紙ふうせん

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5/23/2024, 10:38:21 AM

「また明日」

まだ若かった私は、多分わがままだったのだろう。
自分の思い通りにならないとすぐに怒りを顕にしていた。
そんな私に、恋人の優也はいつも優しかった。
私の愚痴を相槌を打ちながら聞いてくれて、私が悪い、とは一度も言わなかった。
ただ穏やかな口調で「それは嫌な思いをしたね」とか「それはひどい思いをしたね」と名前の通り、優しく言ってくれた。

私には、女友達というものがいなかった。
まぁ、当然だと思うし自業自得だとも今となってはそう思える。
だけどその当時は、みんな私に意地悪でどうせ影で悪口を言っているのだろうと思っていた。
だったら、優也がいればそれで良かった。

そう、優也がいれば。

そんなある日、その日はジメジメとした湿度の高い、あまり気持ちの良くない日だった。
(梅雨が近いのかな、それにしても今日はイライラする)そんな事を思いながら仕事をしていると、何やらあちらの方で騒がしくなっていた。

なんだろうかと思いながらも仕事をしていると課長に呼ばれた。ちょっと来てほしいと言われついていくと、ひとりの後輩の女性が泣いていた。周りでは困惑した顔の男性社員や、その課の人たちが集まっていた。

課長と私が行くと、その課の課長が「ああ、仕事中に悪いね」と言いながら説明した事によると、あるプロジェクトをその課とうちの課が合同で行い、時間をかけて準備をして、私が最終的な資料を作り、USBに保存し、今泣いている女性に手渡した。

どうやらその女性がUSBを紛失してしまい、それがわかり責任を感じた女性が自分の課の課長に話し、話している途中で泣きだしてしまい、どこに保管したのか周りの人が聞いてもパニックになっていて、泣くだけで全然わからないらしい。

それで課長と私が呼ばれたという事だ。
話を聞いていて、私はカッとなった。
それでその女性に「私がどれくらい時間をかけてあの資料を作ったと思ってるの?!泣いてないで思い出しなさい!」と言うのだが「すみません、分からないんです、すみません」とただそう言い泣いている。

すると、その課の課長がすまなそうに「悪いが、もう一度資料を作ってくれないだろうか」と言い出した。
は?と思っていると、それまで泣いていた女性も「先輩、お願いします」と言い出したのだ。
そこへうちの課長が口火を切ったのでほっとしていると「どうやらそれが一番良さそうだな」と言い「すまないが今やってる仕事は他の者にやらせるから君は大急ぎでまた資料を」と言い出したのではないか。
みんなも「残っているデータとか全部出すんでよろしく」と言っている。

堪忍袋の緒が切れた私は「何故私がまた資料を作らなくてはいけないんですか、失くした彼女が責任を持ってなんとかするのが当たり前ではないんですか!」と言ったが、もうみんなこれ以上この問題に時間を割きたくなくて「そうだな、それが一番だな」などと言いほっとしているのだ。

頭にきた私は「ふざけた事を言わないでください!」と言うと、「そもそもそんな大事な資料のUSBを後輩に渡した君も悪いよ」と言われ、怒りに任せて「馬鹿にしないでよ、こんな会社、辞めてやる、後で退職届郵送します!」と言うと、自分のポーチなどを持ってオフィスを出て、怒りでくらくらしながらロッカーへ行き、バッグを掴みだすと勢い良く戸を閉め、会社を後にした。

時計を見たらじきにお昼だったので優也にLINEを送り、お昼を一緒に食べる事にした。
優也のオフィスと比較的近いのだ。

優也が来ると、早速事の顛末を話し頭にきたので辞めてきた事を話すと、優也のフォークが止まり、少ししてから「会社を辞めたの?」と言うので、パスタを食べながら「そうよ、当たり前でしょう?そんな扱いされて黙ってられるわけないじゃない」と言った。

「それは大変だったね」と言われるのを期待していたら「それはちょっと早計過ぎない?」と言われ驚いた。
「確かにひどい話しだけど、仕事なら仕方ないのじゃないかな」と言われ、信じられない思いだった。

何を言っても「大変だったね」といつもは言ってくれるのに。

先程の怒りが込み上げてきて「ふざけないでよ!私が悪いって言うの?いつもは慰めくれるのに」駄目だ、これ以上言っては駄目だ、と思いながら、話しているうちにどんどん怒りが雪だるま式に膨れ上がり、とうとう私は「そんな事を言う優也なんてだいっきらい!」「別れましょ、もう顔を見たくもないわよ」と言ってから、すぐに後悔したが、怒りで謝る事はできなかった。

