今まで私は無理なことをしてたのかな、と思った。

みんなに喜ばれようと、ケーキを配ったり、オフィスにふさわしい服装しか持たないようにしてたし。

部屋も都会っぽく、とか全然自分らしくない部屋だったし。

今度、お給料日の後、私らしい服とか部屋の模様替えを少しずつしていこう。

なんだか、天気が変わってきた。

陽射しがまるで眠りに入るようにその明るいまぶたを閉じる。

だんだん雲が増えてきたけれど、一部の空は青空が見える。

黒っぽい雲と少しの青空。

まるで今の私の心のような、はっきりしない、あいまいな空だ。

でも、黒っぽい雲は、もう嫌だ。

天気だって、時間が経てば変わるだろう。
出来れば青空がもっともっと増えて欲しい。

私の心もできたらいい方に変わりたいな。

安藤さんと同じ様な探検隊の様な服装で帽子を二人とも被って手を繋いで、空を見上げていた。

6/13/2023, 12:09:22 PM

『あじさい』

梅雨の時期って鬱陶しい。
雨はジトジト降るし洗濯物は乾きにくいし、湿度が高い。

私は暑いのも苦手だけれど、特に湿度に弱い。
すぐに体調を崩す。

だけど、嬉しいことが一つだけある。
それはあじさいが咲くことだ。

むかしは、花になんてあまり興味がなかった。
母は花の好きな人で、いろいろ育てていた。
母の好きな花は、松葉ボタン、松葉菊、そしてあじさいだ。

特に額あじさいが大好きだった。
私は普通のあじさいの方がずっときれいだと思っていた。
額あじさいって、ぱっとしなくて、きれいだとは思えなかった。

母と私の関係は、ちょっと普通とは違っていた。
愛された記憶がないのだ。

でも、年月が経ち、母の呪縛からやっと開放され私らしく生きていいんだ、と思えるようになった。

何年か前に引っ越したが、そこには小さな庭がついていた。垣根として木が植えられているが、私が花を育てるのが苦手で出来ないので、うちだけ何も花はなかった、と思っていたら、最初の年、梅雨の時期になんと額あじさいが咲いたのだった。

そういえば、何かわからないが最初から、葉っぱもない枝だけの五十センチくらいの高さの植木が一本あったっけ。越してきたのが真冬だったので、全然知らなかった。

額あじさいが初めて咲いた時は、まだ母の呪縛に囚われていた。

三年ほどして、やっと呪縛から開放され、その年の梅雨の時期に、雨が何日か降り続いたあと、買い物に行こうと外に出ると、額あじさいが咲いていた。

それは、よく見ると紫のきれいな花だった。心の中で(お母さん、お母さんの好きな紫色の額あじさいが今年も咲いたよ、とてもきれいだよ)と母に話し掛けた。

雨の中、雨粒が花びらや葉に乗っていて、とても素敵だった。

あじさいは、みんなが嫌がる梅雨にきれいに咲く花だ。鬱陶しい、ジメジメする、大嫌いな梅雨になると美しく咲く。

不思議な花だ。梅雨はみんな嫌がるのに、雨の中でもあじさいを見に出かける。そして、雨の中咲き誇る美しいあじさいに魅せられる。

今年も、うちの1本だけの額あじさいがきれいに咲いた。庭がぱっと華やいで見えるから不思議だ。

6/12/2023, 4:03:04 PM

『好き嫌い』

確か三歳かそんな頃、母親に食事の時に「好き嫌いしては駄目でしょう」と言われた記憶がある。

今となってはとても懐かしい言葉だ。
食べ物の好き嫌い。
その頃、何を食べていたのか、今は記憶にない。

地球の温暖化がどんどん進み、人口は減らずむかし口に出来た物は、今では何一つない。

太陽フレアから守る為、人々は決まった地区で暮らし、そこには大きなドームが高い所にある。
この幾重にもなっているドームの中は放射能から守られ、空調設備のおかげでみんな暮らしていける。

やはり、その方が住みやすいのか、朝になるとドームは青空を映し雲が流れていく。夕方になると空は夕焼けに染まりだんだん暗くなり星まで見える。

食べ物はプレートに入れられ銀色のシールで塞がれている。衛生的な工場で作られ、食べるまで雑菌が入る余地はない。

みんなでテーブルにつき、いただきます、と言いシールを開ける。
それぞれ隅にちゃんと名前が印字されている。

政府によって国民すべてが管理されている。年齢、性別、身長、体重、体内の脂肪、骨密度など細かくデータ化され、一日の消費カロリー、病歴などから最適な食事が各自配られるのだ。

