紙ふうせん

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『冬になったら』

突然の強い風に、思わず私はコートの前を寄せる。
「もう秋も終わりかな」つい、そんな言葉が冷たい風に乗って飛んで行く。

11月も後半だ。無理もない。

「今夜は鍋焼うどんかな」そんな独り言を言いながら、少し淋しくなる。
恋人、と呼べるのか今つきあっている
彼がこの冬にいよいよこの町からいなくなるのだ。

と言っても喧嘩別れではない。
彼のご両親が以前から、帰ってきて家業の店を継いでくれと言われていて、なんだかんだ言って逃げてきた彼も、父親が夏の終わりに一度体調を崩して二、三日入院し、それ以来、気弱になり帰ってほしいと弱々しい声で電話をしてきたというのだ。

これには、彼も無下に断れず、いずれは継ぐものとどこかで思っていたらしく、「仕事が片づく冬になったら帰るよ」と言わざるを得なかったらしい。

つまり、彼との今のおつきあいも冬になるとおしまいなのだ。
でも私は絶対に感情的になるまい、と固く心に誓っていた。最後まで明るく振る舞って『手放したくなかった女』
として彼の記憶に残りたいのだ。

今夜はうちに来ると言っていた。
私の作る鍋焼うどんは彼の大好物だ。
少しでも、一つでも、良い思い出として残りたい、と素直に思っている。
だって、彼の実家は代々続いた有名な菓子店で、長男である彼はいずれ家業を継ぐつもりだと言っていたのだから。

正直言うと、私はもう少し先の話だろうと呑気に構えていた。
しかし、父親が入院したと聞いた時、ああ、もうあと少しになったのだと覚悟をした。



「美味かったよ、ごちそうさま!」
いつものように彼は大好きな鍋焼うどんをとても美味しそうに食べ終わると、笑顔で言った。チクッと魚の小骨が刺さったように心に軽く痛みを覚えた。
「お粗末さまでした。それにしても、いつもながら美味しそうに食べるのね」と笑顔で言うと「君の料理はなんでも美味しいけれど、やっぱり鍋焼うどんは絶品だよ」とくつろいだ顔に笑みを浮かべて彼が言う。
(この笑顔もじきに見られなくなる)
そう思うとやっぱり切なくなった。
しかし私は笑顔のままおどけたように「そんな事言っても、もう何も出ないわよ」と肩をすくめた。
あははと彼は笑いながら「君のそういう所も大好きだよ」と言った。そしてそのまま優しく抱きしめてくる。
今、私の顔を見ないで。きっと泣きそうな顔だから。彼の肩に顔をもたれながらきつく唇を噛む。泣くまい、決して。笑顔を覚えておいてもらうんだ、そう心に言い聞かせ感情の波が去るのを待った。
もう大丈夫、笑顔を作り彼の顔を見つめるた。

私も12月に入り仕事が忙しくなり、なかなか今までの様に彼との時間が作れずにいた。
一秒でもそばにいたいのに、それが叶わない。彼も忙しいのか連絡が減った。
仕方がない、仕事の引き継ぎをして会社を辞めるのだから。私なんかよりずっと忙しいはずだ。

そんな金曜日の夜遅くに、久しぶりに彼から連絡が来た。「忙しい?」同時に聞いて思わず笑ってしまった。
「遅くて悪いけれどそっちに行ってもいいかな?」いいわよ、待ってるね、と答えたが心臓がバクバクしてきた。
週末だ。これで日曜日に行くのだろうか。
最後に週末を一緒に過ごそうと思ったのだろうか。
急いで鏡を見て口紅だけつけた。
泣くもんか、絶対に笑顔を覚えていてもらうんだ。心が落ち着いてきた。
ドアチャイムが鳴った。

「うー、寒い寒い!とうとう雪が降ってきたよ、少しだけどさ」と彼が言った。
雪が降ってきたよ……雪が……とうとう冬だ。私は自分が意外と落ち着いてる事に安心した。

「いつで会社を辞めるの?」
あえて避けてきた事をやっと聞けた。
「来週いっぱいだよ、引き継ぎがなかなか時間がかかってね」ハーブティーを入れて置いた私にそう言いながら、余程寒かったのか、すぐにカップを取り、フーフーと冷ましながらこくんと飲む。そしてついでのように
「君は?」と言うので「何が?」と言うと
「仕事を辞めるのがさ」と言いながらハーブティーを自分で二杯目を注いで飲みながらなんでもないように言う。
私は、なんのことだか全然わからずにポカンとして「なんで私が仕事辞めると思ったの?」と言うと、今度は彼がポカンとして
「え?だから俺が家業を継ぐじゃない?」と言うので、ますます混乱して「ちょっと待って、なんであなたが家業を継ぐと私も仕事を辞めるの?」と言うと彼は「だから結婚して一緒に行くじゃない?」と言うので、もう何がなんだかわからず「何言ってるの?!あなたが家業を継ぐのに結婚相手と行くって事?なんでそれで私が仕事を辞めるのよ!!」


そう言うと、彼はボーッと途方に暮れた子供のような顔をしていたと思うと、次の瞬間「ああーっ!!」と言ってテーブルに顔を伏せ頭をかきむしり「馬鹿だ!馬鹿だ!」と言い出したので、私は、忙しさのあまり彼の神経が病んでしまったのかと本気で心配していた。
すると次の瞬間、素早く顔を上げ私に言ったのだ。「もしかして」「俺、プロポーズしてなかったっけ?」「……何も、聞いてないけど……」すると彼は慌てたように「ごめん、ごめんね、俺、うちで何度も何度も練習してたから、てっきり言ったと思ってたんだよ」
すると私は、可笑しさがこみ上げてきて、こらえきれず大笑いをしてしまった。
泣くまい、と思ってはいたけれど、まさかこんな大笑いをするなんて。

あんまり笑ってお腹が痛くなって、でも一息ついてから彼に「私、何も聞いてないの、ちゃんと言ってくれる?」と今までで最高の笑顔で言った。

11/18/2023, 4:29:09 AM