「今は君は怒りで一杯だから」しばらくして優也は静かに言った。
「また明日話そう」と言われたが、私は素直になれなくて「もういいわよ、終わりにしましょう」と言うと、優也は「君の怒りももっともだから、また明日、話そうよ」と言って、時計を見て、お昼休みが終わりそうなのを知ると、少し急ぎながら「じゃあ、また明日ね」と言って店を後にした。

その夜、まんじりともせず、私は考えていた。
私は悪くない、なのに何故優也はわかってくれないんだろう、何故いつものように「ひどい目にあったね」と言ってくれなかったのだろう。
だんだん怒りが冷めてきて、落ち着いてくると、会社を辞めた事は後悔してないが、優也に対して、ひどい事を言ってしまった、と後悔してきた。
口先だけなら「それはひどかったね」と言っただろう、でも優也は心から私の事を思いやってくれたからこそ、口先だけの同情を言わなかったのだ。

LINEしようか、と思ったが「また明日ね」と優也も言っていたので明日、言い過ぎたことを謝ろうと思った。

でも、優也に謝る事は出来なかった。
朝、優也の通勤に使うバスが、スピードを出してきた対向車にすごい勢いで突っ込まれ、たまたま突っ込んできた車側に座っていた優也は車に挟まれ、ほぼ即死だった。

昨夜、深夜だったけれどLINEしていれば、ううん、怒りに任せて思ってもいない事を言ってしまった私が馬鹿だったのだ。

優也はどんな思いで午後仕事をしたのだろう。
なんであんなひどい事言ってしまったんだろう。
テレビに並んだ被害者の中に、優也の名前を見つけた時は心臓が切り裂かれたように鋭い痛みが走った。

「また明日ね」優しい優也の声が耳に残っている。
こらえ切れず、私は生まれて初めて自分ではない、誰かの為に振り絞るように優也の名前を呼びながらいつまでも泣いていた。

ごめんなさい、ごめんなさい、優也の事、嫌いなんかじゃないよ、大好きだよ。

もう二度と「それは大変だったね」と優しい声で言ってくれる人がいなくなった。

「また明日ね」と言った優也に、今日謝るはずだった。それでまた、いつもの日々が戻って来るはずだった。

明日が必ず来る保証はどこにもないんだと思い知った。
それから私は心を病んで入院し、良くなったあと故郷へ帰った。

地方の小さな町だけど、都会とは比べ物にはならないけれど、それなりに賑やかな所だった。

そこで小さな会社に就職し、自宅から通った。

そして、そこで私は失敗を繰り返しながら自分の感情をコントロールする術を身につけていった。
親は何も言わないけれど、前よりなんだか優しくなった。そしてそれは私が前より優しく接するからだと気がついた。

何度目かの桜が咲いては散り、会社である時後輩達に「先輩って何か失敗した時とか失言した時、すぐに謝りますよねえ、私には出来ないなあ、明日でいいか、とか思っちゃいます」と言うので「明日が来る保証はないじゃない?」と言うと「ええ?地球滅亡とかですかあ?」と言って無邪気にみんなで笑っている。

その度に、胸がいつになってもきゅっと締め付けられるけれど微笑を浮かべて「そうかもね」と言っている。

優也、私、少しは大人になれたよ。
明日にしないで今日、必ず謝るし、あの頃よりずっと感情をコントロール出来るようになったよ。

帰り道、今日も優也に褒められる一日だったかな、と思い返す。
こんな私を受け入れて好きになってくれた優しい優也に少しでも近づきたくて、苦しくても私は生きる道を選んだ。

大丈夫、今日も後悔はないよ、優也。

4/18/2024, 2:20:47 AM


「桜散る」

桜が散るときは、何故美しくて胸が締め付けられるような気分になるのだろうか。
満開の桜より、音もなく雪のように目の前が花びらで何も見えなくなる、あの瞬間の気持ちは、この世に私と桜の花びらだけになったようなしんとした美しさがある。

私の名前が桜子だからだろうか、以前恋人の裕也にそう言ったら意外にも真面目な顔で「そうかもしれないね、僕は毎年この季節は桜子が、桜の花びらと共に消えてしまうのではないかと不安になる時があるよ」と言ったので驚いてしまった。
きっと、一笑に付されてしまうだろうと思っていたからだ。