プレートの中はいくつかに仕切られ、緑色のペースト、赤っぽいペースト、黄色のペースト、白いペースト、など家族でも少しずつみんな違う。量はとても少ない。スプーンですくって口に入れた途端なくなる。
でも、満腹感を得られる物質が入っているのでお腹は一杯になる。
食べ終わったプレートは各町にある回収ボックスに入れてくる。
それらは溶かして、また新しいきれいなプレートになるらしい。

特別な技能がない場合、働いている人の大半は、このペーストに関わる何らかの仕事をしている。

工場の中でペーストをプレートに詰め、シールし個人名の印字までは全て無人の完全機械化の工場で作られる。その工場はあちこち無数にある。
人々はプレートを作る仕事だったり、納品する仕事だったり、工場の部品の交換時期のチェックだったり。あとは夕方、各家庭に特別なボックスに、一日の家族分の食事が入った物を玄関前に配っていく仕事の人もいる。
ペーストを作るのは、政府に関係のある人達だけと決められていた。

今は一日に朝と夜にこのプレートに入ったペーストを食べる。

食べる物は、他には何もない。

毎日毎日、同じ味のペーストを食べるのだ。食べなければ死んでしまう。だから食べるだけ。

年配の人の中には、むかしの食べ物が載ってる紙の本を持ってる人がいる。見せてもらったが、今と全然違う。

大きな器に細いひものようなものが色のついたお湯に入っている。
上にはいろんな形や色のものが乗っている。ラーメン、と言うそうだ。

他にも見せてもらったが、色がとにかくすごい。どぎついのだ。

黄色い楕円形の物を器にのせ、そこに真っ赤な物がかかっている。
見ているだけで、毒々しくて怖くなる。しかし、年配の人達は、訳の分からない会話をよくしている。

「私はオムライスが大好きだったよ」「私はパスタね」「俺はビールを飲みながらギョーザを食べるのが最高だったな」「シメのラーメンがまたうまいんだ」「新鮮な寿司はうまかったな」

その頃は、食べすぎて病気の人がいたが、今は管理された食事のおかけでそういう病気の人はいない。

みんな同じような体つきをしている。

私などは、むかしの食事の覚えがない為、年配の人のように違うものを食べたい、と思った事などない。
それは、違う水が飲みたい、というのと同じだ。

喉が乾けば、合成された水が飲める。水に種類はない。喉の乾きを癒やすため飲む。
食事もそれと同じだ。

むかし、いろいろな物があり、いろんな物を食べていたという年配の人は気の毒なのかもしれない。

その点、自分たちは当たり前にこれを食べるので幸せなのかもしれない。

昔あった、好き嫌い、という物は、いろんな食べ物があったから起こったのだ。今はいい時代だ。

6/11/2023, 5:52:24 PM

『街』

私、高校三年生のあざみが住んでいるのは、本当にうんざりするほど見渡す限り田んぼと畑しかない田舎。コンビニも喫茶店もファミレスすらない。信じられない、といつも友達と愚痴を言っていたっけ。
お店といえば、小さな商店を年老いたその家の人がやっているだけ。
あとはみんな働ける者は農業をしている。

男子で長男だと、農家の跡継ぎしか道はない。でも、次男ならいいかというと、親はやはり手広くやる為にあとを継いで欲しがる。

みんなが知り合いのこの小さな村だから、学生時代につきあっていても、三年生になると別れる子達が増える。つき合い続けるという事はその男子の家に嫁ぐ、という事だ。
それは即、農家の嫁を意味する。

みんな母親の大変さを、小さい頃から見てきているから、まず農家の嫁になろうとする子はいない。
この村には三十代、四十代の独身の男の人がたくさんいる。
好き好んで自ら一年中休みも無くひたすら働き続ける大変な生活に飛び込もうなんて、物好きな女の人はなかなか現れない。それだけ農家の仕事は過酷だから。

