紙ふうせん

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『好き嫌い』

確か三歳かそんな頃、母親に食事の時に「好き嫌いしては駄目でしょう」と言われた記憶がある。

今となってはとても懐かしい言葉だ。
食べ物の好き嫌い。
その頃、何を食べていたのか、今は記憶にない。

地球の温暖化がどんどん進み、人口は減らずむかし口に出来た物は、今では何一つない。

太陽フレアから守る為、人々は決まった地区で暮らし、そこには大きなドームが高い所にある。
この幾重にもなっているドームの中は放射能から守られ、空調設備のおかげでみんな暮らしていける。

やはり、その方が住みやすいのか、朝になるとドームは青空を映し雲が流れていく。夕方になると空は夕焼けに染まりだんだん暗くなり星まで見える。

食べ物はプレートに入れられ銀色のシールで塞がれている。衛生的な工場で作られ、食べるまで雑菌が入る余地はない。

みんなでテーブルにつき、いただきます、と言いシールを開ける。
それぞれ隅にちゃんと名前が印字されている。

政府によって国民すべてが管理されている。年齢、性別、身長、体重、体内の脂肪、骨密度など細かくデータ化され、一日の消費カロリー、病歴などから最適な食事が各自配られるのだ。

プレートの中はいくつかに仕切られ、緑色のペースト、赤っぽいペースト、黄色のペースト、白いペースト、など家族でも少しずつみんな違う。量はとても少ない。スプーンですくって口に入れた途端なくなる。
でも、満腹感を得られる物質が入っているのでお腹は一杯になる。
食べ終わったプレートは各町にある回収ボックスに入れてくる。
それらは溶かして、また新しいきれいなプレートになるらしい。

特別な技能がない場合、働いている人の大半は、このペーストに関わる何らかの仕事をしている。

工場の中でペーストをプレートに詰め、シールし個人名の印字までは全て無人の完全機械化の工場で作られる。その工場はあちこち無数にある。
人々はプレートを作る仕事だったり、納品する仕事だったり、工場の部品の交換時期のチェックだったり。あとは夕方、各家庭に特別なボックスに、一日の家族分の食事が入った物を玄関前に配っていく仕事の人もいる。
ペーストを作るのは、政府に関係のある人達だけと決められていた。

今は一日に朝と夜にこのプレートに入ったペーストを食べる。

食べる物は、他には何もない。

毎日毎日、同じ味のペーストを食べるのだ。食べなければ死んでしまう。だから食べるだけ。

年配の人の中には、むかしの食べ物が載ってる紙の本を持ってる人がいる。見せてもらったが、今と全然違う。

大きな器に細いひものようなものが色のついたお湯に入っている。
上にはいろんな形や色のものが乗っている。ラーメン、と言うそうだ。

他にも見せてもらったが、色がとにかくすごい。どぎついのだ。

黄色い楕円形の物を器にのせ、そこに真っ赤な物がかかっている。
見ているだけで、毒々しくて怖くなる。しかし、年配の人達は、訳の分からない会話をよくしている。

「私はオムライスが大好きだったよ」「私はパスタね」「俺はビールを飲みながらギョーザを食べるのが最高だったな」「シメのラーメンがまたうまいんだ」「新鮮な寿司はうまかったな」

その頃は、食べすぎて病気の人がいたが、今は管理された食事のおかけでそういう病気の人はいない。

みんな同じような体つきをしている。

私などは、むかしの食事の覚えがない為、年配の人のように違うものを食べたい、と思った事などない。
それは、違う水が飲みたい、というのと同じだ。

喉が乾けば、合成された水が飲める。水に種類はない。喉の乾きを癒やすため飲む。
食事もそれと同じだ。

むかし、いろいろな物があり、いろんな物を食べていたという年配の人は気の毒なのかもしれない。

その点、自分たちは当たり前にこれを食べるので幸せなのかもしれない。

昔あった、好き嫌い、という物は、いろんな食べ物があったから起こったのだ。今はいい時代だ。

6/12/2023, 4:03:04 PM