穏やかな冬の海、黒い砂浜、満開の桜。
崖っぷち。
冷えた風が俺たちを冷やかすように強く吹く。
「やっとだね、私、待ち侘びたんだよ」
いつもの調子でそう言う彼に、俺は返事をするように笑いかけた。
恥ずかしくて、彼の顔は見ることが出来なかったけれど、きっと彼も笑っていたのだと思う。
靴を脱いで、ふたりぶんの遺書を靴の下に忍ばせる。
何度も見たドラマや映画とひどく似たものだったから、二人して「あの映画と同じだね」「あのドラマ、もう一度見たかったな」なんて軽口を交わす。
最後に、互いの口唇を軽く合わせる。
俺たちだけの、最高に情緒的で最高にロマンチックなシナリオ。
「それじゃあまた、どこかで。愛してる」
二人でそう言って手を繋いで、冷たい海に飛び込んだ。
芯から冷えて、指先から体温が失われる。
ああ、どちらかが先に眠りにつく前に、“愛してる”と言えて良かった!
「はたちになったら、一緒に死のうよ」
彼がそう言ったのは、高校卒業が着々と近づいてきた三月はじめのこと。
教室に吹き込む暖かい風が薄いカーテンと彼の緩くウェーブのかかったきれいな髪をふわりと揺らす。
彼が髪を細くしなやかな指で耳にかける。
きれいだった。
「良いよ。はたちになったらふたりで死のう」
思わず、そんなことを口走った。
彼は驚いたような顔をしたあと、軽快にからからと笑い声を上げた。
なにがおかしいのか問えば、「だって、まさか君がそう言ってくれるなんて思ってもなかったから!」と言う。
もう一度、更に強い風が桜の花弁と共に吹き込む。
このまま攫われてしまいそうだ、なんて思う。
彼が攫われたのは、桜なんかではなくて荒れた冬の冷たい波だったのだけど。
あのとき、「まだ行かないで」と言えたらどんなに良かったか!
はやく、はやく捜さないと。
一日でも、一秒でもはやく捜し出して、すぐにでも抱きつきたい。
そこら中に散らばる瓦礫の隙間から“そこにいた”僅かに存在を主張する赤。
雨が降ってすっかり濡れきった髪や、肌に引っ付く服の不快感は無視して、瓦礫をかき分け、喉が枯れるまで叫んだ。
あいつらは死になんてしないと思いながら、僅かな希望だって縋った。
頼むから、奇跡でも起こしてくれ、と思う。
ゲームで逆転勝利したときのような、アイスで当たりが出たときのような、そんな奇跡とは比にならないくらい大きな奇跡を。
奇跡をもう一度、と
「もう何も無くしたくないよ」
ふいに呟いた彼の言葉は、残念ながら雨の音に打ち消されやしなかった
それがどんな意味を表しているのか、僕にはわからなかったけれど、彼にとって何か大きなものを乗り越えようとしているのかもしれない、と独り合点した。
聞こえなかったふりをして、ドール服になる予定の布にちくちくと針を刺す。
真っ白い生地に、たくさんのフリル、綺麗なAライン。
まるでウェディングドレスのようにも見えるそれに見蕩れる。
少し後に、彼が「水を取ってくる」と言って自室に向かった。
「喪失感は、つらいものだよ」
いつかのりこえられたら良いね、と呟いて、真っ白い布にほんの少しの喪失感と藤色の糸を一緒に縫い付けた。
「最悪…傘持ってないんですけど……」
いつもの雑貨店に寄った帰りに、雨に降られてしまった。
ぼうっと立ち尽くす間に雨は勢いを増していって、我に帰って気付いて屋根の下に行ったときには体中が濡れていた。
濡れた服がぴったりと肌にくっ付いて気持ち悪い。
乾くまでもう少しここで雨宿りをしていようかと思っていたとき、遠くから誰かが傘を持って歩くのが見えた。
誰かの迎えかなぁ、とか相合い傘でもするのかな、なんて思いながら、空を見上げた。
分厚く空を覆った灰色から、ざあざあと雨が降り注ぐ。
折りたたみ傘ってこういうときにあるんだなぁ、と考えながら空を見ていると、両肩をぽんぽんと叩かれた。
驚きながらも振り向くと、そこには高校生の彼ら二人がいた。
「あれ、どうしたんですか?こんな遅い時間に学校帰りとか」
「いやぁ…文化祭の諸々で生徒会忙しくて…最近はずっと残ってるよ」
そういう彼と、生徒会長の彼の目元に、僅かに薄く隈が出来ていた。
「それはお疲れさまです。…え、もしかして迎えに来てくれたんですかぁ?」
「いや、そう言うわけじゃないんだけど…ここ通学路なんだよね。それで通ったらたまたま居たから……」
なぁんだ、と声を出すと、二人とも顔を見合わせて笑った。
「とりあえず帰りましょ。二人とも寒いでしょ。俺もびちゃびちゃでお風呂入りたいし」
そう言って、俺は一歩ずつ踏み出す。
彼らも後ろから傘を差して歩いてきた。