私を含めて大半の女子はこの村を出て就職をする。だって、ここには会社もないのだから。
私は東京のファミレスで働く事が決まっていた。まあ、人見知りしないし、誰とでもすぐに友達になれるから、あざみは大丈夫だろうと先生も言ってくれた。

私たち女子は、わざわざ隣の市まで行って買ってもらった、生まれて初めてのスマホを胸に、大海原にいかだで漕ぎ出すような不安感を抱いていた。ただ一つ良い事はこの何もない田舎から抜け出せる、という事だ。
これはやっぱり気持ちがどこか浮わついた感じがした。
雑誌で見るような街に行くんだ、とみんな期待があった。

そして四月、私は勤め先のファミレスから電車で二つ手前の駅前通りにある、少し古いアパートを借りた。
やっぱり、帰り道が怖いので明るい通り沿いにしたかったから。

支給された制服を着ると、なんだか別人みたい。みんな新しく入る子はここで研修をして、各お店に行くのだ。
仕事に必要なことで覚えることは山ほどあった。でも私は元々あまりものおじしないので、わりと早く覚えていった。実際仕事に入っても、思ったより困らなかった。だんだん慣れてくると、楽しくなってくる。失敗もあるけれど、最初だから、と気持ちを切り替え働いた。

仕事が終わるとコンビニに寄り電車に乗ってアパートに帰る。
体は疲れ、足が痛かった。立ちっぱなしだからだった。なんとか食事を済ませ、シャワーを浴びると倒れ込むように眠る。そんな生活をしていたある日、チーフから「今日はお給料日なのでお昼休みにでもおろしておきなさい」と言われた。

私も初めてのお給料日なので、もらったお金が多いのか少ないのか、全くわからなかった。とにかく家賃分を残して、あとはおろした。
うわ!初めての働いたお金だ!
なんだか重みがある。一ヶ月がんばった証だもの。

母から家を出る前の晩に、お父さんには内緒だよ、と言ってけっこう入った通帳とカードを渡された。見ると私の名前になっていた。この時のために苦労して貯めたお金だろうに。小さな声で「お母さん、ありがとう」と言った。

今まではそこから少しずつ使っていたが、私はちゃんと貯金もして、あとのお金で暮らしていた。

初めてのお給料日の後、同期の美咲ちゃんがあざみちゃん、まだ東京知らないから案内してあげる、ついでにお店も行こう、と誘ってくれた。

夜、着ていく服を決めてから楽しみだな、まだ全然街に行ってないんだもの、と浮かれていた。

約束の日、美咲ちゃんがアパートまで来てくれた。電車を乗り継ぎ、それこそテレビで見る、街に来た。
ものすごい数の人が早足で歩いている。何度も人にぶつかりながら美咲ちゃんの後に続く。

美咲ちゃんが教えてくれていろんなお店に行った。
一体、どのくらいのお店が東京にはあるんだろうと思うくらい、同じような服屋さん、雑貨屋さん、靴屋さん、喫茶店、とまわった。

美咲ちゃんに、東京にふさわしい物を着ないとねと言われ一軒の洋服屋に入る。そこは美咲ちゃんの友達が勤めているので安く買えると言われ、どんどん服を勝手に選んてそのうちの一つを着たら「うん、これを着て行こうよ、あとは靴とバッグ」と言い勝手に選んでいく。なんだかわからないうちに家を出たとき身につけていたものは何もなくなっていた。
鏡には、見知らぬ女性が映っていた。

そんなに思ったほど高いお店ではなかったし、美咲ちゃんの友達の人が社割り、というのにしてくれたので、たくさん買ったわりに、思ったほどではなかった。袋をたくさん抱えて帰った。

それからは休みの度に美咲ちゃんに誘われ、案内がてら前に行ったお店でまた服を買った。

小さいけれど部屋にはクローゼットがあるので、前の方に買った服、後ろには持ってきた服を掛けておいた。

半年が経つ頃にはずいぶんと東京にも慣れた。行きたい所はスマホで検索して一人でも行けた。

ある休みの日、渋谷を歩いていると「あざみ!」と言われ見ると、田舎で一緒だったちさとだった。

「わぁー!懐かしい!」と二人で手を取り笑顔になる。ちさとは私を見て「あざみはすっかりもう東京の人だね」と言った。
ちさとは、相変わらずむかしの雰囲気を残したままだった。

