冷たい風が頬を刺す。
波が岩に打ち付けて星のように弾ける。
暗い海に、引き摺りこまれそうだった。
「やっぱり、私達の最後は桜の樹の下なんかじゃなかったね」
彼の言葉に頷く。
もとより、俺達の最期は桜の樹の下なんて所じゃなかった。
暗く深い、海の上、もしくは中。
靴を脱いで、隣同士で並べる。
遺書なんて堅っ苦しいものは書かなかった。
どうせ哀しんでくれる友達も親も居ないのだから、必要ないだろうと言ったのは俺だった。
手を繋いで、指を絡める。
「じゃあ、また。どこかで逢えたらいいね」
「ああ、そうだな」
そう言って、二人海に向かって一直線に飛び込んだ。
体が水面に打ち付けると、大きな飛沫とくぐもった自然の音が耳を塞ぐ。
「さよならとは言わないで」
冷たくなる指先、体。
朦朧とする意識の中、いつかの彼が言った言葉を思い出した。
艶のある長い黒髪、白くてキメの細かい肌、襟元にレースの遇われた白いブラウス、膝丈の深緑のスカート。
はたから見たら女性となった自分を見るのは、未だに慣れない。
舞台裏の楽屋にはワンピース、ドレス、燕尾服にロングコート、その他諸々。
役を演る上で必要な道具がその日限り、又は三日ほどの間だけ揃う。
そしてその間だけは、鏡の中の自分に夢を抱ける。
「祷、もうすぐ」
「うん、わかった。すぐ行くよ」
「今回の目玉だからな、頑張ってくれよ」
「もちろん。ちゃんと成功させてみせるから見といてね」
小声で軽口をたたき合いながら舞台袖へと向かう。
灯りが煌々と光る舞台上。
舞台袖から見える、聞こえる声と靡く衣装。
「いってらっしゃい」
鏡の中に映る自分に思いを、魂を乗せる。
「いってきます」
穏やかな冬の海、黒い砂浜、満開の桜。
崖っぷち。
冷えた風が俺たちを冷やかすように強く吹く。
「やっとだね、私、待ち侘びたんだよ」
いつもの調子でそう言う彼に、俺は返事をするように笑いかけた。
恥ずかしくて、彼の顔は見ることが出来なかったけれど、きっと彼も笑っていたのだと思う。
靴を脱いで、ふたりぶんの遺書を靴の下に忍ばせる。
何度も見たドラマや映画とひどく似たものだったから、二人して「あの映画と同じだね」「あのドラマ、もう一度見たかったな」なんて軽口を交わす。
最後に、互いの口唇を軽く合わせる。
俺たちだけの、最高に情緒的で最高にロマンチックなシナリオ。
「それじゃあまた、どこかで。愛してる」
二人でそう言って手を繋いで、冷たい海に飛び込んだ。
芯から冷えて、指先から体温が失われる。
ああ、どちらかが先に眠りにつく前に、“愛してる”と言えて良かった!
「はたちになったら、一緒に死のうよ」
彼がそう言ったのは、高校卒業が着々と近づいてきた三月はじめのこと。
教室に吹き込む暖かい風が薄いカーテンと彼の緩くウェーブのかかったきれいな髪をふわりと揺らす。
彼が髪を細くしなやかな指で耳にかける。
きれいだった。
「良いよ。はたちになったらふたりで死のう」
思わず、そんなことを口走った。
彼は驚いたような顔をしたあと、軽快にからからと笑い声を上げた。
なにがおかしいのか問えば、「だって、まさか君がそう言ってくれるなんて思ってもなかったから!」と言う。
もう一度、更に強い風が桜の花弁と共に吹き込む。
このまま攫われてしまいそうだ、なんて思う。
彼が攫われたのは、桜なんかではなくて荒れた冬の冷たい波だったのだけど。
あのとき、「まだ行かないで」と言えたらどんなに良かったか!
はやく、はやく捜さないと。
一日でも、一秒でもはやく捜し出して、すぐにでも抱きつきたい。
そこら中に散らばる瓦礫の隙間から“そこにいた”僅かに存在を主張する赤。
雨が降ってすっかり濡れきった髪や、肌に引っ付く服の不快感は無視して、瓦礫をかき分け、喉が枯れるまで叫んだ。
あいつらは死になんてしないと思いながら、僅かな希望だって縋った。
頼むから、奇跡でも起こしてくれ、と思う。
ゲームで逆転勝利したときのような、アイスで当たりが出たときのような、そんな奇跡とは比にならないくらい大きな奇跡を。
奇跡をもう一度、と