見渡す限り続く桜並木の桜が一斉に散るのだ。それは壮観だろう、立ち止まってみてゆく人も何人か見る。

思わずうっとりと目を閉じる。

「ねえ」どうやら私は眠ってしまっていたらしい。不意に声をかけられ目が覚めた。

「何か夢を見ていたの?あなた微笑んでいたわよ」

そう言われはっと気づく、そうだ、私は桜の樹だった。

この季節になると、毎年同じ夢を見る。
もしかしたらうんと昔、人だった事があったのだろうか。
桜の樹も夢を見るのだ。
特に散り際は眠くてたまらない。

声を掛けてきた隣の樹も眠そうにしている。
「見てみなさいよ」と、また話しかけてきた。
「あそこの老木なんてずうっと寝たままなのよ」

無理もない。これだけの花を咲かせるのにはとても体力を使うのだから。

陽射しが心地良いのでまた眠くなってきた。

私はおしゃべりな隣の樹に「私も眠いの、少し寝るから邪魔をしないでね」というと
隣の樹も「そうね、私も眠いから少し寝るわ」と言って静かになった。

私はうとうとしながら、さっきの夢の事を考えていた。私は桜子と名乗っていた。
恋人は裕也といった。
本当にただの夢だろうか。
そういう時が昔々、ずうっと昔に本当にあったのではないだろうか。

それにしても、と思い返す。人が桜の樹になるなんて事、あるのかしら。
でも絶対にないなんて神様だって言い切れないわ、と思い直す。

ああ、眠い、もう起きてられない。
ふと見ると、さっきまでお喋りしてた樹もよく寝ている。
私も寝よう、そう思い心地良い眠気に身を任す。

ほとんどの桜の樹は、疲れてはらはらと雪のように花びらを舞い落としながら眠りについている。

人々は思い思いに写真を撮ったり、子供ははしゃいで降りしきる桜の花びらを掴もうと躍起になっている。

そんな賑やかな音を微かに聞きながら、私は深い眠りについた。



3/29/2024, 1:36:16 PM

私はとにかく無類のハッピーエンド好きだ。漫画、アニメ、テレビドラマ、映画、ミュージカル等、何につけてもハッピーエンドが大好きだ。

映画によってはこの先の展開で、死んでしまうのかもしれない、と思うと落ち着いて観ていられなくなってしまう。
なので少し飛ばして生きて出ていると安心して戻して観る程だ。

ハッピーエンドばかりじゃつまらない、と言う方ももちろんいるだろう。

でも私はラストが死んだりいなくなってしまうと、ああ、観なければ良かった、と思ってしまうのだ。

何故、こんなにもハッピーエンドが好きなのだろう。

多分、世の中が殺伐としているからではないか、などと推察してみる。

せめて娯楽くらいハッピーエンドになって欲しいという思いがあるのだろう。

そして明日も私はハッピーエンドの映画を観たり本を読んで悦に入っているのだろう。

11/18/2023, 4:29:09 AM

『冬になったら』

突然の強い風に、思わず私はコートの前を寄せる。
「もう秋も終わりかな」つい、そんな言葉が冷たい風に乗って飛んで行く。

11月も後半だ。無理もない。

「今夜は鍋焼うどんかな」そんな独り言を言いながら、少し淋しくなる。
恋人、と呼べるのか今つきあっている
彼がこの冬にいよいよこの町からいなくなるのだ。

と言っても喧嘩別れではない。
彼のご両親が以前から、帰ってきて家業の店を継いでくれと言われていて、なんだかんだ言って逃げてきた彼も、父親が夏の終わりに一度体調を崩して二、三日入院し、それ以来、気弱になり帰ってほしいと弱々しい声で電話をしてきたというのだ。

これには、彼も無下に断れず、いずれは継ぐものとどこかで思っていたらしく、「仕事が片づく冬になったら帰るよ」と言わざるを得なかったらしい。

つまり、彼との今のおつきあいも冬になるとおしまいなのだ。
でも私は絶対に感情的になるまい、と固く心に誓っていた。最後まで明るく振る舞って『手放したくなかった女』
として彼の記憶に残りたいのだ。

今夜はうちに来ると言っていた。
私の作る鍋焼うどんは彼の大好物だ。
少しでも、一つでも、良い思い出として残りたい、と素直に思っている。
だって、彼の実家は代々続いた有名な菓子店で、長男である彼はいずれ家業を継ぐつもりだと言っていたのだから。

正直言うと、私はもう少し先の話だろうと呑気に構えていた。
しかし、父親が入院したと聞いた時、ああ、もうあと少しになったのだと覚悟をした。



「美味かったよ、ごちそうさま!」
いつものように彼は大好きな鍋焼うどんをとても美味しそうに食べ終わると、笑顔で言った。チクッと魚の小骨が刺さったように心に軽く痛みを覚えた。
「お粗末さまでした。それにしても、いつもながら美味しそうに食べるのね」と笑顔で言うと「君の料理はなんでも美味しいけれど、やっぱり鍋焼うどんは絶品だよ」とくつろいだ顔に笑みを浮かべて彼が言う。
(この笑顔もじきに見られなくなる)
そう思うとやっぱり切なくなった。
しかし私は笑顔のままおどけたように「そんな事言っても、もう何も出ないわよ」と肩をすくめた。
あははと彼は笑いながら「君のそういう所も大好きだよ」と言った。そしてそのまま優しく抱きしめてくる。
今、私の顔を見ないで。きっと泣きそうな顔だから。彼の肩に顔をもたれながらきつく唇を噛む。泣くまい、決して。笑顔を覚えておいてもらうんだ、そう心に言い聞かせ感情の波が去るのを待った。
もう大丈夫、笑顔を作り彼の顔を見つめるた。