「私ね、結婚するの」とちさとが言ったのでびっくりした。
「え?誰と?社内恋愛?」と言うと
ううん、と首を振り頬を桜色にして「高校で一緒だった孝次くん」。
あざみが驚いていると、ちさとの言うには、静岡に二人で行くという。そして体に優しい野菜を育てていくの、とちさとは言った。

「こういうの、Iターンっていうんだって」別の田舎で一から住んでやっていく、と言った。静岡を選んだのは、孝次が中学生の頃から、できたらいつか住んでみたいと思っていたからだそうだ。

「田舎ってどこも若い人が少ないでしょ?だから若いご夫婦とか一人ででも知らない田舎に住むのはすごい歓迎してくれるの。住む所もちゃんとそこで無料で用意してくれるの」
私ね、とちさとは言うと、
「街ってなんか合わないなあって思っていたの。そしたら孝次くんが違う田舎でこの先、生まれてくる子供のためにも安全な野菜を作りたいって。聞いた時私もやりたい!って思って」と言った。

じきに引っ越すからあざみにあえて良かった、と言って別れた。

その日帰ってからあざみはずっと考えていた。
今ではメイクもすっかり慣れ雑誌を見ながら工夫したりしている。
洋服も自分で欲しい物をよく買っている。

そのせいか、ちゃんと貯金しようと思ったのに結局お金がかかり貯金は出来ていない。

クローゼットを見る。東京に、街にふさわしい服が所狭しと掛かっている。後ろには昔の服が肩身が狭そうに掛かっている。

私は、私は何をしたかったのだろう。ちさとのように将来なんて何も考えていない。

ただこのまま東京で買った物に埋もれて生きていくのか。
それがしたかったことか。

ふと気がつき、スマホで調べる。
検索すると、たしかにIターンと呼ばれる人を歓迎しているところが多い。

さっきちさとが言った静岡、という言葉でお茶を思い出していた。

生まれ育ってから飲まない日はなかった。でも今はコーヒーばかりを飲んでいる。

お茶のいい香りが記憶の中で蘇り立ち昇る。
そこであざみは思い出した。

子供の頃お茶を飲む度、おいしいな、こんなおいしいお茶が作れたらいいな。この村みたいにたくさんのお米作ったり畑をやったりは大変で嫌だけど、お茶って作るの難しいのかな、と思っていた事を。

街はたしかにいろんな物が溢れている。でもそれと引き換えに大切な事をどんどん手放している気がしていた。

街は不自然なんだ、と初めて思った。
何も生み出していない。
とても眩いけれど、それはまやかしだ。

あざみは自分の生まれ育った田舎を思い出していた。
一面に広がる実って黄金色になった田んぼや野菜が育ち生き生きとした緑が広がり、土の匂いのする風が吹く。
懐かしさと、もう一度ああいう景色の中で過ごしてみたいと強く思った。

もう、なんの為に服を買ったりメイク道具を増やしていたのかわからなくなった。

私もやっぱり田舎が、農家が似合うのかな。
前はあんなに嫌だったのに。

静岡でお茶を作ってみたい、と思った。何かを作り出す、という事は東京には、街には、私は見いだせなかった。
そして時間はかかるだろうけれど、いつか家族に自分が作ったお茶を飲んでもらいたい。
おいしいお茶だね、と笑顔で言ってもらいたい、とはっきり思った。
これが私の将来の夢なんだ。

よし、と言うと真剣に静岡でお茶作りの為に受け入れてくれるところを探す。

久しぶりに気持ちが充実感で満たされる。

受け入れてくれるところを探して、一からお茶作りを教わって。
田舎の人と暮らすのは幸い慣れている。

これから忙しくなるな、受け入れ先をピックアップしてお休みの日に見に行かないと。

たくさん買った服はリサイクルショップで売ってしまえば少しでもお金になる。後ろの服を前に持ってこよう。

そうだ、チーフに言わないと。
退職届も書いておかなくちゃ。
美咲ちゃんにはちゃんと話しておこう。

いつの間にか夕方で暗くなりかけていた。
カーテンを引こうと立ち上がり、外を見る。様々なネオンが点いている。相変わらず外は人が多い。そして何故かみんないつも急いでいる。カーテンを引き、私は私にふさわしい場所で、ゆっくりと地に足をつけて生きて行こう、とあざみは凛とした気持ちで思っていた。

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