紙ふうせん

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『好きな本』

好きな本は、数え切れないほどある。
最初は絵本の読み聞かせに始まり、自分で選ぶようになり、お誕生日とか何か買ってくれるという時は必ず本を買ってもらっていた。
両親が大の本好きだったせいか、本はわりと好きに買ってくれた。

高校生の頃は、いわゆる世界の文豪と言われる人の本をわかってもわからなくても、とにかく読破していった。

今になっては、良かったと思う。
仕事で疲れている休日に『カラマーゾフの兄弟』なんてとても読めない。
学生のうちに、有名な文豪の本は読んでおくべきだ。
それと同時に、好きな作家の本を読んで読んで読みまくった。
休みの前の日は、書店で三冊くらい小説を買って、休みの日に一気に読んでしまい後悔した。
楽しみは取っておきたいのに、買うと読みたくてたまらない。

本のおもしろい所は、買った時、五年経って読んだ時、十年経って読んだ時、それぞれに違う感想を抱くことだ。
以前は気づかなかった、心の機微に気づいたり、ひどいと思っていたら、あぁ、そうだったんだ、といろいろ気づきがある。
自分の成長と共に読み方も変わるからやめられない。

そのうち、書店で『本に呼ばれる』事が出てきた。けっこう本好きだとあるあるらしい。
どこだろう、どの棚だろうと、少しずつ移動してこの棚だ!とわかると、端から本をじーっと見ていく、すると「ん?」となる本がある。

全く知らない作家、聞いたこともないタイトル。でも、呼ばれたのは確かにこの本だ。

そういう本は間違いなく、物凄くおもしろい。
実際『本に呼ばれ』買った小説が複雑に、その後出版された小説とリンクし絡まり合う話の最初の本だった事がある。

その作家は文壇にもほとんど顔を出さずに自室でひたすら執筆し、そして夭折してしまった。

決して読みやすい小説ではなく、あらゆる分野に専門的な知識を持ち、話も複雑で、私は書きたいものを書く、もし読みたければどうぞ、みたいな感じが私は好きだった。

一番最初に『本に呼ばれて』買った本は、読み過ぎてボロボロでグラシン紙をかけて読んでいる。

あとから、新しく買ったら表紙が違っていて、結局その古い本を読んでいる。

そして、何年かしてまた『本に呼ばれた』。どの本かはわかったけれど、やはり知らない作家の知らない本だったが迷わず買った。
とてもいい話ばかりで、私のお気に入りだ。

最近は、電子書籍が場所も取らず便利、という人がけっこういるけれど、もう書店にはない本は、仕方ないので電子書籍で買うが、私はたぶん、死ぬまで紙の本を買い続けると思う。読んできて、頁をめくる瞬間が大好きなのだ。

このあと、どうなるのだろう。
いくら音がついても、実際に紙をめくるのは、どこでどう次に行くか、作家が考えて書いているのだから、その瞬間は楽しくて仕方がない。

ちなみに、自分でちゃんと読めるようになった頃、好きで好きで、今でも好きな本、持ってますか?
私は『ちいさいおうち』が大好きで、大人になって買い直して、今でも読んでいる。

そういう本って本人の原点なのだそうだ。

『ちいさいおうち』は、はじめはのどかな田舎にいたけれど、年月と共に周りが開発され、最後にはビルとビルの隙間にありボロボロになっていたけれど、持ち主の孫の孫くらいの人が見つけて、ちいさいおうちを車にのせて町から離れた、また最初のような、のどかなところに連れてきてくれて、おうちもきれいにしてもらい、ずっとちいさいおうちは幸せに暮らした、という話だけれど、
それでいくと、私は、周りがどんなに変わろうと『私は私』である、という事になるが、たしかに当たっているからおもしろい。

皆さんも確かめてみては?

本好きはよく『主食は本』というけれど、本無しには暮らせない。

体調が悪い日があり、ペースが落ちても、しばらく読めなくても、ずっと読み続けるし、新しい作家の本も読んでいる。

本は人生を豊かにしてくれる。
本は大切な友だち。
本はなくてはならないもの。

たぶん、自分が死ぬ朝も、今日はどれを読もうか、と思っているのじゃないか、と思っている。

6/15/2023, 1:12:34 PM