私も12月に入り仕事が忙しくなり、なかなか今までの様に彼との時間が作れずにいた。
一秒でもそばにいたいのに、それが叶わない。彼も忙しいのか連絡が減った。
仕方がない、仕事の引き継ぎをして会社を辞めるのだから。私なんかよりずっと忙しいはずだ。

そんな金曜日の夜遅くに、久しぶりに彼から連絡が来た。「忙しい?」同時に聞いて思わず笑ってしまった。
「遅くて悪いけれどそっちに行ってもいいかな?」いいわよ、待ってるね、と答えたが心臓がバクバクしてきた。
週末だ。これで日曜日に行くのだろうか。
最後に週末を一緒に過ごそうと思ったのだろうか。
急いで鏡を見て口紅だけつけた。
泣くもんか、絶対に笑顔を覚えていてもらうんだ。心が落ち着いてきた。
ドアチャイムが鳴った。

「うー、寒い寒い!とうとう雪が降ってきたよ、少しだけどさ」と彼が言った。
雪が降ってきたよ……雪が……とうとう冬だ。私は自分が意外と落ち着いてる事に安心した。

「いつで会社を辞めるの?」
あえて避けてきた事をやっと聞けた。
「来週いっぱいだよ、引き継ぎがなかなか時間がかかってね」ハーブティーを入れて置いた私にそう言いながら、余程寒かったのか、すぐにカップを取り、フーフーと冷ましながらこくんと飲む。そしてついでのように
「君は?」と言うので「何が?」と言うと
「仕事を辞めるのがさ」と言いながらハーブティーを自分で二杯目を注いで飲みながらなんでもないように言う。
私は、なんのことだか全然わからずにポカンとして「なんで私が仕事辞めると思ったの?」と言うと、今度は彼がポカンとして
「え?だから俺が家業を継ぐじゃない?」と言うので、ますます混乱して「ちょっと待って、なんであなたが家業を継ぐと私も仕事を辞めるの?」と言うと彼は「だから結婚して一緒に行くじゃない?」と言うので、もう何がなんだかわからず「何言ってるの?!あなたが家業を継ぐのに結婚相手と行くって事?なんでそれで私が仕事を辞めるのよ!!」


そう言うと、彼はボーッと途方に暮れた子供のような顔をしていたと思うと、次の瞬間「ああーっ!!」と言ってテーブルに顔を伏せ頭をかきむしり「馬鹿だ!馬鹿だ!」と言い出したので、私は、忙しさのあまり彼の神経が病んでしまったのかと本気で心配していた。
すると次の瞬間、素早く顔を上げ私に言ったのだ。「もしかして」「俺、プロポーズしてなかったっけ?」「……何も、聞いてないけど……」すると彼は慌てたように「ごめん、ごめんね、俺、うちで何度も何度も練習してたから、てっきり言ったと思ってたんだよ」
すると私は、可笑しさがこみ上げてきて、こらえきれず大笑いをしてしまった。
泣くまい、と思ってはいたけれど、まさかこんな大笑いをするなんて。

あんまり笑ってお腹が痛くなって、でも一息ついてから彼に「私、何も聞いてないの、ちゃんと言ってくれる?」と今までで最高の笑顔で言った。

6/29/2023, 1:32:25 PM

『入道雲』

私は子どもの頃から
空を見ているのが大好きだった。

庭にあった、向かい合わせの
ブランコに一人ですわり
ひたすら空を
刻々と変わっていく雲を
見ているのが好きだった。

一度は見ていたら、吐き気がしてきて。
たぶん夏休みだったと思う。
時計を見たら、なんと二時間も
首を上にあげ空を見ていたのだ。
それは気分も悪くなるだろう。

特に入道雲は真夏になると
とてつもない高さで
空にあらわれる。
真っ白ならだいじょうぶ。
下が黒いとあとでいきなり雨になる。

今でも見ると、ソフトクリーム食べたいなあ、とか
かき氷かな?、とか
いやいや、綿あめでしょう、と、
思いながら入道雲を見ている、食いしんぼうの私。

低いところの雲は、風で流れているのに、入道雲は高いから
びくともしない。

暑いのは苦手だけど、空が、雲が
好きだから、真夏の入道雲は好き。

セミが鳴き、暑さで気が遠くなりそうになって歩いている時、必ず見える雲。それはやっぱり入道雲でないと。

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